第3話 父の消息


「じゃあ確かに渡したよ」

「あ……は、はい。ありがとうございました、教授」


 気もそぞろに生返事を返すティナ。意識は完全に封筒に集中していた。ベッカーが退室するとティナは即座に封筒を破って中身を取り出す。中には何枚かの写真と一枚の手紙が入っていた。


「……っ!」

 写真を見たティナは息を呑んだ。何枚かの写真は全て同じ人物を隠し撮りしたような構図になっており、そしてティナはその人物に見覚えがあった。もう十年ほど前の記憶ではあるが、写真の人物は殆ど面影が変わっていなかった。若干髪が薄くなって白髪の割合が増えた程度だろうか。


(……っ。父、さん……!)


 ティナは感極まってしまう。彼女の記憶の中の姿から十年ほど足せばこの写真のような姿になるはずだ。つまりこの写真は本物で、十年前に南米で消息を絶ったはずの父は生きていたのだ。


 続いて手紙に目を落とす。そこには紛れもない父の筆跡で書かれた文字が並んでいた。




『事情があって長い文面をしたためる事が出来ないので簡潔に記す。ティナ、お前の力が必要だ。私を助けてくれ。私はベネズエラ、アマソナス州のジャングルの奥深くに囚われの身となっている。カラカスでイサーク・デュランという男を探せ。普段は『酔いどれのアナコンダ』というバーにいるはずだ。お前の力になってくれる。お前と無事に会えたら、今までの経緯を全て話す。お前だけが頼りだ』




「…………」


 十年もの間音信不通となってその生死すら定かではなかった父からの頼りは、説明らしい説明も殆ど省いた極めて事務的な文面のみであった。何の事情か知らないが、謝罪や自分と母の安否を心配する一言くらいあっても良いのではないか?


 だが静かな怒りと失望を感じるのと同時に、父が囚われの身になって助けを求めているという事実に激しく動揺していた。


「先生、どうしたんですか? その手紙と写真は……?」

「ラ、ライアン……」


 ティナの尋常でない様子を訝しんだライアンが声をかけてきた。動揺していたティナは咄嗟に誰かに縋りたい気持ちになり、救いを求めるように助手に手紙を見せていた。


「こ、これは……先生の助けが必要? 囚われの身って……。誰なんです、この男性は?」


「……コンラッド・トラヴァーズ。私の父よ。それも十年前に南米で消息不明となっていた、ね」


「……!!」

 ライアンが目を見開いた。いきなりこんな話を聞かされたら誰だって絶句するだろう。



「そ、それは知りませんでした……。それで、どうするつもりなんですか?」



「……これが手の込んだイタズラという事はあり得ないわ。父は生きていて、おそらく本当に何らかの危機に陥っているのよ。それを見過ごす事なんて……出来ない。父を探しにベネズエラに行くわ」



 ライアンと話している内に気持ちが落ち着いてきて、自分の意思が固まってくるのを感じていた。


「な……ほ、本気で言ってるんですか!? この手紙だけじゃろくに情報もありません。南米は治安の悪い場所も多いですし、危険ですよ! 警察なり大使館に見せるなりして対処してもらった方が……」


「南米の警察や大使館が本気で探してくれると思う? 絶対に関わり合いになりたくなくて黙殺されるか、大量の賄賂を要求されるに決まってるわ。当てになんかならないわ」


 ティナとて南米の司法の腐敗ぶりは知っている。大使館も確実に現地の司法と癒着しているはずだ。まず間違いなく自分の足で探した方が確実である。


「ずっと消息不明だった父が生きていて、僅かとは言え手がかりもあるのよ? しかも父は私に助けを求めている。私は絶対に行くわ。止めても無駄よ」


「…………」


 ティナの決意を感じ取ったのか、ライアンはそれ以上止めようとはせずに何かを考え込むような挙動となった。そしてやにわに顔を上げた。



「……分かりました。もう止めません。その代わり僕もご一緒させて頂きます」



「え……? な、何を言ってるの、ライアン? これは私の問題なのよ?」


 彼には一切関係ない話だし、巻き込むわけにはいかない。そう思ったが、ライアンは絶対に意見を翻す気はないらしくかぶりを振った。いつの間にか立場が逆になっている。


「先程言ったでしょう。南米は危険なんです。そんな所に女性一人で赴くなんて無茶が過ぎます。ましてや先生は、その……とても男性の目を惹きやすいんですから、余計なトラブル回避の為にも男の連れがいた方が絶対いいですから」


「ライアン……」


 ティナは若干言葉に詰まってしまった。しかし彼の言う事は尤もであった。アメリカ国内ならいざ知らず、治安の悪い外国へ自分一人で赴いて、行方も知れない誰かを探すなど確かに無茶な話かも知れない。


「それに僕はルームメイトがメキシコ人だったのでスペイン語も話せますし。連れて行って損は無いですよ?」


「あ、ありがとう、ライアン。でも……どれくらい掛かるかも解らないのよ? あなたは論文があるんじゃ……?」


「そんな物は先生のご事情とは比べるべくもないですよ。それによく考えたら南米はクモ類の宝庫です。社会性クモ類の研究に関しても、むしろ丁度よいフィールドワークが出来そうですよ。ジャングルのどの辺まで潜るかにもよりますが、もしかしたら新種のクモだって発見出来るかも?」


 転んでもただでは起きないという事か、ライアンはちょっとおどけたように片目を瞑った。それを聞いてティナも心理的な負担が減ったように感じた。父を助けるためだ。ライアンが自分から協力したいと申し出ているのだから遠慮する必要はない。


「分かったわ、ライアン。じゃああなたの協力、喜んで受けさせてもらうわ」


「そうこなくちゃ! 先生はパスポートは大丈夫ですか?」


「ええ。以前にベッカー教授の付き添いで、ドイツの学会に行ったときに取得した物がまだ有効なはずよ。あなたは?」


「僕も研究論文の為にどの道国外に出る予定でしたから取得済みなんです」


「そう、それは良かったわ。じゃあ準備が出来次第という事で、三日もあればいいかしら?」


 今の御時世、観光的魅力も薄いベネズエラ行きの飛行機など予約しなくとも席は取れるだろう。ライアンは頷いた。


「分かりました。では三日後に。それまでに準備を整えておきます」


「ええ、頼むわ。ライアン……本当にありがとう。感謝してるわ」


「いいんですよ。先生には普段からお世話になっていますから、その恩返しみたいな物です。どうか気にしないで下さい」


 そう言ってライアンはニッコリと微笑んだ。




 こうして思わぬ成り行きで、ティナの夏休みの予定はベネズエラへの小旅行となった。これが文字通りの小旅行となるか、はたまた地獄の行脚となるか……。


 それはまだ誰にも解らない。

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