香取さんのおでんのお誘い

 香取さんと仕事帰り。


 ベビーカステラのキッチンカーと焼き鳥屋さんを、駅のロータリーで見つけた。


 ふんわり甘いベビーカステラ、

 香ばしく焼けるタレと焼き鳥の匂い。

 

 美味しそうな香り漂う、帰り道。

 僕のお腹がぎゅうっと鳴いている。


「いい匂い。買って帰ろうかな」


 僕は帰ってから、

 ご飯を作る気になれないなと

 思ったのです。


 いなくなった

 カナコのことが、

 数日経っても

 未練たらしく

 尾を引いて、

 まだまだ体も心も重だるい。


 2度目のお別れ、

 たぶんずっとは居られないって

 どこかで分かってはいたんだよな。


 だからか、

 食欲はだいぶ出てきてたけれど。



 香取さんはシングルマザーで頑張る一児のママだ。


 派遣先がよく被るので、たまにお茶したりしてるけど、


「今夜はうちに来ない?」と

 誘われ、びっくりした。



 香取さんは小学生のお子さんと、お母さんのいる実家に住むようになったそうだ。


 香取さんは

 はにかむように笑った。


 断ると、

 香取さんは

 寂しそうに笑う。


「……夏吉くんにはなにかとお世話になってるし、何かお礼がしたくって。今朝ね、夏吉くんに食べてもらおうって張り切って息子とおでんを作っておいたの。息子も夏吉くんに会えるの、楽しみにしてたんだけどなあ」

「そんな……。息子さんを出してくるとは……。まったくずるいですよ、香取さんは。ぼ、僕! 香取さんには言いましたよね? 僕は2度も同じ元カノに失恋して情けないけれどですね、ええ、落ち込んでるんです。恋心なんてもうないと思っていたのに、やっぱり好きだったみたいで嫌になるけどまた傷ついてるっ! ……だから帰ってボーッとしてたいんです」

「私にだけに話してくれたのは嬉しいけど。……あのね、この際言っちゃうけど夏吉くんが思ってる以上に夏吉くんのエッセイ、楽しみにしてるファンっているんだよ〜?」

「えっ? えっ? えぇ――っ!?」


 僕はプチパニック。


「あのペンネーム、『フワピカ戦士』って夏吉くんのことでしょ? フフフッ。私もね、カクヨムやってるんですよ〜。育児エッセイにいつも応援コメントくれるじゃない? あれ、心に沁みるし効くんだよ。私ね、すっごく癒やされてます」


 身バレした、身バレした!

 めっちゃ恥ずかしい。


「カクヨム退会しちゃうとか、がっかりだな」

「……辛いんです、彼女のこと書くの」

「また書きたくなると思うよ。彼女のこと以外を書いても良いし。とにかくさ、気晴らしにうちにおでんを食べに来なよ!」


 ご、強引ですよ、香取さん。

 でも、

 こんな風に言ってくれて。

 僕にじんわり嬉しい気持ち。



 僕は

 覚悟を決めて、

 香取さん家にお邪魔するので、

 手土産にベビーカステラと

 焼き鳥を買った。


「よしっ、うちに行こう行こう」


 はしゃいだ様子の香取さん。

 僕の手を掴み握り、引っ張ってく。


 香取さんの手はあったかかった。

 いつかより、も。


 僕はいつの間にか嬉しい気持ち。


 手を握られたまま歩き、空をちらっと見上げた。


 満月が明るく地上も照らす、輝く美しい夜だった。



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