番外編

それぞれの婚約者


ーーー宰相子息と焼き菓子 十四歳ーーー



「シモン様! お出かけしましょう!」


 勢いよく扉を開けて入ってきたマドレーヌの姿に、思わず嘆息する。


「マドレーヌ、ノックをしてから入りなさい」

「あ、ごめんなさい」


 しゅんと肩を落として反省する素振りを見せているが、どうせまた勢いよく飛び込んでくるだろうことは簡単に予想がついた。なにしろ、注意するのはこれで十回目だ。最近は彼女の頭にはおかくずでも詰まっているのではないかと疑っている。


「それで、お出かけとは?」


 読んでいた本を机に置いて、マドレーヌに向き合う。今さっきまで落ち込んでいたはずなのに、もうすでに満面の笑みを浮かべている。やはり反省は素振りだけかと溜息が零れる。


「とても綺麗な丘を見つけましたの! ですからご一緒に行きません?」


 パルテレミー領は自然が豊富だ。丘のひとつやふたつ、珍しいものではない。

 ひと月ほどこちらに滞在することになったマドレーヌは、その珍しくもないものに目を輝かせ、連日散歩と称して出かけているようだ。そしてたまにこうして誘ってくる。


「わざわざ行くものでもないでしょう」

「そんなことありませんわ! 緑が綺麗で、綺麗な花に彩られた丘で過ごすというのはとても素晴らしいことですわ」

「それならおひとりでどうぞ。私は今読書にふけってますので」


 机の上に置かれた本に視線を落とす。まだ半ばまでしか読んでいない。人の生きる時間は有限だ。一生涯に読める本の数も限られている。


「でしたら、本を読まれててもいいので行きませんか?」


 じっと見つめられ、小さく息を吐く。あまり邪険にしすぎては父上に怒られるだろう。マドレーヌは父上の決めた婚約者だ。

 どうして騒々しい彼女を選んだのか、その理由はうっすらとだがわかっている。パルテレミーの者は部屋にこもりきりになる傾向が強い。そのため、これくらい天真爛漫なほうが合うと、きっとそう思ったのだろう。

 私からしてみれば、とんだありがた迷惑だ。


「長居はしませんよ」

「はい!」


 喜色満面といった顔で、マドレーヌは支度をしてくると言い、来たときと同じ勢いで部屋から飛び出していった。何度目かになる溜息を零し、開け放たれたままの扉を閉めるために椅子から降りた。




「綺麗ですわよね!」


 丘に辿り着くなり、きらきらとした目で覗きこまれた。


「風景を堪能する前に聞かれても答えられませんよ」

「風景を見てくださいますの?」


 失言だった。マドレーヌは手を組んで目に涙を浮かべ、ふるふると小動物のように震えた。

 彼女は激情家だ。ほんの些細なことでも感激し、落涙する。


「いえ、本を読みます」


 私は手頃な木に寄りかかり、地面に腰を下ろした。そして本を広げ、マドレーヌは何をしているのかと僅かに顔を上げると、連れてきた者と一緒に走り回っていた。

 一体何をしているのかと、痛む頭を抱える。父上、どうしてこれほど奇天烈な娘を私の婚約者に選んだ。



 黙々と本を読んでいたら手元に影が落ちた。眉をひそめて視線を上げると、マドレーヌが本を覗き込むようにして立っていた。

 ああ、飽きたのか。


「……あなた用にも本を持ってきています。それでも読んで静かにしていてください」

「はい!」


 マドレーヌがどういった系統の本を好むのかは知っている。内容にはさっと目を通しただけだが、気に入りはするだろう。

 鞄に入れてあった本を一冊渡すと、マドレーヌは私の横に座り本をめくりはじめた。


 清涼な風が吹き、静かな時間が過ぎていく。肩に触れる温もりに、小さく苦笑を浮かべる。


 まあ、たまにはこういうのも悪くはない




ーーー騎士と女騎士 十二歳ーーー



「クリス!」


 上空に見える足に向かって、大きな声で呼びかける。わずかに木の枝が揺れ、葉が落ちてきた。そして身を乗り出すようにしてこちらを見下ろすクリスの姿。


「危ないだろ! 早く降りてこい!」

「んんん? ああ、しまった! 何も聞こえないな」


 あまりにも白々しい声に思わず舌を打つ。


「私に話があるのなら、ここまで登ってきたらどうだ?」


 淑女としての嗜みなどを説いたい気持ちでいっぱいになったが、言ってもどうせクリスは聞かない。なにしろこれまで散々言ってきた。


「それともあれか? 騎士となろう者が木にも上れぬと?」


 それがただの挑発だということは重々承知している。だが許せるはずがない。


「お前にできて俺にできないはずがないだろう」

「そうか。ならばここで待つとしよう」


 クリスの姿が枝に隠れ見えなくなる。木登りなどしたことはないが、ここで登れなければ未来永劫馬鹿にされることは目に見えている。

 足をひっかけられそうな部分を探し、少しずつ慎重に登っていく。嫌がらせか時折クリスが枝を揺らして葉を落としてくる。


「思ったよりも早かったな」


 ようやくクリスのいる枝まで登ると、快活に笑いながら言われ、思わず頭を叩きたくなった。

 さすがに不安定なこの場で叩いて落下でもされたらかなわない。ぐっと堪え、代わりに盛大に息を吐いた。


「ほら、見てみろ。よい眺めだろう」


 前方に向けられた手の先を追うと、大小様々な屋根が見えた。道行く人がとても小さく見える。


「私はこの風景を守りたいと思っている」

「守る?」

「ああ、そうだ。私は騎士になりたい」


 その言葉の意味を理解するのに一拍かかった。


「お前、騎士という仕事がどういうものなのかわかっているのか」

「わかっているとも。だからこそ騎士になりたいのだよ」


 クリスの父親は騎士だった。そして魔物との戦いで命を落としている。

 そして母親すらも父親の後を追うように亡くなった。騎士を恨むならともかくなりたいと言い出すとは思ってもみなかった。


「お前にはなれない」


 思ってもみなかった言葉だが、答えは決まっている。


「ふむ。どうしてそう思う」

「お前は俺の妻になるからな。騎士になることを認めるわけにはいかない」

「熱烈な愛の言葉だとでも思えばいいのか、悩むところだな」


 茶化すような口振りに眉をひそめる。

 騎士というものは危険と隣合わせだ。そんなことは父親を失っているこいつが一番わかっているはず。それなのにどうして騎士になりたいなどと言い出すのか、理解できなかった。


「私とて考えに考えた結果なのだよ。愛しい婚約者の頼みとはいえ、聞くわけにはいかないな」


 そこで話は終わりだとばかりに木を降りはじめた。


「おい!」

「早く降りた方がいいぞ」


 気づけば地面に足をつけているクリスが、不思議なものを見るような目でこちらを見上げている。

 言いたいことを必死に堪え、降りようと幹に手をついて、気づいた。


「もしかして、降りれないのか?」


 登るのと降りるのはわけが違う。登るときは枝や出っ張りを簡単に視認できたが、降りる場合は視界が制限される。どこをどうやって登ってきたかなど、覚えていない。


「まったくしかたのないやつだ。ほら、受け止めてやるから飛び降りろ!」

「馬鹿かお前は!」


 両手を広げて下で待ち構えるクリスに、思わず叱責を飛ばす。互いにまだ子どもで、身長差もそこまでないとはいえ支えられるはずがない。いや、それ以前に女に受け止めてもらうなど、恥以外のなにものでもない。


「いいから大人を呼んでこい! お前には無理だ!」

「やってみなければわからないだろう」


 やらなくてもわかる。これで鍛えている同年代の男子ならともかく、クリスは女性だ。いくら活発とはいえ、その身が女性のものであることは変わらない。


「だがのんびりしている暇は――」


 クリスが言い切る前に、枝が嫌な音を立てて折れた。完全に折れたわけではなく、根本に亀裂が入った程度ではあったが、俺を振り落とすには十分すぎるほどの変化だった。


「っう」


 襲ってくる衝撃に身構えていたのだが、思ったよりもひどい痛みは感じなかった。むしろ柔らか――


「ほら、言っただろう? 受け止めてやると」


 下からのんきな声が聞こえた。うっすらと目を開けると、クリスの着ていた服の色が視界に広がった。


「おま――大丈夫か!?」


 慌てて身を起こし、下敷きになっていたクリスから離れる。クリスは上体を起こすと、自分の首に手を当てて軽く頭を揺らした。


「うむ、大丈夫そうだ」


 だが手を差し伸べても取ろうとしない、どころか立ち上がろうとすらしない。


「どうした?」

「何、問題はないが念のため教会のものを呼んできてもらおうかと思案していたところだ」


 一瞬だが、クリスの視線が足に注がれた。だがすぐに俺を見て、軽快に笑う。


「足がどうかしたのか? 見せてみろ」

「む、女性の足を見たいなどと軽々しく口にするものではないぞ」

「そんなことを言っている場合か。見せたくないというのなら、無理矢理見るまでだ」

「おいおい、今日はどうした。ずいぶんと積極的ではないか。そうか、女性の肢体に興味の出てくる年頃ということか」


 こいつの軽口に付き合う義理はない。屈んで地面に投げ出されている足に手を伸ばすと、押し返された。


「いやはやまったく困った婚約者だ。性急すぎるのはよろしくないと思うのだがね。まあなんだ、足を捻ったようなのだが歩けないほどではない。だがまあ万全を考えるのであれば、誰か呼んできてもらうのが適切かと思っただけなのだよ」


 ぺらぺらと捲し立てるのは、何か誤魔化しているときの癖だ。零しそうになる溜息を堪え、代わりにクリスの背中と足の下に手を入れて持ち上げる。


「私は誰か呼んで来いと頼んだはずだが」

「……俺のせいだから、俺が運ぶ」

「しかし腕が震えているぞ。無理せず大人を呼んできたほうがいいのでは?」


 先ほど大人を呼んでこいと言ったのに呼んでこなかったのはどこのどいつだ。


「やってみなければわからない、だろ。いいから黙って掴まってろ」

「まったく、しかたのないやつだな」


 軽快に笑って、首に腕を回すクリスの体を落とさないようにしっかりと抱える。くそ、重い。こいつは普段何を食べているんだ。


「言っておくが、重量のほとんどはドレスだからな」


 それが真実かどうかどうかはわからなかったが、クリスの名誉のためにそうすることにしておいた。



 そしてその後、教会の者に「頭を打っている可能性もあるのだから動かさないでください」と叱られた。

 そのときの、だから言っただろう、というクリスの顔は忘れられそうにない。





ーーー王子と悪役 十五歳 +従者ーーー



 レティシアを前にして、口元が緩みそうになるのを必死に我慢する。

 ずっとずっと会いたくて、ようやく会えた。久しぶりの再会はアンペール領だったが、あのときはあまり一緒にいられなかった。

 今日はレティシアの屋敷に来ているので、時間はたっぷりある。何から話そうか、まずはアンペール領でのことを話すべきかもしれない。


「レティシア、アンペール領でのことだけど――」

「その話はやめてくださるかしら。あれのせいで私、外出禁止になってしまいましたの」


 どういうことかと詳しく聞くと、案の定無断で外出していたようで、ものすごく怒られたらしい。


「どう考えても君が悪いよ」


 さすがに親のいない間に外出、しかも地震の多いアンペール領にというのは無謀すぎる。

 レティシアが勢いよく机に伏せると、傍に控えていた彼女の側仕えがお茶の入ったカップを離れた場所に移動させた。


 久しぶりに会ったレティシアの側仕えは、マリーからリューゲという名の男に変わっていた。レティシアに紹介されている間、私に値踏みするような視線を送ってきていた。


 そういった目で見られるのには慣れているが、レティシアの側仕えだというのがどうにも気にかかる。主の婚約者に相応しいかという目ならば構わないが、レティシアに気があるのなら捨て置くわけにはいかない。


 何食わぬ顔で部屋の隅に立っている男に視線を送る。彼も私が見ていることに気づいたのか、わずかに眉をひそめた。


 本当は前のようにレティシアと二人になりたかったのに、子どもではないのだからとこの男に阻止された。

 アドルフが一緒だと言っても聞き入れず、結局こうして居座っている。


「学園を卒業したらあまり出かけられませんのに……」


 顔が腕で覆われてるせいで少しくぐもって聞こえる声にどきりと胸が跳ねる。学園を卒業したら私とレティシアは結ばれる。すぐにというわけではないが、色々準備をしないといけないし、結婚してからしばらくは勝手の違いで大変かもしれない。

 だけど余裕ができたら一緒に出かけることはできる。いつでも好きなときにとはいかないけど――


「……王都は、難しいと思いますわ」


 そう考えていたら、レティシアが少しだけ顔を上げて不満そうな目で私を見てきた。アンペール領で再会したときは昔のような感情のこもらない発言をしていたが、今の彼女はすごく自然に私と話してくれている。

 だからこそわかる。彼女は私とは違うことを考えている。自分との将来を夢見てくれてはいないのかと落胆しかけて、いやそもそも最初からそういう人だったと思い直す。


「久しぶりに来たから、屋敷を案内してくれる?」


 もはや完全に私を眼中から消失させたレティシアに、慌てて声をかける。きらきらした目をしているレティシアをもっと見ていたかったが、私のことを忘れられたら困る。


「他の方に頼まれた方がよろしいのではないかしら」


 だけど失策だったかもしれない。すんと感情が抜け落ちたレティシアに、思わず歯噛みする。理想の令嬢像があるのはわかる、わかるけど、せめて私にだけは自然に接してくれないものだろうか。

 言えば誤魔化してくるのは目に見えている。だからぐっと堪えて、これから少しずつでもいいから引き出していこうと決意する。


「私はレティシアに案内してもらいたいんだよ」

「そう……ねえ、リューゲ。どこを案内すればいいのかしら」


 リューゲ、と親しそうに呼ぶ声に手に力がこもる。幸いレティシアは男のほうを見ていたから、気づかれはしなかっただろう。だが男の方は気づいたのか、その口元に軽薄そうな笑みを浮かべた。


「中庭がよろしいのではないでしょうか。あちらはこの数年で植えている花が変わりましたから」


 私がレティシアのそばにいることのできなかった間、この男は彼女のすぐ近くにいた。その事実を突きつけられたような気がして睨みつけると、返ってきたのはさらに深まった笑みだった。


「そういえばそうね。では殿下、ご案内いたします」


 レティシアが立ち上がり、先導するように歩きはじめる。そうだ、私は今レティシアと一緒にいる。男に気を取られて、この時間を無駄にするわけにはいかない。

 男の存在を無理やり意識の外に追いやって、レティシアの後に続いた。


「これはなんという花だったかしら」


 中庭に咲く花ではなく、首をかしげているレティシアを見つめる。この数年で私も彼女もだいぶ成長した。共に成長できなかったのは残念だが、こうして彼女の隣に並べるのだから、気にすることはない。

 それに彼女に付き従っている男は学園には来れない。彼女が学園に連れて行けるのは、女性の使用人だけだ。


「殿下、やはり私ではない方に案内を頼まれたほうがよろしいのではないかしら」


 名で呼んでほしいと言ったのに、レティシアは私を殿下と呼び続ける。だけどそれを咎めようとは思わない。一朝一夕で呼んでもらえるとは思っていなかったから、いつかその口から自然に出てくる日を待とうと思っていた。


「こうして一緒に眺めることができるだけでいいよ」

「ずいぶんと酔狂ですのね。それでは案内にならないでしょう」


 青い瞳に私は映っているのに、その瞳は私を捉えていない。

 もしもここで私が頬に触れたら、髪を撫でたら、彼女はどう反応するのだろうか。驚くのか、はにかむのか、あるいは気安いと怒るのか。ああ、そのどれでも構わない。その瞳に私が映るのなら――


「レティシア様」


 動かしかけた手が止まる。慣れ慣れしく話しかけてきたのは、レティシアの側仕えだった。


「僭越ながら自分が解説いたしましょうか」

「あなた、花にも詳しいの?」

「住まわせていただいているので、こちらに咲いている花ぐらいならばわかります」


 レティシアの瞳が男の姿を捉えて、拗ねたような表情に変わる。

 その親密さにわずかな孤独感と苛立ちを覚え――振り払う。レティシアのそばにずっといられるのは私だけなのだから、この程度のことを気にしてはいけない。立場を失わないためにも心を乱してはいけない。


「……レティシア、それよりも私は会っていない間で何があったのか聞きたいな」

「面白い話はできませんわ」

「それでもいいよ。レティシアの話が聞きたい」


 学園に行けば男はいなくなる。

 これからいくらでも思い出は作れる。

 だから、そう、気にすることはない。

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