第72話 まだ凱旋はできません




――――――王城。王の執務室。



 現地の弟君より届いた報告書を呼んでいた王は、その視線を上げて執務室に詰めている一同に意を向ける。



「……本当によくやってくれました。この戦果は正直、驚くべきものでしょうね」

 至極真剣な眼差し。


 柔和なイメージのある当代王だが、王弟殿下がいらっしゃらない場では、その視線は氷の刃のように鋭くなることがある。

 ご本人に自覚はないのかもしれないが、あの視線に射すくめられて萎縮する肝の小さい大臣は多い。


「(穏やかそうな外見からはそうは思えぬが、さすがはあの宰相殿と御兄弟……類したモノを持たれておられる)」

 あるいは今、戦場に出向いておられる王弟殿下にも、この鋭く他者を貫く気質が備わっているかもしれない。


 そうであれば、当代の王室は先代の頃よりも遥かに強固なものとなるだろう。この国の未来は安泰―――と思いたいが、残念ながらそれを阻む国内の問題は少なくない。


「陛下におかれましてはこの度の弟君の・・・ご戦勝、まことにおめでとうございます」

 迂闊な大臣が一人。

 自分の覚えを少しでも良くせんとおべっかを使う者は、こういう緊迫した案件で粗相する。そしてその事に自分で気づけない。


「……今回のヒルデルト准将の・・・・・・・・勝利は他に類を見ないほど大きな勝利と言えるかと」

 宰相閣下がそう言葉にしたことで、この粗忽者は冷や汗を流したに違いない。1歩踏み出していた足を引いて居並ぶ大臣の列に戻り、埋もれ隠れるようにその身を萎縮させていた。


 かの地のいくさの結果次第では、魔物の群れは王都にまで達する可能性があった。そんな緊迫の案件で上位者に媚びへつらうために事実を曲解するなど不謹慎にもほどがある。


 眺めていて実に滑稽なことだ。これだから欲深い貴族ブタは度し難い。



「……陛下、進言をお許し願えますでしょうか」

 私はゆっくりと平坦な口調で伺い立てる。もし魔物の群れが眼前に迫ってでもいるというのであればともかく、現状況では急いで意見を述べる必要もない、

 

「許可する、エイルネスト卿」

 陛下の口調はまだ不快感を引きずっている。優秀な御方ではあるが、この辺りの切り替えに関してはまだまだお若い―――しかしそれも良し、完璧すぎる王など仕え甲斐がないというものだ。



「殿下の報告によりますれば、現地は死闘激闘の直後で多くの死傷者が出ている模様。……特に主力であったヒルデルト准将旗下きかの兵達は、生存した者も重傷者ばかりとのこと。此度こたび、この王都への魔物の到来を阻止した勇敢な兵士達にこれ以上、死者が増えることがあってはなりません。大至急、医療をはじめとした支援部隊を編成し、向かわせるべきかと」

「……エイルネスト卿、迂遠な言い回しはよしてください。既に準備をさせているのでしょう?」

 つい口元が緩みそうになった。仕える主が、この執務室での会議に先立って部下が打った手を見通し、それを指摘――――――配下の者としては一種の心地よさすら覚える。


「ハッ。これは1秒でも早さが求められる案件であると認識しておりますれば、独断で進めさせたこと、どうかお許しを」

「構いません。弟に何かあっては困りますし、傷ついた我が国の兵士達に、これ以上不幸があってもいけませんからね。可能な限りの支援体制を準備し、急行させてください……ですがその準備に一つ、追加で添えて・・・頂きたいものがあります」








――――――王都から西へ20km地点。



 僕達は重傷者を多く抱えてる。彼らは動かせないので治療のため、魔物の軍団の残党掃討が終わってからさらに数日間、王都に帰還することなくこの場に陣を敷いたまま留まっていた。




「申し上げます! ただいま使者が参りまして、怪我人を引継ぐ支援部隊がもうすぐ到着するとのことです!」

「分かりました。では皆さんに、支援部隊の受け入れ準備をするように伝えてください。特に怪我人を収容している陣には支援部隊到着後、すぐ治療に当たってもらいますから、そのつもりでお願いします、と」

 セレナは、自分がいるのでお城に帰還してもいいと言ってくれたけど、そういうわけにはいかない。

 重傷者の治療体制がしっかり整うまでは僕だけ帰るなんて出来ない。それこそ薄情な王子様だなんて思われたくないし。


「……兄上様達なら、きっと手厚い医療支援を送ってくれるでしょう。ようやく僕達も一息つけそうですね」

 そもそも僕の部隊は後援を役割として参戦している。支援部隊の到着まではサポートを担うのが当然だ。たとえお飾りでも、そのトップを務める僕がさっさとお家に帰るなんてありえない。



「お疲れ様でした、殿下。きっとアイリーン様も殿下のお帰りを首を長くしてお待ちになっていらっしゃるでしょう」

 エイミーがお茶を差し出してくる。木製の無骨なコップに明るい色の、黄茶とでも言うべきお茶が入ってる。


 これでもこの陣内にある一番マシな食器の一つだ。戦場には基本、メイドがいないのでこういうのは近衛の仕事だけれど、エイミー達が合流してからは、エイミーやヘカチェリーナが僕の世話を焼いてくれてる。


「ありがとうございます。他の方々には―――」

「大丈夫です。今、ヘカーチェちゃんが近衛の方々と手分けして配りにいってます」

 さすが元専属メイド。僕の意向がよく分かってる。


 おかげで色々と大助かりだ。瀕死の兵士さん達を抱え、彼らの容態を心配する日々も、二人がいてくれたおかげで精神的にかなり楽になってる。


「(……帰ったら、アイリーンといっぱいお話しよう)」

 自分の領分なのに同行できなかったアイリーンは、きっと色々たまってるに違いない。

 たくさんかまってあげよう―――僕がそう考えていた、その時。





「バーン!! 旦那さまっ! 貴方さまのアイリーンが、ただいま到着ですよっ!」

「ぶふーっ!!? な、え……あ、アイリーン?? ど、どうしてここに??」

 天幕テントの入り口を閉ざしてる布を、バサッと両開きにして元気よく登場した僕のお嫁さん。

 その後ろから、たぶん彼女が来たことを先に報告する役目を担うはずだったであろう兵士さんが、困りますと言いながら追いすがってるのが見えた。


 きっと僕に会いた過ぎて制止も聞かず、この陣に到着してから即この天幕テントまで一直線にやってきたに違いない。


 僕はビックリして思いっきり口に含んでいたお茶をふいてしまう。


 結果、魔物の軍団に迫られて撤退している中でもあまり汚れなかった鎧が、見事にお茶まみれになった。



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