「冗談じゃない。誰が行くもんか」

 ヒロイン登場に真っ先に反応したのはクラリスだった。眉根を寄せ、怪訝そうな表情を浮かべている。


「クロエ、とおっしゃいましたわね。お会いしたことがありませんが、どちらの家出でいらっしゃいますの?」


 クラリスというかアンペール家は顔が広いほうらしい。土地柄もあってか、招待された茶会や社交の場にはすべて参加して人脈を広げているとか。

 そのクラリスでさえ会ったことがないのは当たり前だ。ヒロインは貴族主催の場に顔を出すような人物ではない。


「私は市井の生まれですので、家名はございません」


 まあ! とクラリスの口が大きく開かれる。


「ただの平民がどうしてここにいるのかしら。この学園がどういうところなのかわかってるの? しかも、わたくしたちと共に魔法を学ぶだなんて、一体どんな小細工を使ったのかしら」


 クラリスの口撃がはじまった。

 思わず静観していたけど、これは本来私の役目のはず。ヒロインが上級クラスに来た嬉しさと、お辞儀のせいで混乱していたせいで出遅れてしまった。


 合宿は魔法の訓練を兼ねているので、魔法学さえ一緒なら分岐イベントは起きる、はず。だからヒロインが魔法学だけでも上級クラスに来たのが嬉しかった。人目がなかったら小躍りしていたぐらいには。

 それなのに、ヒロインのとった礼の形は、私にとっては馴染み深く、この世界の人にとっては初めて見るもののはずだ。

 平民の間ではお辞儀が流行っているのかもしれない。そんな希望を思わず抱く。ヒロインが私と同じ前世の記憶を持っているなんて、考えたくもない。


 だって、その場合、ヒロインはわざとイベントを起こしていなかったことになる。


 もう考えるのはやめよう。ヒロインがどちらなのかは、今の段階ではわからない。今は、私にできることだけをしよう。


「わ――」

「クラリス嬢。そこまでだよ。先生が認めているのだから、君が口を出すことじゃない」


 意を決した私が口を開くのと、王子様がクラリスをたしなめるのは同時だった。クラリスは少し言いよどみながらも口を閉じ、どうしたものかと窓の外に視線を投げている先生に向き直った。


「あ、あー。まあ、生まれはともかく、彼女に魔力があることは確かだ。上級クラスが相応しいぐらいの魔力があることもわかっている」


 注目が集まったことに気がついた先生がようやくヒロインのフォローに回った。普通ならここでヒロインに空いている席に座るように促すところだろう。だけど、このクラスの席はすべて埋まっている。


「他のクラスでは座学を行うが、上級クラスにいる皆にはいらないだろうから、座学はすっ飛ばして実地訓練を行う」


 確かに上級クラスにいるのは侯爵家以上の人たちばかりだ。座学すら教えてもらっていませんということはないだろう。皆家庭教師を雇うだけの余裕はある。


「あの、それなら私は座学が――」

「お前にも座学は必要ないだろ」


 すかさずヒロインが手を挙げたが、にべもなく断られていた。



 その後、無駄に広い中庭というかグラウンドというか、よくわからない場所にやってきた。中庭というには広すぎるし、更地になっている部分もある。グラウンドというには、離れたところに噴水とか屋根付きの憩いの場とかがある。魔法の訓練は中庭もどきの中央の更地になっている部分で行うようだ。


「それじゃあ、まずは火属性をどのぐらいできるのかを見せてくれ」


 ひとりずつ前に出て、魔法を発動させる。さすがと言うべきか、王子様と隣国の王子さまの火力は飛びぬけていた。一番火力がなかったのが焼き菓子ちゃんで、ヒロインは中間ぐらい。私は中間よりも少し下だった。

 たぶん、詠唱のせいだと思う。女神様云々を言うことに慣れていない。


「じゃあ最後は光属性だ」


 続いた水、土、風は火属性のときと同じような順位だった。誰かの魔力が暴走するとか、ヒロインが目立つようなことも、何もない。

 魔法学でのイベントはなかったから、これが普通なのかもしれないけど拍子抜けだ。


「ん? それ、本気でやってるのか?」

「はい。どうにも、光属性は苦手で」


 ヒロインの指先には豆電球よりも小さな光が灯っている。焼き菓子ちゃんよりも光量が少ない。ヒロインなのに。

 ヒロインといえば、大抵の物語では癒しの力がどうこうとかで光属性寄りのイメージだったのに。

 ――そもそも、この世界での治癒魔法は光属性なのだろうか。


「んー、まあいいか。――明日からは個人訓練になるから、苦手なものと得意なものどちらを伸ばすか考えておいてくれ」


 教師がそう言い終わると、終業の鐘が鳴った。


 次の授業には遅れないように、と言い残して教師が去っていく。生徒もちらほらと教室に移動しはじめていた。そそくさと立ち去ろうとするヒロインの背中を見つけ、思わず呼び止める。


「――そこの平民。少し待ちなさい」


 ぴくりとヒロインの肩が震え、恐る恐るといった様子で振り返った。怯えと困惑の入り混じった表情を浮かべて、それでも逃げ出さずに足を止めている。


「これからも上級クラスに来るつもりなら分を弁えることね」


 とりあえず嫌味でも言っておこう。初撃はクラリスに奪われてしまったから、挽回しないといけない。


「それと、話があるから放課後私の部屋に来なさい」


 彼女がどちらなのかも見極めないといけない。願わくば、ただのヒロインであってほしい。


「そ、そんな、私がシルヴェストル公爵令嬢のお部屋にだなんて!」


 ヒロインは今にも泣き出しそうに顔を歪めている。小動物のようで可愛い。嗜虐趣味はないけれど、これはこれで――。


「可愛い子を苛めたら駄目じゃないか」


 さらなる追撃を、と意気込んだところで邪魔が入った。遊び人、じゃなくて隣国の王子が爽やかな笑顔でヒロインの隣に立ち、肩に手を置こうとして――空を切った。

 いつの間にかヒロインの位置が横にずれている。

 あれ、と自分の手を見つめている隣国の王子。それでも、さすがはいくら振られようと諦めない不屈の精神の持ち主。すぐに笑顔を浮かべ直した。


 ヒロインを庇うヒーローと、それに対峙する悪役。中々いい構図だ。心の中で隣国の王子に拍手を送りながら次なる手を考えていたら、第三者の声が飛びこんできた。


「あ、ああの! レティシア様は苛めたりなんて、しませんよ!」


 隣国の王子と私の間に立った焼き菓子ちゃん。誰がどう見ても苛めているとしか思えないのに、私を庇っている。心遣いは嬉しいけど、そのフォローは間違っている。


「そうですわ。平民を苛めるほどの暇がわたくしたちにあるはずがないでしょう」


 さらに加わるクラリス。さきほどまでの嫌味は彼女の中では苛めていないことになるらしい。


「えーと、とりあえず、私の部屋に来なさい。来ないなら私から行くわよ」

「あまりそういうことを私以外には言わないで欲しいかな。婚約者である私が君の部屋に行けないのに、他の人を連れ込もうとするのは妬けるからね」

「殿下、同性相手なのですからそれは気にしすぎかと思います」


 授業の後を選んだのは失敗だった。王子様と騎士様まで首を突っこんできた。さっさと教室に戻ってほしい。


 わらわらと人が集まってきたせいで、なんかもうよくわからない集団になってしまっている。折角の構図が台無しだ。


「女装してみるというのはどうですか? 殿下ほどの美貌があれば女装しても違和感はないかと思いますよ」

「クリス! 殿下にそのようなことを!」

「女子寮に入れないのが不満なら、女子になるしかないだろう?」


 女騎士様の一言で、そこからは王子様がどうやったら女子寮に入れるかの議論がはじまった。

 駄目だこのクラス。癖が強すぎて収拾がつかない。



 気づいたらヒロインはいなくなっていた。私もこの場から逃げ出したい。

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