第三十五話 ハイジ、犬に愚痴をこぼす

 タロの微妙な変化にもやもやしながら、それでもわたしにとって二回目の学園祭が始まった。去年は両親が来たけど、お盆に帰ったからいいでしょって言われて今年は来なかった。実際、わたしも部の仕切りが忙しくて親を案内できなかったと思う。それにしても、前日準備があんな修羅場になるなんて予想外もいいとこだった。ぐったりだ。


 大伴部長は、去年の水谷先輩と違って確かにおおらかなんだけど。その代わり、部長としての仕事をほとんどしない。まるで名誉部長みたいなお飾りだ。その分、本来部長がこなすはずの仕事がざばざば副部長のわたしに落っこちてくる。ジャスト、杉田先生の警告通りだった。

 二、三年生は自分の展示を仕上げるので精一杯。自分から動かない一年生の世話が全部わたし一人に乗っかった。その上、前日準備で殺気立ってるのに一年生たちがまあだふざけ合ってて。誰が誰の仕事してると思ってんのよ! そう叫びたくなるのをぐっと我慢したのは、去年の水谷部長みたいな嫌味を絶対に言いたくなかったから。でも、もう限界が近かったんだ。


 ぶち切れそうになってたところに、杉田先生が進行チェックに来て。浮かれてた一年生たちにどでかい雷を落とした。まじめにやらないなら強制退部にするぞって、真っ赤になって怒ったんだ。権限のない水谷先輩の嫌味と権限のある杉田先生の一喝じゃ、重みが全然違う。よーろれひーな子たちは、やっとこさ事態の深刻さに気づいたみたいだけど。今さらもう遅いよ。はあ……。


「ノリ、疲れてるみたいだな」

「まあね。こんなん聞いてないよの世界」


 せっかくの秋晴れ、絶好のお祭り日和だっていうのに、口から出るのはしょうもない愚痴ばかりだ。模擬店のたこ焼きをもぐもぐ頬張りながら、タロ相手にぶつくさこぼす。


「何かあったのか?」

「生物部では海の生き物をいろいろ調べて、こういうことがわかりましたーってポスター展示するんだけどさ」

「大きな部屋にずらっと貼ってあった、あれだな」

「うん。うちの高校の生物部はすごくレベルが高いから、調査とか解析とかが大規模だし、専門的なの」

「ふむ……」

「港から近いアクセスのいいところは、先輩たちがもうとことん調べ尽くしちゃってるんだよね。だからわたしは神家まで行ったの」

「ああ、それでか」


 タロが納得してる。


「でも、わたしみたいにわざわざ船で沖に出て調べる子なんかほとんどいない。協力者が必要だし、交渉とかも自分でしないとならないし、準備も大変だもん。そんなんで、今年の一年生はみんな潮溜まりを調べてるんだ。それは別にいいんだけどさ」


 はあああっ。溜息しか出てこないわ。


「自分たちの調査なのに、全然まじめにやらないの。海水浴と勘違いしてるんちゃう?」

「ノリが代わりにやってるのか」


 タロに確かめられる。むっとした口調だ。珍しいなー。


「そうなの。でも、わたしも……去年はそうだった。周りが全然見えてなくて、一人で突っ走って。部長にすっごい迷惑かけちゃった。そのせいできっつい嫌味言われて」

「ふむ」

「その時はすごくアタマに来たんだけど。自分が同じ立場になったら、部長と同じように感じちゃう。やっぱ、あの時の自分はまずかったなあって思うんだ」

「なるほどな」


 ふっ。俯いたタロが、小さな吐息を秋風に溶かした。


「今年の一年生も、来年はわたしと同じ立場になる。歴史は繰り返すってことなんだね」


 黙って俯いていたタロが、そのまま小声でぽそっと行った。


「時ってのは……そういうものなんだな」


 ああ、そうか。神家に閉じこもっている間は不変。時間という概念がないんだろな。タロにとっても、神家を出たあとの一年の変化はすごく新鮮で、でもすごく恐ろしかったんじゃないかなあと思う。


「去年は、高校生活を全力でエンジョイするぞーって感じだったけど。いつの間にか折り返しを過ぎちゃった。進路の話も出だしたし。やっぱ、いろいろあるね」

「そうだな」


 顔を上げたタロに、じっと見つめられる。


「なに?」

「ノリに……頼みがある」


 どきっ! 今まで見たことがない、ものすごく真剣な顔だった。


「頼み……って?」

「俺には三つ、選択肢があったんだ」

「選択肢?」

「そう」


 タロがわたしに向けた視線。それは……わたしが溺れた時の心配の視線じゃない。わたしが最初に神家でタロに迫られた時と同じ視線だ。切羽詰まった、逃げ場のない視線。

 あの時、わたしは神家から逃げることしか考えていなかった。タロのことなんか、正直どうでもよかったんだ。でも、今は違う。今は……違う!


「三つのうち、二つを消したい」

「どういう……こと?」

「まだ話せない」


 まただ。タロがわたしに、一方的に秘密を押し付ける。でも、わたしはそれを追求できない。怖くて……。


「どういう頼みなの」

「ノリは来月修学旅行だろ?」

「うん。沖縄」

「持って行って欲しいものがあるんだ。それが何かは、出発の時に話す」


 動いている。時だけじゃなくて、時に急かされてわたしたちも動いている。それに流されたくない。ちゃんと時に乗せるものと乗せないものを選別したい。


 でも……わたしにはまだできない。それが、どうしようもなくもどかしい。


「わかった」

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