眼鏡

「本日はお招きいただきありがとうございます」


 今日は友達とのお茶会の日だ。焼き菓子ちゃんとクラリスとアドリーヌに加えて、宰相子息もやってきた。

 焼き菓子ちゃんからのお願いをお母様に伝えたら、最初は渋っていたけど最終的に同意してくれたので、こうして宰相子息も遊びに来ることになった。


「や……マドレーヌと婚約したと聞きましたわ。おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 そう言って下げていた顔を宰相子息は上げる。その目には、眼鏡がかけられていた。騎士様の誕生祝で会ったのが最後で、そのときはかけていなかったのに、いつの間に増えたのだろう。


「目を悪くされましたの?」

「いえ、そういうわけではないのですが……」


 言いよどみながら曖昧な笑みを浮かべている。目が悪くないのに眼鏡ということは、お洒落的な何かなのかもしれない。

 婚約者もできたし、ちょっと洒落っ気を出したい年頃になったのだろう。ならばこれ以上追及すると宰相子息が可哀相だからやめておこう。


「クラリスとアドリーヌもよく来てくれたわ。アドリーヌは色々忙しいと聞いたけど、今日は大丈夫だったのかしら」

「はい、レティシア様。忙しいとは言いましても、ほとんどが教育関係ですのでご心配にはおよびません」

「そう、ならいいのだけれど」


 そしてテーブルを囲う。今日は蜂蜜たっぷりのケーキと、苦みが強いけど香りのよいお茶が並べられている。

 そして、少し離れた場所ではリューゲと給仕のための侍女が控えている。


「マドレーヌ様とパルテレミー様が婚約だなんて、初めて聞きました」

「つい先日のことですから、まだそこまで話が広まっていないのでしょう」


 前回いなかったアドリーヌが紅茶を飲みながら、首を傾げた。

 婚約したとしてもわざわざお披露目とかはしない。でも、誰かしら話題にするのですぐ広まるのが普通だ。宰相子息と焼き菓子ちゃんの婚約は、本当につい最近のことなのだろう。


「王家にも新しく男児が産まれたそうですし、今年はよい年になりそうですね。……王妃陛下については、少し残念ですが」


 王妃様の死は、第三王子誕生と共に知らされた。


 この世界では、人の死というものはそこまで悲しむものとはされていない。人は死ぬと女神様のもとに帰るだけで、別れの儀――つまり葬式を終えたら、それ以降は前を見て、失った人のことは過去にするべきだと言われている。

 さすがに喜ばしいことだとまでは言われていないのが、私にとっては救いだった。


 喜べと言われても、絶対に頷けなかっただろうから。


「ええ、そうですね。陛下は新しく奥方を娶るつもりはないそうですよ」

「まあ、そうなんですの? 仲睦まじいお二人でしたものね」

「他国から縁談の申し込みがあるそうですが、全て断っているらしいですよ」


 私は口を挟まず、ちびちびと紅茶を飲む。王妃様が亡くなられてからまだ一年も経っていない。それなのに次の奥さんを宛がおうというのは――さすがに理解できない。

 だけどそういうのが当たり前な世界なので、下手なことを言わないように紅茶とケーキで口の中をいっぱいにさせる。


「ローデンヴァルトの王を少しは見習ってほしいものですね。確かあちらは最近また新しい妃を迎えたそうですよ」

「十五を超えたあたりで数えるのをやめてしまいましたけど、まだ増えてますのね」


 ちなみに、女神様の教えでは一夫多妻は認められている。まあ、養えるだけの甲斐性を持っていることが前提なので、そうそう複数の奥さんを持ちはしないと思うけど。

 でも裕福な貴族なら、奥さんを何人も持っても平気そうなのに――この国では皆一夫一妻だ。そういった法があるわけでもないのに。


「あら、わたくしは一人の方を想い続けるのは素晴らしいと思いますわ」


 優雅に薄く微笑むのはクラリス。教会に対して喧嘩腰の彼女は、サミュエルがいないくてもでも喧嘩腰だ。


「おや、それはどうしてでしょう?」

「すぐに切り替えることができる愛情なんて、わたくしはいりませんもの。それに、女神様のもとに行けると言っても、手元に戻るわけではございません。簡単に割り切れないのが人というものでしょう」


 ぴくりと宰相子息の眉が跳ねる。探るような目でクラリスを眺め、口元に酷薄な笑みを浮かべた。


「ああ、そういえばあなたは教会に対して不信をばら撒いていましたね。まだ諦めていませんでしたか」

「わたくしとしては、あなたがもう割り切れているということに驚きますわ。聞けば、パルテレミー公に縁談を勧めているそうですわね。亡き奥方を想っていらっしゃるのですから、その心情を思いやってはいかがでしょう」

「人の家庭の事情に口出ししないでいただきたいものですね」

「王家の家庭事情に口出ししていたのは、目の前にいる方だと思っていたのですけれど、わたくしの勘違いだったかしら」


 バチバチと二人の間で火花が散る。この家のお茶会に参加する男子とクラリスの相性は最悪だ。


「見苦しい言い合いはおやめなさい」


 私としてはクラリスに賛同したいところだけど、打倒クラリス目指せ悪役を志しているので、どちらにも加担しないことにした。

 私がカップをテーブルに置き視線を向けると、二人は押し黙った。


「この茶菓子美味しいですわ!」


 しばらくの沈黙の後、冷え切った空気を壊すように焼き菓子ちゃんが感嘆の声を上げる。口元に手を当て、頬を赤色に染めながら恍惚な目をしている。少し怖い。


「レティシア様のところでいただくお菓子はどれも絶品ですわね!」

「え、ええ……腕のいい方を雇ってるもの」


 お母様が。


 食にうるさいお母様は、自分の手で職人を選別し雇い入れている。教会生まれのはずなのに。

 最近、お母様は教会の教えが合わなかったからお父様に嫁いだのではないかと思えてならない。お父様の手記によると大恋愛だったみたいだから、さすがにそれだけではないと思うけど。


「私、レティシア様のところでお菓子をいただくのが最近の楽しみですの」

「そう言ってもらえて嬉しいわ」

「マドレーヌ、あまりはしたないことをしないでください」

「あら、私ったら……」


 私の手を握って、恍惚の表情を浮かべた焼き菓子ちゃんを宰相子息が宥める。恥ずかしそうに目を伏せながら、焼き菓子ちゃんが私の手を離してくれた。


「そういえば、レティシア様に教育係が増えたそうですね」

「そ、そうですわ。あちらにいるのがリューゲ・ロレンツィ。私の護衛兼教育係ですの」


 そして見張り兼従者兼魔族だ。


 宰相子息はちらりとそちらを見て――目を見開いた。そんながっつり見ても、面白いものは何もないと思うのだけど。


「そう、ですか……」


 その言葉を最後に、お茶会が終わるまで宰相子息は静かになった。

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