第10話 虚無討伐 その1
カミュとソルウェインはトラン=キアの町を出た。道とは言えないような草を踏みならしただけの道を東進する。カミュの馬には薬の入った革袋が未だ大量にぶら下がっており、こうなって来ると邪魔で仕方がないと彼は静かにため息を吐いた。
すでに日は橙色を帯び、森の影に隠れようとしている。烏の鳴き声も聞こえてきて、この地での人間の時間が終わろうとしている。
ソルウェインの隊はトラン=キアからさほど離れていない森の縁で陣を張っていた。そこは先ほどゴルヴァから教えられた虚無の出現場所からさほど離れていない。
「ねぇ、ソル兄。虚無のいる場所知ってたの?」
ソルウェインは町に入る前に部隊に指示を出している。カミュはその事に疑問を感じずにはいられなかった。
カミュの前を散歩でもするかのように歩いているソルウェインは、後ろを振り返ることなく答える。
「ある程度はな。今日セレンから聞いた話だけではなく、これまでの被害もこの辺りに集中しているんだ。で、虚無の割には動いていないから、もともとこの辺りの探索から始めるつもりだったんだよ。まあ、先にやっておいてくれたおかげで、確認の手間は省けたがな」
「でも、結局俺たちだけでやることになってしまった」
「それはちょっと痛いがなあ。ゴルヴァ様がいれば、虚無を抑えこむことの出来る人間が二人になったからな」
「イリーナが聞いたら、また怒り出すぞ?」
「はは。今はいないからな。言うなよ? あいつはまだ宿したばかりだ。流石に虚無相手では、一人で抑えこむ役を務めるのは難しいだろう。今回はお前と同じ囲む方を担当してもらう」
「そっか……それとさ、ソル兄」
「んん?」
「将軍と親父って知り合いか何かなのか? さっき、将軍だから心を決めたとか言ってたし。将軍も、あのあとすぐに馬でどこかに出て行ったし……あれ、親父に会いに行ったんじゃないか?」
詰め所を出る折、難しい顔をしたまま町の門の方へと馬を走らせるゴルヴァを見たこと。そして、口にこそ出さなかったが、打ち合わせの間にゴルヴァが何度もカミュに視線を移していたことが気になっていた。
「らしいぞ。俺もよくは知らないが」
ソルウェインは興味なさそうに答えた。
ギキョキョキョ――――。
すっかり薄暗くなり、影となって見える森の奥から蟲の声が聞こえてくる。その手前には明るく橙に燃える松明の光が幾つも見えた。
「そっか……」
カミュは、目の前のこれをどう乗り切るかの方が先かと頭を切り換えた。
夜の森はすこし肌寒い。昼にはまだ暑さも感じる季節ではあるが、日が落ちると時折ぶるりと体が震える。
そんな中、カミュの目の前には頭から湯気を出しそうなイリーナの姿があった。眉を逆立てて肩を怒らせながら歩いている。
「あんた、あんなこと言われても悔しくないの?」
「お前いつも怒ってるな……」
「私だって怒りたくて怒っているわけじゃないわよっ!」
虚無には意思というものがない。その為、居場所を突き止めることが非常に難しい。いくら、ある程度の範囲が絞れていても、その中で遭遇するには人海戦術をとるしかなかった。
二人は、今いくつも出ている探索部隊の一つとして夜の森の中を探索していた。しかし、他に出ている部隊は五人一組になって任務に励んでいる。
「まあ、言いたくなる気持ちも分かる。確かに彼らにとって命に関わることだからな」
ソルウェインが作戦を説明したおり、彼の副官が隊員らを代表して異を唱えたのだ。
進言は言葉を包むようになされてはいたが、要約すると『此度の敵は虚無である。戦闘経験がほぼないに等しいカミュと虚無の索敵に出た場合、一緒に行った者は必要以上に命を危険に晒すことになる。それは如何なものか。此度は見送って、もう少し余裕のある任務の時にカミュを実戦に出すべきだ』というソルウェインの命令に逆らうものだった。
カミュはもっともだと思った。今回ばかりは、いつもの彼への侮辱とは一線を画するものだった。しかし、イリーナは納得しなかったのである。猛然と反論し、その結果カミュはイリーナと二人だけで隊を組むことになったのだ。
ソルウェインの副官は危険すぎると再度主張したが、今度は当のイリーナが頑としてその意見を拒絶した。
貴方たちの言う危険な目に遭うのは自分なのだから問題なかろう、と。ソルウェインはそんなイリーナの意見を認めた。そして、話の終わりにソルウェインはこそりとカミュにこう耳打ちをしたのである。『……むしろ、これでよかったのかもしれんな。もう誤魔化せないぞ、カミュ。覚悟を決めろ』と。
執行人としては頭を抱えずにはいられないことではあるものの、カミュは頷くしかなかった。
それに、これならばまだなんとかできるかもしれないとも思った。闇の紋章の件だけでも隠しきれるかもしれないと。
しかし、そんなカミュの胸の内をすべて説明するわけにもいかない。その為、煮え切らない態度のカミュにイリーナの怒りは収まる気配を見せなかったのである。
「なんであんたは、そう他人事なのよっ! あんたが馬鹿にされてるのよ? きちんと分かってるの?」
立ち止まって勢いよく振り返ったイリーナは、そのままの勢いで大いにカミュを怒鳴りつけた。周りで聞こえていた蟲の声も、いつしか聞こえなくなっていた。
「もちろん分かってるさ。でも、今回ばかりは彼らの意見が正しい。相手は虚無なんだ。足を引っ張られて死にたくないと思っても、それは責められないことだろう」
「それは……。でも、なんの為の部隊なのよ。お互いを助け合ってこそでしょうがっ」
「彼らは『お互いを』ではないと思ってるんだから、それは聞き入れられはしないよ」
「でもっ」
「こればかりは俺のせいだから」
カミュがそう言っても、イリーナは不満げな表情のまま肩を怒らせ続ける。
これには、つい先程あった戦闘のことも大いに影響していた。
二人は一体の魔獣を倒していたのである。大熊ほどの大きさのある犬型の魔獣。岩のように固い八枚の鱗を背中から腹にかけて持つ上に、強靱な四肢の先には鋼の盾にすら穴を穿つ四本の爪を持っている。そして、体躯の割に動きがかなり速い。森の魔獣の中でも、出来れば出会うことを避けたい厄介な相手だった。
しかしカミュは、その攻撃を巧みに躱しながら、比較的柔かい腹部を冷静に突いてあっさりと仕留めてみせている。どう厳しく評価しようと、ソルウェインの副官が言うような『足手まとい』ではなかったのだ。むしろ、カミュに勝る腕の持ち主を探す方が難しいと容易に分かってしまうほどに。
だからこそイリーナは、なおさら怒りを爆発させていた。カミュ自身もさんざん説教されることになったのだが、ただただ拒絶するだけのソルウェイン隊の仲間たちへの苛立ちも、鎮火されずに燃え上がり続けたのである。
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