第3話 聖夜(3)

自転車を走らせながらキースは考え込んでいた。

吐く息が白くなり、消えていく。

ここ数年来ないほどの寒さがSFを包んでいた。

(姉さん…。姉さんは幸せだった。

これは間違いない。あの時、俺にそう告げた姉さんなら、きっと、)

7年前を思い出していた。

父に問い詰められ、部屋に閉じこもったラシスを。

夜。

星の瞬きがきれいに見えるような星夜。

だが、彼らの家には重たい雰囲気が流れていた。

自分の部屋でラシスはベッドに座ったまま、うつむいていた。

急にドアが開いて、戸口にはキースが立っていた。

『姉さん。』

その声にハッとしたように顔を上げた。

『なんだキースか。入る時はノックぐらいしてよね』

そんな強気な発言をしながらも、彼女の目は涙でいっぱいだった。

滅多なことで声を荒げたりしたことのない父が今回ばかりは堪忍袋の緒が切れたように何を言ってもきかなかった。

その様子を端で見ていた弟は、姉に一言言いたかったのだ。

『何でそんなに意地張るんだよ』

『………』

『Dadに一言「ごめん」って謝ればそれですむんじゃないの?』

彼は、なぜラシスがそこまで父に意地を張るのかがわからなかった。

『キースにはまだわからないわね』

指で涙をぬぐいながら、微笑んでみせた。

『子ども扱いしないでくれよ』

あの時、姉は18歳。

俺は15歳だった。

『ごめん、ごめん。そういう意味じゃないのよ』

姉は自分を手招きした。

パタン。

キースは静かにドアを閉めて中に入った。

ベッドから立ち上がると姉は窓の外を見ていた。

そして、真剣な表情でこう言った。

『Dadにもこればっかりは譲れないのよ』

『そのために謹慎させられていても?』

『うん、…そう』

二人はしばらく何も言えなかった。

キースにはラシスの言っていることがどう考えてもわからなかった。

意を決したように、ラシスはクルッと振り返って彼の方を見た。

『……今ね、私は幸せなの』

『姉さん』

『そのひとのことを思っているだけでね。「恋」をするって嫌なこともあるけど、こんなにも満たされることがあるんだって、はじめて思った』

『姉さんの好きになったやつってどんなやつなの?』

名前は知っていた。

もちろん、噂も。

だが、姉の口から直接聞きたかった。

『やさしい…人よ』

『やさしい?』

『片思いだけど』

あの噂からは想像もつかない言葉だった。

周囲の人間を死に追いやる化け物だと思っていたのに。

どんなにひどいヤツなのかと思っていたのに。

『普通にしてると冷たいとか、何を考えてかわからないって言われているけど』

『?』

『その下に人には見せないやさしさを持っている人。他の人が傷つくなら、自分が傷ついた方がいいと思いながら、血を流して生きている人』

ラシスはここでちょっと言葉を切った。

『噂を信じてはダメよ。彼が何か悪いことをしている訳じゃないわ。周りがそう勝手に言っているだけ』

何か確信があるように、ラシスは強い口調で言った。

『でも、さ、』

心配そうにキースは姉の顔を見た。

にわかには信じられない話だった。

『気がついたら、彼を好きになっていた』

そう言いながら微笑んだ姉の表情をキースは一生忘れないだろう。

憎しみも憂いも何もかも消してしまうような静かな微笑みだった。

自分は後悔していないと強い決意を表している目だった。

ラシスは右手で胸にある小さな銀の十字架に触れた。

そして、それをギュッと握りしめた。

何かを決意するように。

何かを予期しているように。

『キース?』

小さな声で、弟の名を呼んだ。

『何?』

『何でもない』

ラシスはペロッと舌を出して、肩をすくめた。

そう言って、彼にウィンクをした。

それはいつもの姉だった。

(そんなふうには見えなかったよ…姉さん)

思わずこいでいた足を止め、ブレーキをかけた。

自転車が横滑りをしながら停止した。

肩で息をしながら、空を仰ぎ見た。

青空が広がっていた。

「姉さん…」

(俺はバーンそいつに姉さんのことをどう思っていたのか聞いてみたい。本当に姉さんが命を懸けて好きでいる価値があった男なのかどうか。)

その時どこからともなく吹いてきた風が、キースの背中を押した。

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