婚約

 にこにこと嬉しそうに笑っている焼き菓子ちゃん。


 焼き菓子ちゃんの婚約者である宰相子息は学園入学後すぐの試験で、ヒロインに負ける。ろくな教育を受けていない平民が、自分に勝つなんておかしいと考えた宰相子息は、何か秘密があるはずだとヒロインの周囲を探りはじめる。

 そして図書室とかで一生懸命勉強するヒロインの姿にほだされていく――というのがゲームにおける話の流れだ。


 宰相子息とヒロインの仲が急接近すると、机に死骸が詰め込まれたり、自室に汚物が置かれたりとかの精神的ダメージの高い、というか貴族令嬢として色々おかしい嫌がらせが頻発するようになる。

 ハッピーエンドでは結局その犯人はわからないまま終わった。それ以外のルートだと発覚するのかもしれないけど、詳しいことは知らない。

 でも他の攻略対象相手の時にはそういった嫌がらせが起きないので、間違いなく焼き菓子ちゃんの仕業だろう。


 他にも細々とした嫌がらせが理由で、焼き菓子ちゃんは宰相子息から婚約破棄を言い渡され、ついでとばかりに私も婚約破棄される。誰が相手でもヒロインの前に立ちはだかり、嫌味を言いまくっているせいだと思う。


 それからも色々あってヒロインと宰相子息は結ばれる。



「ま、まあ……それは良かったわね」


 そんなこんなを思い出したせいか、心からの祝福ができなかった。もしもヒロインが宰相子息を選んだ場合、焼き菓子ちゃんが非常に残念な子になってしまう。


「レティシア様とルシアン殿下のような、親しい間柄になれるように頑張ってますの」


 頬に手を当てて恥じらうように微笑む焼き菓子ちゃんは、とても将来死骸や汚物を扱う令嬢になるようには見えない。

 恋って怖い。


「どなたなのかお聞かせいただいてもよろしくて?」

「パルテレミー公爵家のシモン様ですわ。とても博識な方で、お会いするたびに私の知らないことを教えてくれますの」


 クラリスの問いに焼き菓子ちゃんが目をきらきらと輝かせて答えた。

 そういえばクラリスに婚約者がいるかどうか聞いたことがない。


「クラリスにはどなたか好い方はいらっしゃるのかしら」

「……まだですわ」


 苦々しい表情で吐き捨てるように言われた。どうやら私の純粋な疑問は嫌味として受け取られてしまったようだ。

 クラリスの家は侯爵家だから、繋ぎを作りたいと婚約を申し出る家もあるはずなのに、何故婚約者がいないのだろうか。

 思いつくのはまさに悪役令嬢といった性格だけど、ゲームで悪役令嬢をしていた私に婚約者がいたことを考えると、性格だけでどうこうとはならないはずだ。

 

「……わたくしに相応しい方がまだいらっしゃらないだけですわ」


 不思議だなぁと首を傾げていると、クラリスが教えてくれた。

 つまり、選り好み中ということか。クラリスについて私はまったくといっていいほど知らない。

 彼女が将来どんな婚約者を持つのか、興味がわいてくる。


「素敵な方と巡り会えるといいわね」

「クラリス様もきっと素晴らしい方と出会えますわ! 私もどんな方と婚約が結ばれるのかドキドキしてましたけど、とても素敵な方と婚約できましたもの」


 クラリスを励ましてると見せかけて惚気ている。さすがにいたたまれない気持ちになったのか、クラリスが視線を逸らした。

 その視線の先には――サミュエル。またなにかいちゃもんでもつけるのかと警戒する。


「それで、沈黙を守っていらっしゃるあなたには、婚約している方はいますの?」

「いえ……教会では、婚約者というのは……もたないので、年頃になったときに……その、選び、ます」

「あら、それではよい相手はもう残っていないでしょうね」

「……え、と……同じ様に、教会に勤めている方から、選ぶのが……多い、です」


 神様の嫁とか婿とかといった風習はないということか。

 教会の中で出会い、結ばれ、子を作る。とても閉鎖的だ。


 多少の棘は残っているけど、真向から嫌味を言うことはやめたようだ。クラリスは表面上だけは穏やかな笑みを浮かべている。


 クラリスとサミュエルの間で何かあったということはないだろう。だからクラリスがよく思っていないのは、教会に対してだと思う。

 品行方正で、治癒魔法を使えて、閉鎖的で、平等な教会に一体どんな恨みをもてるのか。考えても何も思いつかない。


 お父様やお兄様に聞いたら何か知ってるかもしれないけど、教えてくれるだろうか。


「レティシア様、今度シモン様もお連れしてもよろしいでしょうか」

「え? え、えぇ、いいわよ」

「ありがとうございます! きっとシモン様も喜びますわ」


 考えることに没頭していたせいで思わず頷いてしまった。

 宰相子息が我が家に来て何か困ることはあるだろうか。いや、それ以前にお母様が頷いてくれるだろうか。


 頬を朱色に染めながら嬉しそうに微笑んでいる焼き菓子ちゃんに、やっぱり駄目とは言えなかった。

 

 まだ幼いからか、あるいは恋をしているからか、焼き菓子ちゃんは可愛い。見た目はとても可愛い子だとは思っていたけど、今は振る舞いまでも可愛いらしい。

 彼女の嫌がらせを知らなかったなら、ここぞとばかりに甘やかしたくなる。くるくるでふわふわの髪は撫でたくなるし、無邪気に慕ってくる姿は守ってあげたくなる。


 こんな子が死骸とか汚物とか虫とか扱うようになるんだから、本当に、恋って怖い。

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