第5話 鮮烈な出会い


『今度こそ本当に酔いどれのアナコンダに連れていけ。もし違う所に着いたら問答無用で撃つぞ。後、勿論タクシー代は無料サービスだ。解ったな?』


『わ、解った。解ったよ、クソ!』


 厳しい口調のライアンに運転手は毒づきながらも銃を恐れて不承不承従う。一方ティナは未だに唖然としたままライアンと、彼の手の中にある銃を見比べていた。


「ラ、ライアン。あなた、そんな物どこで……」


「勿論アメリカから持ってきたんですよ。空港の検査は厳しいですが、事前に対策していればピストル一丁程度なら持ち込んでしまえるんです。ハイジャック犯が同じ方法を発見しない事を祈るばかりですね」


「……!」


「行き先がベネズエラだという事で、もしかしたらこういう事態もあるかもと準備しておいたのが役に立ちましたよ。先生も今後は気をつけて下さいね? ここはアメリカではないんですから、法治国家の常識は通用しません」


「う……」

 顔を赤らめたティナはバツの悪い気持ちになって俯く。自分は何の準備もしておらず、いざ非常事態になったらパニックになるばかりで何ら能動的な行動も取れなかった。これでは平和ボケと言われても仕方ない。


 しかしライアンが居てくれて本当に助かったのは事実だ。もし自分一人だったら、為す術もなく捕まって売られていた事だろう。年下の院生に助けられたのだ。ティナは自分で自分が情けなくなった。 

 

(駄目ね……もっとしっかりしないと。こんな事じゃとても父さんを探すなんて出来ないわ)


 ティナは心の中で自分に喝を入れた。



「そうね。私も認識が甘かったし、今後は気を付けるわ。とりあえず今回は本当に助かったわ。ありがとう、ライアン」


 助けられた事には素直に礼を言っておく。ここで変にプライドを拗らせて意固地な態度を取るのは余りにも大人げないという物だ。


「いえ、いいんですよ。自分が付いてきた甲斐があったという物です」


 ライアンは少し照れくさそうに微笑んだ。その後も彼は運転手にずっと銃口を突きつけたままで、再び二十分程車を走らせた頃だろうか。タクシーは表通りからは一本入った場所ながらそこそこ大きい通り沿いにある、派手な装飾の建物が見える位置に停まった。



『……着いたぜ。あそこがお望みの酒場だよ』


 運転手がその大きな建物に顎をしゃくる。割と時代がかった建物で、出入りがしやすいように正面入口が通りに向かって大きく開いている。入り口の上には大蛇のシンボルと共に、『酔いどれのアナコンダ』という店名が掲げられていた。間違いないようだ。


『……約束通り連れてきたぜ。早く降りてくれ。勿論料金はいらねぇ。だからもう行っていいだろ?』


 運転手が哀れっぽい声で懇願する。ティナはライアンの顔を見た。彼は大きくため息を吐いた。


『ここで間違いないようだな。なら約束通り撃たないでおいてやる。二度と僕達に関わるんじゃないぞ。解ったな?』


『わ、解ってるって……へへ』


 ライアンの脅しに運転手は媚びへつらうように愛想笑いを浮かべながら、何度も首を縦に振った。


「行きましょう、先生」

「え、ええ……」


 ライアンに促されてティナは先に車から降りる。続けて銃を仕舞ったライアンも降りてきた。ドアが閉まるとタクシーは一目散にその場から走り去っていった。




「…………」


 それを見届ける事なく、ティナの目線は既に『酔いどれのアナコンダ』に向いていた。看板を見上げてから、広い入口に視線を移す。中からは酒や料理の匂いが通りまで漏れ出て、酔っ払った男達のだみ声や女の嬌声と思しき声も聞こえてくる。また種類は分からないが軽快な感じのラテン音楽も聞こえる。


 典型的な低所得者向けの大衆酒場のようだ。ティナは先程の体験を思い出し、決して気を抜かないように心を引き締めてから酒場の入り口に向かう。時刻は間もなく夕方に差し掛かろうとしている。ゴロツキ達が酒場に繰り出すには丁度よい時間帯だ。件のイサークという男は果たしているのだろうか。


 ティナは酒場の入り口の扉を押し開けようとして……


 ――ドンッ!!


「っ!?」


 扉が『中から』開いた。そしてティナは吹っ飛ぶようにして飛び出してきた男の背中にぶつかってよろめき、そのまま尻餅をついてしまった。


「きゃあっ!」

「せ、先生!?」


 ライアンが慌てて駆け寄ってくる。中から吹っ飛んできてティナにぶつかった男は、そのまま道路に転がって呻いている。



(な、何……? 何なのよ、一体……!?)


 尻餅を付いたまま混乱する彼女の見上げる先で扉が再び開いた。しかし今度はちゃんと人の手で開けられたものだ。


 中から出てきたのは身長が6フィート程はありそうな体格の良い男であった。片手に酒の入った瓶を抱えており、瓶から酒をラッパ飲みしながら倒れた男とついでにティナ達を睥睨する。


「……っ」


 その男と目が合ったティナは、何故か息を呑んだ。男はヨレヨレの服を来て無精髭を生やしただらしない身なりだったが、その瞳だけは吸い込まれそうなブルーであった。ラテン系やヒスパニックではなく白人だ


 ティナが声も出せずに男を見上げていると、男は鼻を鳴らして地面に倒れている男に視線を移した。 


『へっ、ざまあねぇな。そんなだから俺に女を寝取られるんだよ。この国じゃ弱い奴に価値なんて無ぇ。あの女は自分から俺に抱いてと迫ってきたんだぜ? 解ったらさっさと尻尾巻いて消え失せな。殺されないだけありがたく思えよ?』


 白人の男は流暢なスペイン語で倒れている男を扱き下ろした。どうやら見た目通りの荒くれ者らしい。倒れていた男が呻きながらも自力で起き上がった。白人の男を睨みあげながら、恨みがましい唸り声を上げる。



『クソ……イサーク・・・・ゥゥゥッ!! 覚えてやがれ!』



「……っ!?」

 ティナは目を剥いた。


(え……まさか、このゴロツキみたいな人が……?)


 ティナが唖然としている間に路上の男は駆け逃げていき、酒場の中から男の仲間と思しき男達もまろび出てきて、白人の男――イサークに悪態を吐きながら、やはり一目散に逃げ去っていった。全員目や頬が腫れ上がり、血を垂らしている者もいた。


『へっ! 腰抜けどもが! この酒を飲み干す頃には綺麗サッパリ忘れてるだろうぜ!』


 逃げた男達に啖呵を切った後、イサークは再びへたり込んだままのティナに視線を向けた。



『よぉ、嬢ちゃん。悪かったな。つまんねぇ喧嘩に巻き込んじまって。怪我は無かったかい?』


 イサークが手を差し出してきたが、反射的にその手を取ろうとしたティナを遮るようにライアンが割り込んで、彼女を強引に立たせた。


『この人に触るな、薄汚いゴロツキが!』「先生、大丈夫ですか!?」


「え、ええ、ありがとう、ライアン」


 スペイン語でイサークを牽制しつつ、英語でティナを気遣うという器用な真似をするライアン。とりあえず彼の手を借りて立ち上がったティナは服の埃を払う。


 その様を見ていたイサークが苦笑しながら肩をすくめた。


「なんだ、随分おっかない彼氏だな? 英語が喋れるなら外国人か? こんな所に来るなんざ随分物好きだな。ま、無事だったならそれでいいさ。ここは嬢ちゃんみたいな女が好んで来るような場所じゃないぜ。痛い目見ない内に帰んな」


 やはり彼もこの国の出身ではないようだ。イサーク自身も流暢な英語でそう言うと、そのまま踵を返して酒場に戻っていこうとする。


「あ、ま、待って!!」


 ティナは反射的に彼を呼び止めていた。イサークが振り返る。



「あなたイサーク・デュランよね? 私はヴァレンティナ・トラヴァーズ。アメリカ人よ。ここには正にあなたに会う為にやって来たの。ちょっと話をさせて貰えないかしら?」



 ティナがこの機会を逃すまいと早口でまくしたてると、イサークはその剛毅な面貌には似つかわしくない、キョトンとした表情を浮かべてティナを見返すのだった……

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