(私はまた眠りにつきましょう)

 リフィーネ――子供の頃私たちはそう呼ばれていた。

 ふたりでひとり、私たちはそういう存在だった。


 双子は不吉だと言われ続け、ひとりっ子として育てられた。危ないから、ふたり一緒に出てはいけないといい含められてきた。

 危ないと繰り返された言葉は、子供心に恐怖を植えつけた。

 

 姉が外に出る時は私は家の中に、私が外に出る時は姉は家の中。四人分の食材を買うと怪しまれるから、といつも姉と私はひとり分の食事を与えられた。

 一日置きに入れ替わり、どちらかは窓のない自室で一日を過ごし、どちらかは食卓に座り外に出かけて一日を過ごした。


 文字通り、私達はふたりでひとりだった。


 それが崩れたのは、私の日に姉が出かけたのがはじまりだった。

 魔族に会ったと楽しそうに話す姉が、まるでどこか遠くにいるようで、理解できなかった。


 それから何度も姉は外に出続けた。私が止めても、姉は聞かなかった。

 姉が出るなら私は出てはいけない。私は約束を守り続けた。



 そしてあの日、村が魔物に襲われた。


 優しかった雑貨屋の店主は私たちが双子だったとわかると、怖い顔をして怒鳴って、そしてすぐにその顔がなくなった。

 鮮やかな赤い髪と、水色の髪をした魔族が私たちを見て笑っていた。



 ――またいつか。


 そう言って、私と姉を置いて魔族はいなくなった。燃える火と、人だったもので溢れかえった村で、私はただ姉が起きるのを待つことしかできなかった。

 死なないで、そう祈りながら、姉が目覚めるのを待ち続けた。



 髪の色が違う私と姉を双子だと思う人はいなかった。

 だから私たちは名前を分けた。


 リリアとフィーネ。村の近くに咲いていた、とてもよく似たふたつの花の名前。それは私たちにとても似合っている。


 私はずっと恐れ続けていた。双子が不吉だと言われていた頃から、魔族がまたいつかと告げたあの瞬間から、ずっとずっと恐れていた。


 そして十六になった私は、夢を見た。


 それはここではない、まったく別の世界の夢。


 そこで私はあるゲームを遊んでいた。個人製作のゲームで、なんの気なく遊んでいたそれは、私と姉の未来を描いたものだった。


 十六になったある日、町に魔物が押し寄せてくる。そこには姉が昔知り合った魔族もいた。

 その魔族は姉を守ると誓い、村が襲われたことを今更ながら知り、姉を確保するために町を襲った。そして、髪の色が変わった姉に気づかず、私を攫う。


 目を失い、色を失った姉ではなく、私が攫われてよかったと――最初は本気でそう思っていた。姉はこれ以上何も奪われないのだと、嬉しかった。

 それなのに姉は私を助けるために、魔族の住処である屋敷に姿を現した。傍らに自身の目を奪った魔族を連れて。


 村を焼かれ、親を殺され、教会で共に育った人も殺された。魔族に対する恨みや憎しみはいつしか狂気に変わり――魔族と親しく接する姉に対する怒りにも変わった。

 姉が言いつけを破らなければ、不吉だと言われていたのだから、ずっとひとりでいれば――姉を思って喜んでいた日の自分はいつしかいなくなり、ただ狂った少女だけが残った。


 私もまた魔族と親しくし、魔族が守ると誓った姉に目を向けさせなかった。守ると誓った相手を傷つけて、最後の最後で間違いに気づき嘆く魔族を想像し、歓喜に震えた。


 でも、そう上手くは運ばない。

 いつしか魔族は姉と私の違いに気づき、姉を選んだ。そして姉と寄り添いあいながら、魔族は姉に告げる。


「妹は帰りたいと願ったから人里に置いてきた」


 姉はその言葉を信じ、魔族に優しい笑みを向けた。


 そして私は、ひとり暗いところに転がっていた。


 姉に助けを求め、痛みで苦しみ、謝罪の言葉を口にして、そして息絶える。



 ――というのを姉視点で進めていくゲームだった。



 夢を見た私は、まだ狂っていなかった。だから未来を変えようとした。


『冒険者になろう』


 そう言って、姉を連れ出した。姉がここからいなくなれば、魔族は襲撃してこない。居住地を決めずに転々としていれば、私たちのせいで誰かが死ぬことはない。

 私のできる、精一杯の抵抗だった。



 だがその甲斐なく、結局魔族に囚われた。冷たい目をした魔族は姉に気づき、ついでに私を攫った。そして訪れた屋敷で、私は姉の目を奪った魔族に飼われることになった。


 退屈だからと話をせがまれて、求められるままに記憶にある物語を語った。

 暴君と化した王から少女たちを守るために語られた物語。千夜は稼げるだろうと思ったそれは、一夜もせず却下された。魔法で犬に変わるのはお気に召さなかったらしい。


 ならばと思い、私は夢で見た世界を語った。この魔族に気狂いと思われようが関係ないと、半ば自棄になりながら話したのだが水色の魔族は暇さえあれば話をねだった。


 そうしてひと月が過ぎ、ふた月が過ぎ、語ることも尽きたとき、私たちはお互いに文字を教え合うことになった。ひらがな、カタカナ、漢字、日本語――私の中にある知識をすべて吐き出した。

 そして私も水色の魔族の中にある知識を学んでいった。文字、魔法、歴史、色々なことを話した。



『お姉ちゃん! どっちの方が綺麗に書けてる!?』


 どちらの方が字が綺麗かと競い合っていた私は、姉と深紫色の魔族の部屋に乱入して、信じられないものを見た。姉の膝に頭を乗せ、微睡む魔族の姿に私は底知れない怒りを覚えた。


『私、どっちも読めないからわからないよ』


 困った顔をして笑う姉を見て、抱いた怒りを誤魔化した。怒りは私と姉を焼き尽くす。


『ちょっと、ルースレス、何やってるの!? お姉ちゃんに、そんな! いかがわしいことを!』


 自分だって水色の魔族と色々話したりしているのだから、姉を責められない。それに姉が幸せそうならそれでいいじゃないか。そう言い聞かせて、胸の内にくすぶる思いから、必死に目を逸らした。




『そんなにお塩を入れて、どういうつもりです!?』


 桃色の髪をふたつに結んでいる魔族と一緒に料理をして、呆れられたこともあった。


 姉と一緒に料理をしたいという私の願いは、何故かこの魔族の監視下でならと許可された。


『料理は真心!』

『真心以前の問題です! フィーネを御覧なさい。ちゃんと作れているでしょう!』


 時代を先取りしすぎている、黒を基調にした装いの魔族がぐつぐつと鍋を煮ている姉を指差した。綺麗で優しい姉は、料理の才能もあった。


『リリアはお菓子作りが得意だものね』

『クッキーなら完璧に焼けるよ!』

『自信満々に言うことじゃございません!』


 尋常じゃなく塩辛くなった料理を前に頭を抱えている桃色の魔族を見返したくて、クッキーを焼く準備をはじめた。氷室はないからアイスクッキーとかは作れない。生地を伸ばして包丁で四角く切って、竈で焼き上げる。こんがりと焼けたクッキーを冷ましている間に料理の方を手伝おうとしたら、全力で阻止された。


『どうせ私たちしか食べないんだからいいじゃない』

『塩分過多で体調を崩されたら、たまったものじゃないです』


 魔族は食事の必要がない。食べても食べなくても変わらない――知っていたが、ひとりで食べる食事は寂しいものだった。姉と一緒に食べれるのは、週に一度あるかないか。日中は好きに行き来できるのに、夕方を超えるのと監視の目が厳しくなる。


『じゃあこれライアーにあげてくるからいいもん』

『……後で食べてあげるから、少しぐらい残しておきなさい』


 クッキーを無造作に皿に乗せていたら、後ろからぶっきらぼうに言われた。


『それで厨房から追い出されたんだ?』

『追い出されたんじゃない! 抜け出してきただけ!』


 長椅子に寝そべる水色の魔族に山盛りのクッキーを見せつけた。持ってくるために抜け出したのであって、戦力外通告にふてくされたわけではないと主張する。


『うん、まあ悪くないんじゃない』

『素直に美味しいって言っていいんだよ』


 二枚目のクッキーに手を伸ばす捻くれた魔族を見て、笑った。


『また焼いてあげるから一緒にお茶しようよ。食事、とまでは言わないからさ』

『別にいいけど……どうせ茶菓子以外はボクが用意するんでしょ』

『うん、任せた』

 


 憎くて仕方ないのに、安穏とした生活が私を変えていく。ふとした拍子に魔族を親しい友人だと思ってしまう自分が気持ち悪くて、行き場のない憤りだけが募っていった。


 だから勇者さまと出会い女神様と相まみえたとき、聖女になる道を選んだ。このまま飼われ続けるのが嫌だった。魔族との関係は断ち切れない。このままでいたいのに、このままでいたくないと思う気持ちを、勇者さまのために、姉のためにと綺麗な言葉で隠して、聖女になった。


 聖女の道は辛く苦しいものではなかった。


 発明家の女の子と青い魔族が恋愛談義で盛り上がっているのを、若草色の魔族と眺めていたこともあった。一触即発な状況に割り込んだ見習い騎士の男の子が、ふたりにぎゃんぎゃん言われているのを見て笑ったりもした。


 若い王様とどう国を分けるかを話し合っていたら、魔族同士の喧嘩を止めろと壮年の男性が乗り込んできたこともあった。


 赤い魔族が姉にちょっかいをかけようとしたのが喧嘩の原因だった。深紫色の魔族が怒って、中庭を凍り付かせていた。私は深紫色の魔族に加勢して、いよいよ収集がつかなくなってきたところを、聖女だった女の子と教会を治める男の子に止められた。


 人と魔族が入り乱れ、思い思いに過ごしていたあのとき――私はたしかに幸せだった。

 人と魔族だって、うまくやっていけるんじゃないかと、そう思わせてくれた時間だった。


 だから教会を治める男の子に結婚話を持ち出されて、私はそれに応じた。


 夫となった彼は魔族を憎んでいた。魔族に対する怒りを、魔族の元で過ごしていた私にぶつけた。

 彼は私だった。私がなるはずの姿をしていた。だから彼の怒りを受け入れて、自分の内にある憎しみを慰めた。

 傍から見たら奇妙な関係だっただろう。それでも彼と私は似た者同士で、夫婦だった。


『ごめんごめん、遅くなっちゃった』


 でもそんな歪な夫婦関係はひと月も続かなかった。

 まるですこし遅刻しただけのような気軽さで現れた現れた水色と、その手にある夫だった者の亡骸に笑うしかなかった。


 夫が死んだ悲しみと、私が殺されたような痛みと、来てくれた嬉しさと、夫を殺された恨みと、色々な感情が混ざって、眠りにつくまで泣きながら笑った。


 魔族と人の確執は今更どうにもできないことだと思い知らされた。私だってずっと抱いている恨みがあるのに、他の人が許せるはずがない。

 そして教会を治める立場にいる者を魔族が殺したことが広まれば、もはやどうあがいても覆せなくなる。


 私は魔族と魔王についてを人々の記憶から消すことにした。

 少しずつ歩み寄ろうとしていた若い王の記憶を消して、魔族の協力を得ながら魔道具の開発をしていた女の子の記憶を消して、魔族の暴走に頭を痛めていた見習い騎士の記憶を消して、優しかった男性も、聖女だった女の子も、私たちを見守って笑ってくれていた女性も、魔族と魔王を知っている人の記憶を全部消して――覚えているのは、私と姉だけになった。


 魔族は誰も反対しなかった。彼らにとって、この人と過ごした時間は、ほんの瞬きする程度のものにすぎなかった。自分が言い出したことなのに、魔族は薄情だと心の中で罵った。

 水色の魔族とも一緒にいたくなくて、魔王と魔族について載っている本を探して燃やすように頼んだ。


 そうして色々なものを引き離していたある日、乗っていた馬車が落石事故にあった。


『なんで勝手に死んでるんだよ』


 死にゆく私を見下ろして、漏れ出たようなその声に私は笑った。


 ――ざまあみろ。

 ――ごめんなさい。


 どちらも言ったかもしれないし、どちらも言わなかったかもしれない。

 相反する気持ちを抱いて、私は意識を手放した。

 

 心に宿し続けた炎は、いつまでも消せないで、結局私を焼いた。





『変質したあなたの魂を渡されたとき、私は悩んだのです。このまま、私の視た通りに魂を受け入れるかどうかを』


 ――気持ち悪い。


『あなたとした約束が悲劇を生みました。その悲劇はあなたの魂と、あなたが姉と呼んだ者の魂が引き起こしたものでした。だから考えたのです。彼の魔族が執着した魂の入った肉体が潰えれば、国が氷に閉ざされます。ではどうすればいいのか――私は順番を入れ替えることにしたのです。だけどそれでも、不安は残りました』


 聖女と呼ぶにはあまりにも歪な少女の記憶。

 

『そのため、魔族と密接な関係にあった者の魂を借り、あなたが入るはずだった肉体に収めたのです。だけど国が荒れれば、彼の魔族が執着した魂の肉体が失われる可能性はありました。だから彼の魔族を制御していただこうと、そう思ったのですよ』


 少女の歪さは、世界すらも歪に変えた。そしてその歪さが、未来に悲劇を生み出した。


『そして私の定めた使命を果たされました。あなたに残ったのは私のと約束です。ですが、かつて勇者だった者――クロエは私とは何も約束していません』


 私が死んだのは、家族のせいでも、運命のせいでもなかった。昔の私が姉の魔力を取りこんだことが原因で、だからつまり、私のせいだった。


『彼女にお伝えください。残る生は自由に生きてよいのだと、そして使命を果たしたあなたの望みをひとつ叶えると。ただそれは私が干渉できる範囲に限られます』


 運命なんてものはなかった。悪役になる必要なんて、最初からどこにもなかった。

 昔の私は不貞腐れたりしないで、未来を変えようともがいて、でも結局胸の内にくすぶる炎を消せなかった。


『――ここまでにいたしましょう。あなたの目覚めを待つものがいるようです』





◆◆◆◆



 目を開けると、水色の髪が月明かりで照らされていた。


「起きた?」


 長い耳と、赤い瞳。私の従者ではなくなった魔族が、そこにいた。

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