第163話 なつかしい紙、ではありません
重傷から危機を脱した王弟――――――そう強く印象づけるために、兄上様達はあえて大々的に、
「殿下、御身体ご快復のほど、おめでとうございます!」
「本当に重篤なお怪我であったとか……御身の無事を心よりお喜び申し上げます」
「さすがは殿下でございます。野蛮な賊の凶刃など、殿下の御命に届くはずもなく」
―――次々と僕に殺到してくる貴族の人たち。
いつもの
「(うん、アイリーンは連れてこなくて良かった)」
レイアを不特定多数の人前に出すにはまだ早いので、アイリーンはそのレイアに付きそう理由で今回は不参加。代わりと言っちゃなんだけど、ビキニアーマーで武装したヘカチェリーナ率いる護衛メイドさん達数人が、常に僕の周囲で張ってる。
それだけじゃない。
「(あそこにいる人も、あっちもそう……あ、あの人もだ)」
貴族達に紛れて見た事ある顔がチラホラ―――王城務めの兵士さん達だ。
いわゆる私服警官的な感じで、貴族っぽい
「(警備も護衛もバッチリと。これだけ厳重だと、何かしでかそうっていう人はいないよね、さすがに)」
アイリーンなら、表向きはニコニコしておくびにも出さないけど、実際には周囲の人間の気配や指先の動きまで察知しているようなフシがある。
だけど普通の護衛のメイドさん達や兵士さん達はその域には及ばない。常に、いかにも警戒してますよと言わんばかりの視線と雰囲気を醸してる。
警戒状態にある中で僕にちょっかいをかけようとするのは相当難しい。でも、ない可能性もゼロじゃないから、僕もちゃんと注意はしていよう。
「ヘカチェリーナ、左から3番目のグラスを僕に」
「はい。かしこまりました、殿下」
さすがのヘカチェリーナも、今日は貴族令嬢の猫を被って大人しい。侍従の者として完璧な所作で、テーブルの上の飲み物の入ったグラスを持ってきた。
僕はそれを受け取ると、
「? おや、殿下。ハンカチかと思いましたが……それは紙のようですね?」
すぐ近くにいた貴族男性が、不思議なものを見たような表情を浮かべてる。
「はい、これはハンカチの代わりです。他にも咄嗟に文字を書き留めたり、汚れを拭ったりと多用途を前提としたもので、
この世界にはポケットティッシュがない。紙自体が安い普及品じゃないからだ。
なので通常はハンカチがティッシュの代わりなわけだけど、たとえばこういう場で途中、立食の際に使って汚れてもハンカチだとそのまま持ち続けることになる。
だけど使用後、廃棄前提のモノなら使用人なんかに預けて処分を任せてしまえる。汚れたハンカチを持ち続けるのと違って衛生的だ。
「ほぉ……なるほど、そのように言われますと確かに。ですが紙では、都度廃棄というにはお高くつくでしょう?」
彼がそう思うのも無理ない。むしろそんな使い方をしてなんて贅沢な、って嫌味を言われなかったのが意外なくらいだ。
だけど、そこにはカラクリがある。
「実はこのポケットペーパー……廃棄書類を再利用した、僕の自作物なんです」
そう。そもそも製紙業者も商人も通してない。
僕が公務なんかで処分される紙の束を見て、何かに利用できないかと考えた結果、試しに作ってみたのがこの懐紙だ。
きっかけはある日、ヴァウザーさんのところでポーションの制作の話をしていた時のこと。
かつて彼が住んでいた村の人のために血止めの軟膏を作ろうと研究してた際に、紙面や羊皮紙の上に中間素材となる液体を誤まって落としてしまった。すると書かれた文字が完全に滲んで読めなくなってしまったと。
それを聞いた時、僕はピンと来たんだ。
『(その液体が簡単に作れるモノなら、処分する書類にかけて乾かして、適度な大きさに切り整えれば、懐紙的な用途に使える紙として再利用できるかも?)』
そもそもが捨てる前提、真っ白で上等な必要がない。書かれてた文面が完全に読めなくなっていて、それなりに文字を書いたりできるレベルで十分。
実際に試してみたら、液体の効果は抜群だった。さすがに完全とまではいかないけど、8割がた文字のインクが紙から浮かんでかなり綺麗になった。残りの滲んで取れない分も、解読不可能でいい具合に模様じみていてお洒落だ。
「いやはや、驚きました。殿下は面白いモノをお作りになられる」
「いえ、療養生活は退屈でしたから。むしろこのくらいのモノしか作れなかったことが、恥ずかしいかぎりです」
この返しはちょっとしたジョークだ。言葉遊び的なものは一切ない――療養生活なんだから療養していなくてはいけないのにそんな事をしていた――っていう状況を皮肉った、上品な席での雑談に沿える一欠けらのスパイス。
なので相手の貴族男性も笑顔で和やかに笑う。合わせて僕も軽く笑う。
もっとも、暇だったから色々やってた、っていうのは本当のことなんだけどね。
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