「どう考えても、おかしい」
「お姉ちゃん、すぐにここを出よう」
腕を引かれ、ランタンを持っていた少女の体がわずかに揺らぐ。少女は後ろを振り返り、必死な形相を浮かべる妹を見て目を瞬かせた。
「出るって、でも依頼が……」
「嫌な予感がするの。依頼は、明日でも大丈夫だよ」
――ああ、また変な夢を見てる。
彼女たちは洞窟の中にでもいるのだろうか。ランタンの明かりはわずかな距離しか灯してくれない。先も後も暗く、地面と壁はごつごつとした岩と土で形成されている。
「――が言うなら、そうしよっか」
どこかもやがかった声。少女二人の姿もぼやけて見える。それは声が反響しているせいなのか、頼りないランタンの光のせいなのか、それとも夢だからなのか――わからない。
「どこに行くつもりだ」
踵を返そうとした二人の背に声がかかる。かつかつというわざとらしい靴音と共に、声の主が近づいてきている。
「ようやく見つけたというのに、逃がすわけがないだろう」
妹が少女を背に庇うようにして立ち、声の主と対峙する。暗闇から姿を現したのは――
暗転。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
誰かが泣いている。ひたすら謝りながら、泣いている。
「だけど、どうか。あなたにすがるしか、ないのです」
暗闇の中で、声だけが聞こえてくる。
「あの人の血を、どうか――」
◆◆◆◆
しまった。寝てた。
今は歴史の授業中だというのに、教師の子守歌のような語りのせいでうたた寝してしまっていたようだ。夢を見ていたから、うたた寝どころかがっつり寝ていたような気もするけど。
壁にかけられている時計に目をやると、授業終了五分前だった。いつから寝ていたのだろう。
いや、それよりも私が寝ていたところを誰かに見られていないかのほうが重要だ。授業中に眠る悪役なんて、情けなさすぎる。
視線だけで周囲を見回すと、皆真剣に教科書を読んでいた。こちらを見ている人はひとりもいない。器用にも座った状態で寝ていたおかげか、誰も気づかなかったようだ。机に突っ伏して寝ていなくてよかった。
歴史が終わると魔法学なのだが、今日はヒロインのいない日だ。王子様に話をつけることには成功したけど、どうやってヒロインを捕まえるればいいのか。そこが問題だ。
一番は明日の魔法学の休憩時間だろう。どこかに隠れる前にヒロインを捕まえらればそれでいい。だけど、それに失敗したら二日間の休みを挟んでしまうことになる。
そう考えると、今日からヒロインを探すほうがいいかもしれない。それならば明日から勉強会を開始できるし、休みの日に王子様とヒロインの外出とかができるかもしれない。一緒に出かけるイベントはなかったけど、偶然出くわすのはあった。それにこの際イベントとかは考えないでふたりの仲を近づけることに尽力しようと思う。
「よし、頑張ろう」
ぐっと手に力を入れて気合をこめる。
「――何をしているんですか」
冷ややかな声が降ってきた。顔を上げると、これまた冷ややかな視線をぶつけてくる宰相子息。
「これからの学園生活を頑張ろうと、そう思っただけですわ」
「そうですか。そのわりには、先ほどの授業で眠っていたようですが」
え、怖い。宰相子息は私の前の席に座っているのに、どうしてわかったんだ。
「あら、そんな、まさか、あらあら」
授業中に眠っている令嬢という不名誉な称号を得た衝撃も加わり、私の語彙が崩壊した。
「学業以外を頑張るというお話でしょうか?」
「いえいえ、そんな」
「まあ、ルシアン殿下は優秀な方ですからね。レティシア嬢が学業を疎かにしたところで、将来的には問題ないでしょう」
宰相子息の言葉が刺々しい。昨日すっぽかしたことを根にもたれているのかもしれない。私だったら間違いなく根にもつ。
自業自得だからといって、言われっぱなしになる気はない。
「ええ、まあ殿下が優秀なのは認めますが、私も私なりに頑張るつもりですわ。もちろん、学業も含めてのお話でしてよ。先ほどの授業については、昨晩勉強していたら眠るのが遅くなってしまっただけですの。それについては反省しておりますから、今後は気をつけるつもりですわ」
昨日はぐっすり寝た。勉強なんてしていない。
復活した語彙で嘘八百を並べ立てる。
「そうですか。それはよい心がけですね」
口元に浮かぶ笑みが嘲笑なのか真心からのものなのか。それを判断する前に宰相子息が背を向けた。これで話は終わり、次の魔法学に向かうということなのだろう。
私も手早く歴史の教科書をしまって、魔法学を行う中庭に急いだ。
「今日は魔術について教えるから、皆しっかり聞くように」
教師の視線が私たち生徒を一周する。
魔術について、私はあまり知らない。魔法の家庭教師は触り程度しか教えてくれなかった。光石を使うということと、準備などが必要なので学園で教わるようにということぐらいしか言われていない。
リューゲも面倒だからいいやと言って放棄した。
「魔術は光石を使って大規模魔法を起こすことだ。たとえば、火を灯すのが精々の奴でも月日と光石を費やせば山火事を起こせるようになる」
たとえが物騒だ。なんでもこの教師は元冒険者らしい。
元侯爵家の三男で、冒険者になった変わり者だとかなんとか。クラスの誰かがそんなことを友達と話していた。ちなみにその友達は私ではない。私はただ暇つぶしで聞き耳を立てていただけだ。
「光石に魔法をこめられるのは皆知ってるだろ。魔道具に使われている光石には、属性と方向性の両方がこめられているんだが、魔術に使う光石には属性しかこめない。属性だけの光石を魔道具にしようとするなよ。温風機を作ろうとして、温かい風の代わりに火が噴き出るかもしれないからな」
温風機というのは、エアコンやドライヤーの温かい風しかださない魔道具のことだ。冷風機という冷たい風の魔道具もある。
温風機には火と風の二つの光石が使われている。教師の言う方向性というのは、制御命令のことだろう。火は風を温め、温められた風が出てくる。その制御が効かない場合、風がそのまま火を押し出すかもしれない。多分、こういう話なのだと思う。
まあ、それ以前に光石を道具に埋め込むの自体技術がいるので魔道具にしようなんて思う人はこの場にいないと思う。
「じゃあ光石を配るから、属性だけをこめてみてくれ」
配られた光石は小指の先ほどもない小ささだった。うっかり落としたら見つけられなくなりそうだ。
私は光石を握りしめ、風属性をこめ――失敗した。
どうしても風が吹くというイメージを持ってしまう。この『吹く』の部分が方向性になってしまうようで、風だけをと思うのが難しい。
「祝詞の短縮だけでできるはずなんだがなぁ」
教師も困った顔をしている。
祝詞というのは、呪文のことだ。女神様に祈り、奇跡を賜っているという認識のせいか、呪文ではなく祝詞と呼ばれている。ちなみにリューゲは呪文派だった。
そう、リューゲに魔法を教わっているというのが問題だ。他の人たちは属性と命令が呪文によって分かれているから「五番目の奇跡よ。女神様の名のもとに」だけで成功している。
しかし、私の場合はそうもいかない。イメージして、それを言葉にするというのが定着してしまっている。
魔族に魔法を教わっているというのがこんなところで弊害になるとは思わなかった。
リューゲのことだからわかっていたはずだ。だから面倒だと言っていたに違いない。
結局、属性だけの光石は作れなかった。明日までに練習しておくようにと三個ほど光石を受け取り、今日の魔法学は終わった。
光石についてはリューゲに文句を言うついでに教わるとして、それよりもヒロインだ。昼休憩の間にヒロインに勉強会の打診をしよう。ヒロインを食堂で見た覚えがないので、昼食は教室とかで食べているのかもしれない。
クラリスと焼き菓子ちゃんに断りを入れて、私は下級クラスに向かった。
「いない?」
「は、はい。クロエさんは昼休憩になるとどこかに行くので、たぶん食堂かと、思います」
気弱で度胸のある子爵家の男の子が対応してくれたのだが、クロエはすでにどこかに消えてしまった後だった。
「そう。ならいいわ」
食堂でもない。教室でもない。ならばどこにいるのか――見当もつかない。
しらみつぶしに探すこと三十分。
中庭、図書室、教室を手当たり次第に見て回り、途方にくれかけてたころ空き教室にひとりでいるヒロインを見つけた。机の上にお弁当を広げて黙々と食べている。
「えっ、なんで」
扉を開けた私を見て、ヒロインが目を丸くしている。なんでと聞きたいのは私のほうだ。なんでこんなところでひとり寂しくご飯を食べているんだ。ヒロインなんだから友達の一ひとりやふたりぐらい作れるだろうし、和気あいあいと食事すればいいのに。
「私の手を煩わせるなんて、ずいぶんね」
何がずいぶんなのか私自身わからないが、とりあえず偉そうなことを言ってみる。
ヒロインはおろおろと視線をさまよわせ、お弁当の蓋を閉めると私と向き合った。
「え、よくわからないんですけど……私に何かご用でしょうか」
「用事がなかったらこんなところに来てないわ」
ここは最上階の角にある教室で、今は使われていない。エレベーターなんて便利なものはないから、ここまで階段で上らないといけなかった。しかも一階上がるたびに教室を見て回り、二年生や三年生に奇異の目で見られ、王太子にも話しかけられ、無駄に疲れた。三十分で見て回れたのが奇跡なほどだ。
「勉強会を開くから、あなたも参加しなさい。これは命令よ」
「は? 勉強会? なんで、私が?」
「あら、勉強が苦手だと言ったのはあなたよね。この学園に相応しい学力を身につけさせてあげるのだから感謝なさい」
「苦手、ですけど。でも、えーと、勉強会に参加するだなんて、公爵家の方に教わるのは、滅相もございません」
ぶんぶんと首を振るヒロインを見て、私はわざとらしいほど大きい溜息をつく。
「平民程度の知識で卒業されては、学園の名が落ちると言っているのよ。あなたに拒否権はないわ」
ヒロインは言葉に詰まりながらもまだ逃げ道を探しているのか、視線が虚空をさまよっている。
だけど、すぐに観念したように息を吐いた。
「わかりました。五日目の授業終了後一時間だけでしたら、参加します」
「それでは厳しい教えになるけれど、いいのかしら」
「はい。十分です」
王子様との交流を持たせるには少ないが、それ以上の時間を費やせと命令すると逃げそうだ。譲歩するしかない。
頭の中でどうやって王子様との距離を縮めさせるかを考えながら、ヒロインの出した条件に頷いた。
「あなたがそれでいいのなら、構わないわ」
昼休憩終了まで後二十分。食堂に駆けこんで食事をとれる時間があるかどうか。いや、無理だろうとやらなければいけない。空腹でお腹を鳴らす悪役なんて、悪役じゃない。
「――好きなお花はなんですか?」
教室を出ようとした私に突拍子もない質問が飛んできた。
「コスモスかしら」
秋桜と書くところとか、可愛いと思う。
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