第十二話 ハイジ、犬をクララに見せる
福ちゃんが助太刀してくれたおかげで、各務先生の追求は短時間で済んだ。でも、一難去ってまた一難。教室に戻ったら、クララが今か今かと待ち構えてた。
「ハイジー。絞られたん?」
「うんにゃ。福ちゃんが乱入して、がちゃがちゃにかき回してくれた」
「だははははっ!」
笑ったのはクララだけじゃないから、みんなの頭の中に龍虎激突の様子がありありと浮かび上がったんだろう。あの二人、ほんとに犬猿の仲だもんね。
「で」
「ああ、タロのことでしょ?」
「タロ?」
「そう。名前が太郎だから、タロ」
「犬みたいやな」
「実際、雰囲気も犬みたいなんだよね。それも、のんびりしたわさおみたいな犬」
「ふうん……」
この高校に通う生徒は半分以上が県外から来てる子だ。列車で通ってる生徒はわずかで、学校周辺の家に下宿してる子が圧倒的に多い。そういう子たちには、下宿経由でもう情報が行き渡ってる。
でも、クララは寮暮らし。夏休みの間はずっと大阪の実家に帰ってたから、今回の騒動の中身をよく知らない。友だちに聞いて、ある程度はわかってると思うけどね。
夏休みの間に何度かタロ連れてはまや食堂に行ったから、その時に会った子たちには面通しが済んでる。タロの世間知らずなとことか、ぼーっとしてるとことか、見かけによらず礼儀正しいとことか、ね。で、情報最後尾に残ってたのがクララだったわけ。
「クララがよかったら、うち寄って見てったら?」
「いいの?」
「タロは気にしないよ。ほんとに温和だから」
「ふうん。今は何してるん?」
「小野さんのつてで、水産加工場のバイトをし始めたとこ。うちでずっとただ飯食わせるわけにはいかないもん」
「そうやねえ。で、どんな感じ?」
「苦戦してるわ」
「どんくさいってことやな」
「そうなん。とにかくとろい」
はあ。小野さんも、こらあ大変じゃのうって困ってる。仕事は丁寧なんだけど、能率が全然上がらない。ベテランのおばちゃん並みになれとは言わないけど、アジ一枚開くのに15分もかかってたら話になんない。でも小野さんは、タロを放り出してないんだ。
「太郎さんはまじめじゃ。できんとやらんは全然違うけん」
ということは。タロに水産加工場の仕事が合わないということであって、タロの態度にすごく問題があるわけじゃないんだ。小野さんは、それをちゃんと見抜いてる。で、水産試験場の手伝いなんかどうじゃろって言ってた。
なるほどな。
思い立ったが吉日って感じで、クララとぺちゃくちゃしゃべりながらおばあちゃんちに帰る。お盆過ぎたら、うだるような暑さがだいぶましになってきた。日中は老センに避難することが多かったおばあちゃんも、早めに帰ってくるようになってる。
「ただいまー。タロ居るー?」
「おるよ」
おばあちゃんが、にこにこしながら居間から出て来た。その後ろから、のそっとタロが顔を出した。
「おっ!」
クララが、すかさずタロの全身をスキャンする。こりゃあ上物だと思ったんだろう。にへえっと笑って猫なで声を出した。
「太郎さん。初めまして。ハイジのクラスメートの
「どうも」
その一言とお辞儀だけ。クララは、笑顔作って損したって感じで引きつった。おばあちゃんが、クララに向かって容赦なくお節介攻撃を始める。
「ひとみちゃんは、夏休みぃ家に帰っとったんけぇ?」
「はいー」
「こっちに戻るんは寂しくなかったけぇ?」
「いいえー。うちは親がわあわあうるさいからー」
「あはは。うるそう言うんが親っちゅうもんじゃ」
おばあちゃんのお節介が長くなりそうだと察したクララは、すぐに離脱を決めたらしい。
「じゃあ、わたしは買い物があるので、これでー」
「おんや、来たばかりなんに。上がってかんけぇ?」
「すいません。またー」
いひひ。傍若無人なクララでも、おばあちゃんの長話にはかなわないらしい。全力疾走で帰っていった。寮の夕食時間があるからね。ふう。これでタロのお披露目は一巡したかな。あとは、タロがどれくらいでこっちの生活に慣れるか、だよね。
ぼーっとしていたタロに、今日の行動を確認する。
「今日はどうだった?」
「なかなか……」
と言ったきり絶句。でしょ? 簡単にお金を手に入れられるなら、誰も苦労しないよ。
うちの高校は校則がすごく厳しくて、よほどの事情がない限りはバイトはできない。だからわたしは、お小遣い使うのをぎりぎりまでけちってる。タロと一緒にご飯食べに行ったのは、すごく痛い出費なんだ。その苦労をしっかり体感してほしいの。
「たぶんね、今の加工場のバイトはタロに合わないと思う」
「ああ」
「小野さんが水産試験場の仕事を当たってみるって言ってたから、それまでは努力してみて」
「わかった」
はっと短い吐息を残して、とぼとぼとタロが客間に戻った。おばあちゃんが、気の毒そうにタロの背を見送る。
「がんばっとるんじゃけど」
「そう。それはわかるの。でも、製造業は作ってなんぼだからさ」
おばあちゃんも若い頃は加工場で働いてたから、工場のせわしない雰囲気はよくわかってるんだ。だから、そこがタロには合わないってことも。
「まあ、いろいろやってみるしかないよね」
「ほうじゃのう」
「児玉さん、来た?」
「まだ何もわからん言うとったわ」
「やっぱかあ……」
もうそろそろかな。身元を確かめるより先に、仮でもいいから社会保障を受けられるよう手続きしよう……これからはそっちの方向にどんどんシフトしていくと思う。んでタロの受け皿が出来たら、わたしは少しだけタロとの距離が取れる。そこから初めてスタートなんだ。
お互いにどう思うか、のね。
「おばあちゃん。買い出し行ってくるね。タロも連れてく」
「ありがとね」
「タロ。制服着替えたら食材の買い出しに行く。付き合って」
「わかった」
今はまだ、タロと二人で歩いても犬の散歩と何も変わらない。それが、もうちょい進化してくれるといいんだけどなあ。傾き始めた夕日に苦笑を乗っけて、焼き網の上でこんがり焼いて。その煙の匂いをくんくん嗅ぎながら、まだ暑い自分の部屋に飛び込んだ。
「あじー……」
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