第80話 先回りしてやられたのです
――――――ヘカチェリーナを抱いた次の日。
「………」
僕は部屋でボンヤリしていた。
ヘカチェリーナは衝動的に
「(―――いくら考えても理由が分からない。本人に聞いても、” したくなったから ” ってだけ……)」
彼女は本当に優秀だ。秘めたものがあっても、それをまったく表に出さないし匂わせない。何を考えてるのか分からないけど、僕にとって良くないことをするコじゃない……と思う、たぶん。
「……うん、この件はひとまず置いとこう。もしこれからもしようとしてきたら、その時に聞き出せばいいし」
こう言っちゃなんだけどたぶん今、この世界で僕は一番テクニシャンな男性だと思う。もちろんそれは、前世から引き継いだ性知識と、この世界の性常識の差のおかげだ。
実際、ヘカチェリーナは初めてだったけれど、かなり僕にしてやられてた感じの反応だった。本気で押しきれば、何でも喋ってくれる状態まで持っていける自信がある。
「(あ……しまった、した時に問いただせばよかったのか)」
僕も突然のことだったし、ヘカチェリーナの反応に満足して行為にのめり込んでしまった―――まさか僕が夢中になるのも織り込んでた?
「いやいや、さすがにまさかね。そこまで考えてとか策士にもほどがあるよ」
一体何を考えてあんな事をしたんだろう? それも閨の時間にじゃなく、机仕事中に。彼女の考えてることが見えてこなくて不安はある。
けど、ヘカチェリーナのことばかり考えているわけにもいかない。
『殿下、馬車のご準備が整いました』
メイドじゃない。護衛の兵士さんの声が、扉の向こうからかかる。
「ご苦労さまです。すぐに出立いたしますので、もう少しそのままで待機させておいてください」
お出かけの時間だ。少し前から考えてた計画を実行に移す。
「(よっし、今日は攻め込むって決めたんだ、気持ちを切り替えていかなくちゃ)」
エイルネスト邸。
僕はクララのことで自分から攻め込むことに決めた。消極的なアピールじゃなく、こちらから積極的に立ち向かう事にした。
「―――なるほど、それはなかなか興味深いお考えだ、しかしそれでは問題も多いと思われますが?」
「輸送コストと人員、ですね。信頼は目では見えませんから、特に人員を確保することに難が生じるのは確かです。しかしそこには―――」
最上級の応接間で、僕はエイルネスト卿と問答を交わしていた。
それは実際の政治にかかわるお話。それもこの王国の、本当にいまある課題について、意見をぶつけ合ってる。
エイルネスト卿の武器は、その性格と知識とこれまでの経験から。僕は前世の記憶と知識を頼みにした、保守 vs 改革 といった感じの論戦だ。
「(でも、さすがエイルネスト卿はすごい。ただ威張ってるだけの大臣たちとは大違いだ)」
僕が、この世界だと斬新になる意見を提示してみせると、興味を示しながらも即座に問題点を指摘してくる。
さらにその長所短所を見抜いてそれを鋭く突いてきながら、僕が何と言い返すのか楽しみだと言わんばかりに、さらなる言葉を引き出そうとしてくる。
「(話術もすごい。ずっと平静平坦なままなのに、要所要所で僕の感情を逆撫でしてやろうっていう意図的な挑発を混ぜて来る)」
いっても僕は王弟だ。しかも兄上様達が僕を可愛がっていることはエイルネスト卿も知ってるはず。
そんな僕の気分をあえて逆撫でしようとする―――兄上様達が怖くないわけじゃない。怒らせるようなことになっても、どうとでも乗り切れる自信があるんだ。
だから挑発にはのらない。にこやかに、平静に、それでいて上手く
これは、クララを獲得するための攻勢だ。僕の人となりや将来性を、論戦という会話の場を通じて直接感じ取ってもらう。
それが、彼の
もっとも本当は、ただの世間話をするつもりだったんだけど。
・
・
・
2時間。僕とエイルネスト卿は対面したまま、実に6件の政治案件に関して論議をかわした。
「―――正直に吐露いたしますれば、大変驚いております。殿下はまだまだ子供であると、自分はどこかで侮っていたのやもしれません。謝罪させていただきます」
「いいえ、謝罪は不要ですエイルネスト卿。僕の容貌は、貴公が侮られても仕方のないものですし、それで油断していただけたなら
僕はにっこりと微笑む。
エイルネスト卿は
自分の短所を短所と嘆く人間より、短所を用いて利を得るような考え方をする人間を良しとしていると判断。
だったら僕の場合、歳の割に幼く見えることをコンプレックスだと言うよりも、武器にしてやるっていう態度の方が、好印象を与えるはず。
「! ……フッフフッ、これは殿下に一本取られたようです」
エイルネスト卿から自然な笑みが漏れた―――僕の考えは大当たりみたいだ。
けど、だからこそこの御仁は、崩す難易度が高い。
「―――殿下、娘はマーイッシュ伯爵に
「!」
エイルネスト邸から帰る馬車への搭乗間際、そうポソリと呟いてきた彼の表情は、なんとも挑戦的な笑顔だった。
つまりそれを聞いた僕が、いかにしてクララを獲得せんとするか、それを見せてもらいますよ、ということ。
マーイッシュ伯爵は、50越えのお人好しそうな柔和な顔をした太った男性だ。しかし、日和見貴族達の中でも最大の権威を持ってる貴族でもある。
確かにエイルネスト卿からすれば、娘の政略結婚に相応しいって考える候補だろう。
だからといって、それをみすみす許すわけにはいかない。
エイルネスト卿らしいといえばらしい挑発―――僕は、受けて立つと言わんばかりに微笑み返してから、馬車に乗った。
――――――殿下がお帰りになられた後、私は別宮で習い事をしていた娘を呼びつけた。殿下が来ていたことは知らせてはいない。
「お呼びでしょうか、お父様?」
完璧な作法と所作―――どこに嫁に出しても恥ずかしくない淑女として、完成された我が娘。
しかし、表に出す感情は無。まるで動き話す人形のような温かみのなさ。当然だろう、私が政略結婚の道具としか見ていないことを、聡い娘はよく知っている。嫌われているのは必然の道理というものだ。
「……クルリラ。これから、お前にある大事を申し渡す」
一瞬だけビクリと肩をふるわせた娘。その心情はついに来たか、というところだろうか。
私は、ほんの少しだけ悪戯心から愉快な気分になってしまった。
明瞭簡潔を好む自分らしからぬ、もったいぶった回りくどい言い回しを意図して選ぶ。
「大事とは他でもない、お前の嫁ぎ先について、だ」
「………、はい」
動揺はない。が、返事に力がない。
殿下と好き合っていることは知っている。その上で、どこぞの貴族に嫁がされるのは、理解はしても感情では納得したくないことだろう。
「マーイッシュ伯爵は知っているな? 昔から、お前のことをいたく気に入っておられたな……」
「っ?!」
初めて娘に動揺が生まれた。
当然だ。私の語り方からすれば、嫁ぎ先はマーイッシュ伯爵だと言ってるも同じに聞こえているはず。
しかもマーイッシュ伯爵は、穏やかで優しい人格者ではあるが、娘とは年齢差が完全に祖父と孫娘のソレ。夫婦として並び立つには不揃いだ。
それでも娘は納得したのだろう。諦めを滲ませるような表情に変わっていくのが分かる。あるいは、まだ夫として人柄的に、有象無象の貴族よりかはマシだと思ったのかもしれない。
「(……こうして向き合ってみると我が娘にも豊かな感情があったのだな)」
御家のために政略結婚を強いる非情の父。絶望の未来に感情を捨てて道具となるべく教育された娘―――のはずだったというのに。
ふと気づいてみれば、いつのまにやら自分も娘もそこから
自然と微笑んでしまう。意地悪はここまでにしておくかと、不思議と優しい気持ちがこみ上げてきた。
「そのマーイッシュ伯爵だが、お前にはこう述べてもらいたいと言ってきた。“ 娘御と
「……え」
私はこの時、おそらくは人生で一番の、意地の悪い笑みを浮かべていたに違いない。
暗く沈んだ娘の表情が、私の言葉の意味を咀嚼していくにつれて、どんどん変わっていく。年齢不相応に幼くなっていくようですらあった。
今頃は殿下も驚かれているかもしれない。あるいは私にしてやられたと笑っておられるか。
そこは兄君である王より、いかな伝え方をされるか次第だろう。
「(だが、
帰り間際の、私の言葉を聞いた瞬間の殿下の顔を、おそらく一生忘れはしないだろう。
政略結婚の道具としても一人の娘の父としても、我が子を嫁がせるに値する人物であると確信させるほどに、未来に向かう意志を持った、あの微笑みを。
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