第21話 7年前の今日、東北大地震がありました。
今日は東北大震災の日ですね。
あれから7年の月日が流れたのですね。
不幸に見舞われた方、心からお悔やみ申し上げます。
私の家族がと思うと、本当に切ない気持ちになります。
いつまでもくよくよせず、前を向いてください。
心ない方から、そういう類いの言葉を頂くかもしれませんが、人間、不幸の度合いが強いと自分を見失ってしまい、そうとはわかっていても、なかなか、はじめの一歩を踏み出せないものです。
家族を失い、家を失い、これでもかというくらいの仕打ちを受け、財産までなくす。
神様が、なぜこれほどまでの試練を自分に課すのか、その理由も、意味も、よくわからないはずです。
私なら、精神的におかしくなっているでしょうし、離婚の時ですら、アル中みたいになって、なかなか立ち直れないくらいでしたから、なかなか前へ進めないと思います。
人間、明日の命はわからないといいます。
こうして元気に振る舞っている私でさえ、いつ死神のお迎えを受けるかわからず、明日の命の保証など誰一人としてありません。
もし地震で家族を失い自分だけが生き長らえ、残念だと思う方がいるのなら、どうぞ生かされている意味について少しだけ目を向けてみてください。
あなたは誰かに必要とされているし、誰かを幸せに導いている。
あなたが生かされていることは偶然ではありません。
なにかを来世に伝えるため、今日という日を自分の胸に刻むため、生かされているのではありませんか?
それは自分の子供の為かもしれませんし、あなたを必要としてる親戚縁者の為かもしれません。
友人、知人、企業、会社、社会のコミュニティーに必要とされているから、あなたは生かされているのです。
自分が誰かのために役立っているということさえ自覚できれば、少しだけいつもより強い気持ちで振る舞うことができますし、心のハリにも、なると思います。
我が家で飼う愛犬のため、愛犬が自分の餌やりを待っているから、だから自分は死ねない、そんな理由でもいいと思います。
強く生きてください、なんて無理は言いません。
強く生きようが、弱音を吐いて生きようが、それは、あなたの自由で勝手です。
あなたはあなたの思うがまま、自分の意思で、進んでいただければそれで結構です。
あのとき、地震で命を奪われなかったのは、今日という日を迎えるためだったのか、いつかそう思えるときが来ると私は信じています。
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