【本当に、あの女神はろくなことをしない】

 主人公とその妹がソファに座り、対面のソファには茶色い髪をした女の子と騎士然とした青年が座っている。また時間が飛んでいる。これまで見たこともない人物の登場に頭が痛くなってくる。

 女神様、聞いているならもう少し親切設計な夢にしてください。そう心の中で念じながら、夢を見続ける。


「――そうですか。勇者様が……それでは、私たちはどうすればいいのでしょう」

「どうすればいいのか、はわかりませんが女神様は殺傷を望んでいません。人を、動物を、魔物を、魔族ですら女神様は愛しています」

「ですが、それでは! 魔王によって蹂躙された者たちの思いはどうなるのですか!」

「落ちついて。君は聖女なのだから女神の意に背くことを考えてはいけないよ」


 激高する女の子の背を青年が撫でる。青年は青い瞳を細め、優しく諭すような落ちついた声色で女の子を宥めた。女の子はそれ以上何も言わないようにするためか唇を噛み締めたが、カップを持つ手がかすかに震えているのがわかった。


「あの、勇者さまたちは、どちらに?」

「ああ、二人なら色々と話すために外に出たよ。勇者同士積もる話でもあるんじゃないかな」


 主人公の質問に答えたのは青年だった。青年は閉ざされた扉を見てから、お茶の用意をしている水色の髪の魔族と、主人公と妹が座るソファの後ろで青年と女の子を睨みつけている深紫色の髪の魔族を見た。リューゲと、一作目に登場していた極悪非道な魔族だ。

 リューゲは昔からお茶係だったらしい。どうりでお茶を淹れるのが上手いはずだ。そこらの侍女とは年季が違う。


『加護を与えし魂が使命を放棄し、私は新たな加護を与えられるものを別の世界から喚び寄せました。それでも結局、その者も役目を放棄したのです』


 どこからか声が聞こえてくる。遠くからにも近くからにも聞こえる、少しノイズのかかった声。話している内容からすると、この声の主は女神様なのだろう。


『加護を与えた魂にさらなる干渉はできません。だから私は、加護を持たない、この世界ではない魂に頼ったのです』


 ――場面が切り替わる。


 白い空間に、ひとり佇む妹。それはいつかの夢でも見た光景だった。

 親切設計でとはお願いしたが、まさか解説付きにしてくれるとは思わなかった。


『加護を与えし魂が使命を放棄し続ければ、この世界は終わりを迎えてしまいます。だから、どうか、どうかお願いです。使命をまっとうせよと、そうお伝えください』

「いや、え、いやいや、言えるわけないでしょ。それに、そういうことは勇者さまを殺すための勇者を用意する前に言うべきなんじゃないの?」


 何やっているんだ女神様。思いがけない展開に、普通に引いた。


『脅威を放置しておくことはできません。この世界を守るためにはしかたないことなのです』

「じゃあ勇者さまじゃなくて魔王を殺せって命じればよかったじゃない。なんで、よりによって勇者さまなの」

『加護を与えし魂の先が私にはわからないのです。さらなる脅威になるのかもしれない、ならないのかもしれない、それが私にはわからないのです。私はただ、この世界を守りたいだけなのです』


 それは悲痛な叫びのようだった。言っていることが非道すぎて同情も同意もできないけど、女神様が世界のことを想っていることだけは伝わってきた。


「それでも私は勇者さまに死ねとは言えないよ。今の魔王は勇者さまが抑えているし、勇者さまは生きていたいから使命を放棄しただけで、人々の幸せも願っているよ。それじゃ駄目なの?」


『此度はそれでよいのかもしれません。ですが、次なる脅威が生まれたとき、加護を与えた魂が役目を放棄したらどうなるのでしょう。此度の脅威が役目を与えし魂と共にあることを望んだだけで、次もまた同じようになるとは思えないのです。使命を放棄した魂がすでにあるのならと、次の魂もまた脅威を放置してしまうかもしれない。私はそれが怖いのです』

「じゃあ――私がなんとかする。脅威が生まれないようにすればいいんでしょ。ライアーから聞いたけど、世界中の魔力が増え続けているのが原因なんだよね?」

『塵だったものの力は世界を蝕んでいます。私の作り上げたものを歪め、力は新たな命すらも作りだしたのです。本来生まれるはずではなかったものたち――あなたと共に生まれたものもまた、私ではないものの力によって作られました。本来生まれるはずではなかったものは多く、それでも脅威足りえるほどのものではありません。脅威はより多くの力を持ち、私が作り上げたものを内からも蝕みます。そのようなものに対して、あなたは何ができると言うのでしょう』

「世界中の魔力の消費量を上げる。今は使ってる人が全然いないから供給に追いついていないだけだと思うんだよね。世界中の人が魔力を使ったら脅威になるほどの量は残らないんじゃないかな、と思うけど……」


 明確な根拠はないのだろう。少しずつ自信をなくしたように小さくなる声を聞きながら、私は混乱していた。

 女神様がどんどん話を進めていくからいまいち頭に入ってこない。対話とは何かということを一から学んできてほしい。


「でも、それでもなんとかするよ。もしできたら、勇者さまのことは放っておいてくれないかな」


 女神様は答えない。じっと妹を見つめているから、多分色々なことを考えているのだろう。妹の話を聞いているのか聞いていないのかよくわからなかった女神様が妹の言葉を吟味している。子どもの成長を見守る母親の気分で、えらいえらいと褒めそうになった。


『ええ、わかりました。それがあなたの望みなら――私は叶えましょう』



 そして場面が切り替わる。


 豪華な部屋の中央に置かれた寝台の上で眠る妹と、それを見守る主人公の姿。ゆっくりと目を開けた妹を見て、主人公が安堵の溜息を漏らした。


「――お姉ちゃん、私ね勇者さまを助けようと思うの。でも、その場合お姉ちゃんの目は二度と戻らなくなる……それでも、いいかな」


 それはとても卑怯な聞き方だった。主人公が勇者のことを慕っていることは、あの幼女と主人公が対面した場面でなんとなくわかった。

 だから、勇者を助けるためにと言われて、断れるはずがない。


「うん、いいよ。勇者さまのことを助けてあげて」


 妹の手が主人公の顔にかかる長い前髪に伸びた。白い髪を持ちげて、その先にある瞼に触れる。膨らみのない、わずかにへこんだ瞼。きっと瞼の中には何もないのだろう。


「ごめんね、そしてありがとうお姉ちゃん――私、聖女になるよ」


 謝罪と感謝の言葉を口にして、決意した目で主人公を見る妹。


 情報が多すぎて私の頭では処理しきれない。もう少し間を置くとかしてほしい。




◆◆◆◆




 頭に何か触れる感覚に、ゆっくりと目を開ける。今は何時だろう。だいぶ寝ていたような気がする。

 ぼんやりとした視界で部屋の中を見回して、見慣れた顔を見つけた。


「王子、様……?」


 紫色の瞳を悲しげに伏せ、ゆっくりと口を開き――紡がれる言葉を聞く前に、私はまた眠りに落ちた。




◆◆◆◆




 間を置くって、そういうことじゃないと思う。夢の世界に舞い戻った私は、うんざりとした気もちのまま、夢を見続ける。



「聖女は癒しの力がもっとも強い人がなる、で合ってますよね」

「ええ、そうです。当代を私が務めているのはより多くの者を癒したからです」


 茶色い髪の女の子が神妙な顔つきで頷いた。


「あなたよりも多くの人を癒せると思いますので、私が聖女になってもいいですか?」


 その言葉に女の子は目を丸くし何か言おうとしたが、女の子が言葉を発するよりも先に騎士然とした青年が膝を折り妹の前に跪いた。


「それが女神のご意向であるのなら、当代教皇として、アベル・マティスの名において、あなたをお守りいたしましょう」

「――当代聖女である私もまた、エリーゼ・ローデンヴァルトの名において、女神様の憂いを払えるよう尽力いたします」


 女の子も同じように跪き、首を垂れた。



 場面が切り替わる。


 そこは何かの実験室のようだった。棚にいくつものガラス瓶が並んでいる。

 部屋の中央には、妹と水色の髪をした魔族。


「勇者さまを助けるために聖女になろうと思う」

「よくわかんないんだけど、なんで?」


 呆気にとられたような表情で、水色の髪の魔族が首を傾げた。


「魔法を広めるにはそれが一番早いかなと思って。それに、私とお姉ちゃんのためでもあるよ。教会を利用すれば、双子が不吉な存在なんかじゃないって広められるかもしれないじゃない」

「心意気だけは認めてあげるよ。でも、キミには無理だよ」

「今の聖女よりもより多くの人を癒せばいいだけだから、私にもできるよ」

「キミにはそんな力ないよね? ボクに大勢の人間を治せっていうつもりなら、断るよ」


 小馬鹿にした笑みを浮かべる魔族を前にしても、妹は怯まなかった。

 おそらく、この魔族に馬鹿にされることに慣れているのだろう。私も経験済みなのでよくわかる。

 妹は目の前に立つ魔族を見据え、手を差し出した。


「私がやるよ。だから――お姉ちゃんの目を返して」



 場面が切り替わる。



 石造りでできた部屋の中で、椅子に座る妹は何かを考えるように難しい顔をしていた。


「やっぱり競う相手って必要だと思うんだよね」

「またろくでもないことを考えているのか」


 深紫色の髪をした魔族もまた、難しい顔をしている。


「確か洗脳が得意な魔族がいるって話してたよね。その人を貸してもらえるように魔王にお願いしてくれる?」

「……何をするつもりだ」


 眉をひそめ、訝しげに問う魔族に対して、妹は当たり前のことを言うかのように言葉を続けていく。


「国を分けるだけだよ。今の王様は、ほら、私と同じ年でしょ? それですべての人を治めるのは負担が大きすぎるし、競争相手がいるほうが魔力の消費量も上がると思うんだよね。だけど国同士で争ってはほしくないから、命を大切にっていう女神様の教えも浸透させたいし、いくつもの国を一気に興すのは大変だから最初から分かれてたと思わせたいの。それには洗脳が手っ取り早いかなって」



 場面が切り替わる。



「マティスと結婚することにしたよ」

「――は?」


 水色の髪の魔族がカップを落としかけ、青色の髪をした魔族がカップを叩き割った。


「何故だ!? どうして! そこに愛などないだろうに!」

「教会の後ろ盾を強固にするためにはそのほうがいいって言われたから、かな」

「愛なき婚姻などになんの意味があるというのか! そうか、俺への挑戦だな。いいだろう、その挑戦を受けてやろうではないか! そしてその身に愛の素晴らしさを叩きこんで――」


 机に顔面を叩きつけられ、青色の髪の魔族は静かになった。顔面を叩きつけた犯人――水色の髪の魔族が頭を押さえた手をどかすことなく、深い溜息をついた。

 完全に沈黙した青色の髪の魔族の頭を妹がつつく。わずかなうめき声が漏れたので生きてはいるらしい。


「勇者のためだからって、キミがそこまですることないんじゃないの?」

「勇者さまのためだけじゃないよ。そりゃあ勇者さまには幸せになってもらいたいとは思うけど、私とお姉ちゃんと気兼ねなく笑い合うためでもあるからね。それに――」



 ――物語はハッピーエンドじゃないと。



 そう言って、笑った。




 場面が切り替わる。



 何度も目にした白い空間。そしてそこに、今までみたことのない人がいた。

 白い布を重ねた服を身にまとった女性が、空間の中央に浮かんでいる。


「女神様?」


 彼女が何度も聞いた声の主だということはすぐにわかった。

 彼女は私が想像していたとおりの姿をしていた。


『他の世界より借りてきた魂でも、干渉するにはそれ相応の力が必要となるのです。私の力は弱く、使えば使うほど眠りを必要としてしまいます。だからあの時も力を使った私は眠りにつき――目覚めたときには、交わした約束が悲劇の元になっていたのです』


 遠いような、近いような、雑音のまざった声。


『此度の私もまた、近いうちに眠りにつくことでしょう。私にはあまり時間が残されてはいないのです。だから、どうか、どうかお願いです。あの人の血を継ぐものを助けてください』


 どうして私が、そう聞こうとして――




◆◆◆◆




 ――目覚めた私は極度の空腹感に襲われ、夢どころではなくなった。

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