真国記 ~王に仕える者~
彩霞
第1話 少年・マサ
季節が、夏を迎えようとしていたときのことである。
「マサ! そこにいたのか!」
初老の男は、木の上を眩しそうに見上げてそう言った。
よく見ると木漏れ日の中に、木の葉ではない大きな影があるのが分かる。少年は背の高い木に登っていたのだ。
「じいちゃん!」
マサと呼ばれた少年は、下から見上げる祖父・シュンを見下ろすと、にっと歯を出して笑う。しかし、ちょうど歯の生え代わりの時期で前歯が一本なかった。
「おれがここにいるって、よく分かったね!」
シュンは目を細め、手で口を囲いながら大きい声で言った。
「まあな! だけど、最近めっぽう難しくなったよ! ミエさんはお前のこと見つけられんと言っとる!」
するとマサは、細い手足を使ってするすると降りてきた。
「母さんから逃げるのは容易い。面倒なこと頼まれたら、逃げるに限る」
シュンは、得意げな顔をした孫を見てため息をついた。
「そして隠れるのも上手いと来た。こりゃあ、見つけられないわけだ」
「へへっ。おれはそういうのが得意だからね」
祖父はマサの自慢気な顔を見て微笑んだが、すぐに顔を引き締める。
「お前は逃げられていいかもしれんが、ミエさんは大変だ。普段、父さんがおらんのだから少しは手伝いぐらいせえ。今朝もお前がおらんと、『探してきてくれえ』頼まれた」
マサをはじめ、彼の家族は山の奥に住んでいる。しかし、これまでずっとそうだったわけではない。こうなってしまったのは、マサの父親にある。
父親であるリフは町で医師をしていた。しかし貧しい患者を診ていたため診療費や薬などのお金を支払ってもらえず、リフ自身がその費用を肩代わりすることになってしまったのだ。最初はツケでいいと言っていたが、貧しい者に、治療費を払える能力はなかったのだから仕方がなかった。
父親のやっていたことは立派だったが、それによって家族はお金のない貧乏な生活をすることになった。それが二年程続いたが、今年になってとうとう住まいを追われ、山奥で一人暮らしていたリフの父である、シュンを訪ねることになったのである。
現在、リフはここから少し離れた町で、医者以外の仕事をしてお金を稼いでいた。開業医の所で雇ってもらう手もあったが、リフは医術が必要なのに金がないせいで受けれない人々を見捨てられない。それ故に、医師ではない仕事を選んだのである。自分の志を貫くことではなく、家族と自分が生きるための道を選んだのだ。
一方で、妻であるミエ、長男のマサ、長女でマサの妹ミチはシュンの家に住みながら、山の中に切り開いた畑で作物を育てている。
しかし、山の斜面で作物を育てると言うのは容易なことではない。ミエはシュンに手ほどきを受けながらせっせと作物を育てているが、元々お嬢様育ちである彼女にはその才はない。愚痴一つ零さずに頑張っているのは偉いことであるが、このままではシュンの手伝いがなければ何も食べれなくなってしまう。
それ故にシュンは、男であるマサに畑仕事を率先してしてもらい、さらには鹿や猪の捕まえ方を一通り教えようと思っているのだが、困ったことにマサは畑仕事すら手伝う気がない。
すると、マサは両腕を頭の後ろに組んで唇を突き出した。
「ミチがいる。おれがいなくともミチが手伝ってくれる」
シュンはマサの言い分にため息をついた。
「ミチはお前よりも二つ年下ぞ。
すると、マサは言い返す。
「おれだって、十二になったばかりだ」
「男が十二になれば、鍬をもって畑を耕せる」
だが、マサは頑として譲らなかった。
「……いやだ」
「なぜ、そんなに嫌がる? 働かなければ死んでしまうぞ?」
祖父の素朴な疑問に、マサはそっぽを向いてぼそぼそと呟いた。
「……おれはこんな風な生活をするために、生まれたのではないもの」
シュンは小さくため息をつくと「おいで」と言った。彼は東の方に向かって伸びる斜面を登り始める。
「どこに行くの?」
マサが尋ねると、シュンは振り向いてその問いに答えた。
「この先に小屋がある。どうせあったことを知ってただろう?」
マサはきゅっと唇を結んだ。
その小屋は彼にとって秘密の場所だった。誰にも邪魔されない、一人になれるところ。
しかし、そこすらも祖父の占領地だったことを知り、悲しいともがっかりとしたともいえる気分になった。
「ほら、おいで」
マサの心の中では、
――家に帰ってしまおうか。
しかし籠を背負った祖父の後姿は、何だか物寂し気だった。もしここでマサが帰ってしまったらシュンはきっと悲しむだろう。それを考えると、ついていかないわけにはいかなかった。
「はあ……」
彼は一つため息をつく。
(何をするんだろう……)
マサは渋々と祖父の後をついていくしかなかった。
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