第30話 狼皮
「ぉぉぉ!!」
足のない私を背負った獣は、泥濘の中を駆け、異形を斬りふせる。
「私を一度置きなさい!じゃなければどちらも助からない!」
「身動きも取れない主人を置くわけには行かない!」
獣は服を使って私を背に括り付け、戦い続けていた。
「どうせ私は死なないのですから!」
「それは聞けぬ命令だ!」
体を修理し終わり、薪になるものを探していた時、天井が砕け、その瓦礫の下に私の足は下敷きになってしまった。
その音を聞きつけたのか、異形達が押し寄せ、彼らが呼び寄せたのか、泥が地面から吹き出して、あたりは一面泥の海となった。
「こんなことならもっと軽くて丈夫な……」
牢にいた虫達を拘って残さずに、別の素材で作り直しておくべきだった。
「大丈夫だ!お前の重さなど俺にとってはあっても無くても変わらん!」
……そんな話はしてない、というか。
「あら、筋力自慢かしら!私が重くても俺様の筋肉なら余裕っていいたいのでしょうね!」
「憎まれ口を叩こうとっ!」
再び異形を真っ二つに両断する。
獣の振るう剣はどれほど振るおうと、乱れる事はなかった。
私の剣、怒りや勢いに任せて叩き潰す剣とはまるで違うものだった。
「どうして言うことを聞いてくれないんですか!」
「失う訳にはいかないのだっ!」
しかし、いくら剣が優れていても数の上での不利は覆しようもない。
「ちゃんと捕まっていろよ」
「……どうするのですか?」
「忌々しいが、俺の本来の力を出すためにはこうせねばならない。剣を持っていろ。《──その者、光を見ず。その祈りは憎悪に満ちる》」
瞬間、獣の身体は巨大化していき、竜のような鱗と甲殻を纏った蒼銀の狼へと変貌する。
「《ォォォォオオオオオ!!》」
暗闇に咆哮が響き渡り、青白い雷を纏う。
「我は《
狼の招来した電光が異形達を焼く。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「こ、これは……!」
「これが憤怒の呪い……、俺を縛り付けている底のない怒りの姿形。主人よ、こうなると俺の目は見えなくなる。俺に敵の様子を教えてくれ!」
「わ、わかりました!まずは前方に20程!距離は──」
「あとは匂いと音で掴んだ!」
狼は青白く輝き、その閃光は洞窟の闇を駆ける。
「《ォォォォオオオオオ!!》」
洞穴を照らす青い光。しがみつくので必死な私の視界に夥しい数の異形が迫り来る。
「まだ来てますよ!左から──その次は後ろ!」
「《この身を食らう焦熱を見よ!塵芥どもよ!》」
狼がその腕を振れば異形達は切り裂かれ、噛み付けば容易く砕かれる。
落ちる青雷に焼かれた泥が青い焔を上げる。
その獅子奮迅の戦いは、形容するまでもなく獣の戦い。
──しかし、それは。戦いと呼ぶにはあまりにも一方的過ぎた。
あまりにも容易に命が消えていった。
自身が乗り、駒とした"モノ"が一体何者であるのかを、その蹂躙は教えた。
あまりにも激しく、雄々しく、そして──美しいものだった。
青い閃光と舞い、暗闇を駆ける。
瞬くその中、私の指示通りに敵を蹂躙する狼との一体感が私を高揚させていた。
生まれて今まで味わった事のない感覚。
これをなんと呼ぶのかは知らない。
風よりも疾く駆け、力を示すことの爽快感を。
戦士達や騎士は馬に乗って、こんなものを味わっていたのだと私は初めて知った。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「あの……獣さん……ウルヴへジンさん?」
「……それはただの称号だ。獣のままで構わない」
私を背に乗せ、泥濘を歩む巨大な狼は落ち着いた声で訂正する。
「……獣さん?呪いって《契約》だけじゃなかったのですか?」
「始祖の力を借りる技を、呪いへ歪められたのだ、奴らの言う神に祈りを捧げなければ、使えないようにな」
一歩一歩、進むたびに、ズシリと重い足音が鳴る。
異形達は獣の姿に怯えているのか近づいても来ない。
「……話をしよう、昔話だ」
獣は語り始めた。
「俺はとある国の王であった」
「王様……らしくないですね」
「……妹にもよく言われたものだ。戦士の方がよほど向いていると。俺達は兄妹で国を起こし、国を治めていた。だが、ある時問題は起きた。疫病だ。それは別の神を戴く者共がよく言う、終末。"千年の終わり"の時だった」
「別の神……?」
「帝国と教会が掲げている信仰だ。主人の話を聞く限り、今はすっかり我々の信仰と混ざって、或いは上書きされているようだが……本来、戦って神の国に行く我々の信仰と、教会が掲げている信仰は、別の神を崇めるものだった」
「……そうだったのですね」
とすると、私の知る教義─清貧を尊ぶ考えと、人々の信じている略奪と戦いの考えへの違和感にも、納得がいく。
「俺の国の国民は殆どが疫病によって獣となり、帝国は我々を異端だとか言って戦争を仕掛けてきた。そして俺たちは敗北し、俺は獣としてここに入れられた」
じゃあ獣も二百年以上閉じ込められて……え?それじゃ……
「あ、貴方をここに閉じ止めたのは聖女と言いましたよね!?」
「ああ、そうだ。国を滅ぼされ、侵略してきた帝国に俺は捕まり、この《混沌の奈落》に封じ込められたのだ……」
獣を封印したのはアリアじゃない……?
「聖女の名は何と……」
「──ロドグネ、俺にはそう名乗った。お前には別の名で名乗っているようだがな」
「……!」
……先代の聖女。祖母の名前だった。
つまり、この牢獄、冥界のようなものは、他でも無い祖母の手によって作り出されたという事になる。
「因果なものだ。二百年後に敵の子孫に仕える事になるとはな」
「……私が憎くは無いのですか?」
「主人には関係がない。お前をこのような目に合わせたのも、聖女なのだろう?ならば俺の目的と変わらない。子孫まで憎んでいては永遠に憎しみは連鎖するだろうしな。それこそお前らの信仰するように、"汝の敵を愛せよ"というやつではないのか?」
……何か違和感がある。まるで私が祖母に幽閉されていると思われているような……もしかして、私の経緯がちゃんと伝わってない?
まあ、泣いてたし、冷静じゃなかったから普通に話せていたかどうかわからないし。
……私は真実を言った方が良いのだろうか。
このまま復讐の駒として獣を使う為に、嘘をついた方がいいのだろうか。
「どうかしたのか?」
獣の伺う瞳に、私は。
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