メインヒロインはKissを奪わせない!

奈名瀬

第1話 

「プロローグ! シーン1! メインヒロイン真弓と、主人公要が挨拶を交わす場面……よーい、アクションっ!」


 監督の声とカンッという高い木製の音が響く。

 すると、それを合図に校門をくぐりサイドテールの黒髪を揺らしながら、一人の美少女が俺達に向かって歩き始めた。


 辺りは一面満開の桜並木。

 彼女の足並みに合わせて花弁が舞い散り、桜は彼女の足元を飾る。

 風が吹けば髪にくしを通すようにさらりと吹き、より一層彼女を可憐に見せるための演出をほどこした。


 そして、風に踊らされる花弁は彼女の頬に触れたいと願うが叶わず、せつなく散っていく。


 そんな、この世界の何もかもが一目置く可憐な美少女が今。


 たった今、俺達の目の前にいて。


 俺の、すぐ隣にいて。


 それから――通り過ぎた。


 うん。通り過ぎた。


 俺を始め、何人かの生徒が、彼女に向き直る。


「見て、小田桐さんよ。かわいいなぁ」


 近くの女子生徒が誰に言う訳でもなく、噂話をするように言った。

 だから俺も「ホント、俺も一度でいいからお近づきになりたいぜ」と言う。

 それが、俺の役割だからだ。


 その後も、彼女――小田桐真弓おだぎりまゆみを蝶よ花よと例えて称えるセリフがいくつか飛び交い、そんな言葉のアーチをくぐり抜けると、彼女は駆け出した。


「おはよう、要くん」


 そして校舎の前に立つ男子生徒、要洋介かなめようすけに声を掛ける。

 要は静かに微笑むだけ。

 そんな彼を見て、小田桐さんの笑みがまた眩しく光った。


「――カットオッ! 次、授業風景からの休み時間の場面! 移動!」


 監督の声を合図に辺り一帯を漂っていた学園青春臭が取っ払われる。

 周囲の生徒は、学園生活には到底必要でないだろうカメラやマイク、ステレオなんかを移動させようと慌ただしく動き出した。


 俺も次の自分の出番を確認しようと、台本を取りに荷物置き場へ戻ろうとする。


「おい、そこのモブ!」


 しかし、その途中で監督に呼び止められた。

 俺の周りのモブ達も何人かがビクリと反応したが、監督のメガホンが俺を指しているのを見てそれぞれ自分の作業へと戻っていく。


「お前次、生徒Aのセリフあるだろっ! さっさと教室行けっ!」

「はいっ!」


 俺は自分の出番が確認できたので荷物は置いたまま教室を目指そうとした。

 が、またすぐに監督に呼び止められた。


「あっ! ちょっと待て! お前、メインヒロインの荷物をお持ちしろ!」


 俺は一瞬反応が遅れる。

 状況的に小田桐さんの事だろうが、一応、このゲームには小田桐さん以外にもメインヒロインと呼ばれる人はいるのだから、間違ったりはできない。


「小田桐真弓だ! ほらっ、さっさと動け!」


 返事が遅い俺を察してか、監督は荷物を持つべき人の名前を告げた。


「わっ、わかりましたっ!」


 俺の返事を聞くと、監督は似合わない野球帽を深くかぶり直しサングラスのずれを気にしながら俺以外のモブ達、スタッフに叫ぶ。


「オイッ! テロップ、主人公のセリフ心情ちゃんと入ってんだろうな!」

「確認ブイあります!」


「よっし、次から俺が間近ですぐチェックできるようにしろっ! 映像班!」

「「「はいっ!」」」


「テロップにカメラと必要な器具、人材回してやれっ!」

「わかりました!」


「ほら、お前テロップのとこ行って来い」

「はい!」


 一人のスタッフが機材を持ってテロップと呼ばれた生徒の所へ行く。


「オラッ! 音響班! 時間ねえぞ! 即行即行即行!」

「「「はいっ!」」」


 こんな風に、監督の怒声に複数の制服姿のモブ、もといスタッフ達がせわしなく動く。

 俺は、そんな中で小田桐さんを探していた。

 荷物を持てと監督に言われたが、肝心の彼女は撮影終了直後の場所にいなくなっていた。

 頭の中に、もう先に行ったのでは? と、いう考えもよぎったが、万が一まだ行っていなかったら、荷物を持たなかったら監督になんと言われるか……。


 直接シナリオ進行に関わる事ではないが、指示に従わなかったなどと思われたらやりきれない。

 あんな監督だ。

 信用が無い奴をだらだらと使うような事はしないだろう。

 それも、メインキャストでない、いくらでも替えの利くモブなら尚更だ。


 監督に目を付けられるのは勘弁願いたい。

 だから、恥を忍んで声を張る事にした。


「小田ぎっ――」

「ちょっと、あんた」


 声を張り上げようとした瞬間だった。


「へあっ、はいっ?」


 いきなりだったので俺の声はつんのめったみたいに裏返る。

 そして、声を掛けられた方へ振り向いた途端、ボスッと胸にカバンが飛び込んできた。

 目の前にはカバンを放り投げた犯人、メインヒロインの小田桐さんが立っている。


「あんた、それ、よろしくね」


 そう短い言葉を残し、さっそうと校舎に入って行ってしまった。


「……あ、はい」


 俺はあっけに取られながら、誰も聞いていないであろう遅れた返事をこぼす。

 監督から彼女の荷物を持つように言われていたが、態度があんまり素っ気ないんで面喰ってしまった。

 あの態度、事務的とも言いづらい。


「オイッ! モブ! さっさと動かねえかっ!」

「はっ、はい!」


 そうやって一瞬、ぼうっとしていた俺に監督の怒声が飛ぶ。その他大勢のモブには感傷に浸るような時間なんてない。

 俺は、小田桐さんの荷物だけを大事に抱えて、急いで教室を目指した。


「わきゃあぁっ!」


 ……目指そうとしたら、すぐ後ろから驚いた女の子の悲鳴が聞こえてきた。

 振り返ると、ジャージ姿の女の子がCDケースやらマイクやら。ヘッドフォンや様々なコードを地面にぶちまけて転んでいた。

 地面に散乱する機材を見る限り、音響班の子だろう。

 メガネをかけて少し個性のある大きなリボンで髪をポニーテールに結っているこの子は、モブにしては少しキャラが強いなという印象を受けた。


「大丈夫? これでドジッ娘属性まで付いてないよな」


 初対面の子に対して言うセリフじゃないなと思いつつ、俺は彼女に手を差し出す。


「あっ、すみません。ありがとうございます」


 俺の声が聞こえていなかったのか、彼女は素直にお礼の言葉を口にして手を取る。

 俺は彼女の手をしっかりと握り引っ張り起こした。

 そうすると彼女が機材をぶちまけた理由がわかった。


 彼女の周りの散乱した機材はダンボール箱に入れて運んでいたんだろう、俺達の足元には二つの空になった箱が転がっている。

 この子は、ダンボール二つ分の荷物を一人で運んでいたのだ。

 そして、外見で身長が小さいのは一目でわかったのだが、この子、手も小さければ体の線がなんとも細い。

 だぶっとしたジャージのせいでわかりづらいが、手を引いて起こした時の軽さと言ったらまるでこどもの手を引いたみたいだった。

 こんな体の細い子にあれだけ荷物を持たせれば遅かれ早かれこけるのは目に見えている。

 むしろ、この細い体で持ち上げただけでも褒めるべきだ。ドジッ娘なんてとんでもない。

 しかし、こんな細っこい女の子にこんな荷物を運ばせるなんて、無茶な事させる奴がいたもんだ。


「こけたとこ痛くない? 怪我とかは?」


 起き上り、パンパンとジャージに着いたほこりをはらう彼女に社交辞令な言葉をかける。


「そんな、こんな世界で怪我も何もありませんよ」


 すると、彼女は明るく笑いながらそう返した。


「ああ、そっか。悪い、変な事訊いたな」

「いえっ、ご心配ありがとうございます。ちょっとびっくりしちゃいましたけど」

「びっくり?」


 話題がなく、半分沈黙が流れるのを避けたい気持ちでそう訊き返してしまった。

 けど、よくよく考えたら転んで驚くと言うのは変な事じゃない。また変な事を訊いてしまった。

 早く訂正をしないと。


「あ、悪い。今の無――」

「いやぁ。荷物を運んでたら目の前にいきなり立ち止った人影が見えたので。ぶつかるのを避けようとしたらバランス崩しちゃったみたいです」


 ズシリと心に重りがのしかかった。


「あはは、情けないですよね」


 恥ずかしげに笑みを浮かべながらそう言う彼女は、屈んで落ちている機材を回収し始めた。

 状況を整理すると、それって俺の所為でこけたようなもんじゃないか?

 ぼうっと俺が立ち止まって彼女を驚かせて、俺にぶつからないように配慮して転んで……あ、


 俺は、そんな子にドジッコ娘とか言ったのかっ?


「て、手伝うよっ!」


 迫りくる罪悪感を振り切る為に、彼女以上に素早く多くの機材を箱に戻していく。

 そんな俺を彼女は不思議そうに見ていた。


「ありがとうございます」


 そう言って、へにゃりと笑って、わかりやす過ぎる感謝の気持ちを伝えてくれる。

 浸み込んでくる天使みたいなやわらかい笑顔。

 募っていく俺の罪悪感。


「べ、別にいいって」


 悪態をつくとはいかない程度に、乱暴に気恥ずかしさを振り払う。


「あはは、ごめんなさい。ぼく、ホントにドジですよね」


 そう言ってまた笑う。この子は、よく笑う子なんだな。

 ていうか……ぼくっ娘属性っ?

 予想の斜め上からの急カーブに、俺は顔を引きつらせて心の中で叫んだ。

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