最終章 ハイジ、犬と生きる

第五十一話 ハイジ、犬と卒業式に出る

 三月一日。とうとう高校を卒業する日が来てしまった。わたしは、両親とタロとともに式に臨んだ。卒業生の席に座って壇上にぴんと張られた校旗を見つめながら、これまでのことを思い返す。


 親から離れ、海辺の学校で学んだ三年の間に、わたしも、わたしを取り巻く状況もがらっと変わった。

 恋になんか関心のかけらもなく、おばあちゃんがいる本井浜への思慕と海への無形の憧れだけを抱えて、親の制止を振り切ってここにきた。その時のわたしはまだ幼かったけど……その時にしかなかったわたしだ。いいも悪いもない。

 もしわたしがホームシックを克服できずに呉に泣き帰っても、タロと出会わず普通の高校生として過ごしても、それはそれでわたしオリジナルの得難い三年間になったんだろう。


 でも三年の間に、わたしが予想もしていなかった変化が怒涛のように押し寄せた。神家でのタロとの出会いがあって、神家を出たタロの手綱を引いて、最後はわたしを追い抜いたタロに引っ張られるようにして。毎日変化と格闘しながら、新しい自分を作ってきた。おばあちゃんを突然失うという大嵐を乗り切って。これからタロと一緒に人生を築くっていう決意を固めて。……ここを出る。

 三年の間に作られた自分の出来がいいのか悪いのか、自分にはよくわからない。でもわたしは、悩みも迷いも情けなさもぜえんぶ込みで時の海をざぶざぶと泳ぎ続けてきた。泳いできた分くらいの筋肉はついたかなと。ちょっとはたくましくなったかなと。そう思う。

 わたしの心を鍛えてくれたタロと部活。部活はもう手放さなければならないけれど、タロはこれからわたしの一部になる。それがわたしの全部にも別物にもならないよう、タロとの過ごし方を考えることにしよう。


「一同起立! 国歌斉唱!」


 卒業式が……始まった。


◇ ◇ ◇


 卒業式とクラスでの記念撮影が終わっても、みんなはすぐに帰らない。学生としてこの校舎に居られるのは今日で最後なんだ。名残を惜しむように教室に集まり、思い思いに友達との記念撮影をする。その時に、みんながすごく楽しみにしていることがある。本井浜の漁師さんたちは、乙野高校の卒業式の日に一斉に船を出して大漁旗を掲げてくれるんだ。

 人生という海に挑め! 俺たちは君たちの未来が大漁になることを祈っているぞ! そういう、直球の激励。


 最初はぱらぱらだった船影が増えて、海原がどんどん賑やかになっていく。わたしたちは次々窓際に駆け寄り、歓声をあげた。


「うわああっ! すげえっ!」

「壮観だあ!」

「きれーい!」


 わたしは、小野さんの船を探した。ねえ、小野さん。わたしは、これから大漁旗を掲げる側に行きたい。おじいちゃんとおばあちゃんがここで生きてきたことを、ただの思い出だけで終わらせたくないの。それは、わたし一人じゃできない。タロと二人で、ここで暮らしたい。


 わたしは。はしゃぐクラスメートから少し離れ、はためく大漁旗をじっと見続けていた。


◇ ◇ ◇


 謝恩会があるから、教室の生徒の数が少しずつ減って来た。わたしも机や椅子、黒板を撫でながら、ゆっくりと教室を出て生徒玄関に向かった。玄関を出たところで、先生たちに最後の挨拶をする。

 杉田先生は、がんばれの一言だけだった。この前話をした時に、大事なアドバイスを先渡しでもらってる。ここからは人に指図されないで一人でやれ! そういうことなんだろう。わたしも、お世話になりましたと、それだけ返した。

 エバ先生と網干先生は、わたしとタロのツーショットをどうしても見たくなかったんだろう。わたしをあえて無視していたように思う。


 もっと感傷的になって泣いちゃうかなと思ったけど。クララやマリの合否はまだわからないし、わたしとタロのこともこれからだ。卒業は、高校っていう時代の単なる区切り。わたしは……そう割り切っていたつもりだった。だから泣きたくないし、泣くことはないかなって。でも……。


「拝路さん、寂しい。寂しいよう。ううーっ!」


 目の前で福ちゃんに泣かれて、ずっと抑え込んでいた感情がどかあんと涙になって溢れた。結局二人して爆泣きになっちゃった。


 大勢の生徒をケアしてるっていっても、先生の福ちゃんは生徒との距離を近づけられない。でも、わたしだけはちょっと違ったんじゃないかな。福ちゃんは、わたしを生徒としてではなく同じオンナとしての目線で見てくれたんだ。

 部活のこと、タロとのこと、エバ先生のトラブルのこと……わたしとずっとベタなやり取りを続けてきて、デリケートな過去やプライベートを明かし合って。わたしは福ちゃんにずいぶんサポートしてもらったけど、福ちゃんにとってもわたしがオアシスになってたんじゃないかな。今になって、そう思う。


 ずけずけとものを言うとんがった先生。アイスクイーン。そういう態度は、福ちゃんが孤独から自分を守るための装甲なんだろう。福ちゃんは、装甲の中身をわたしにだけは見せてくれたんだ。エバ先生だけでなく、福ちゃんもまた長い間孤独の海を漂っていたんだなって、最後の最後にわかるなんてね。


 福ちゃんと抱き合って泣いてた時、タロはどこか遠くを見つめていた。抱え続けていた孤独を突き放し、その背中を見送るみたいに。


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