最後の三週間7

 恋情や愛情を抱くことなく相手を見ていないという点で、私と王子様は似通っている。

 ゲームのキャラクターとして見ていたわけではないが、私は未来の王子様を今の王子様に重ねていた。ああでも、私の記憶にある未来の姿はゲームのものだから、結局はキャラクターを見ていたのかもしれない。


 悪役を目指すことにした私は、彼らから一歩引いて間に壁を建てることにした。所詮は人生の通行人にすぎないのだから、情がわいたら困る。特に王子様は婚約破棄される相手だ。徹底しようと頑張っていた。

 彼らにとって、私という存在は学園を出る頃にはいなくなっているものだ。ほんの一時いっとき近くにいるだけの存在に情を寄せるなんて、彼らにとっても、私にとっても精神衛生上よろしくない。

 だから私は心の中だけでも彼らの名前を呼ばないことに決めた。


 だから王子様を責めることなんて私にできるはずがない。それでも思わず言ってしまったのは、王子様が抱いた気もちを恋だと錯覚させたくなかったからだ。道行く人に恋するのは不毛すぎる。しかもただの勘違いで、大切な人の面影を追っているだけならなおさらだ。


 ヒロインとのはじまりは面影を追ってのことだったが、その後築いた愛情は確かなもののはず。勘違いからでも、真実に変えられるほどの魅力がヒロインにはある。

 だけど私に同じことはできない。性格も能力も、すべててにおいて私が勝てる要素はない。ヒロインよりも王妃に相応しい人なんて、この国にはいないだろう。



 ――なんてことをつらつらと考えていた。半分現実逃避に等しい思考は、次第に自虐的になってきている。これ以上考えるのはやめておこう。足りない部分が多いことは最初から分かっていたじゃないか。私は貴族として落第点を取れる自信がある。


「……殿下、離してください」


 思っていたよりも鍛えているのか、王子様の腕はびくともしない。十歳なのにすごいな、と思ったけど私も十歳だった。性差がそこまでない年頃とはいえ、鍛えていない私は逃げれない。


「どうして?」


 好いてもいない相手に抱きしめられて喜ぶ女性はいないだろう。たとえそれが美形だろうと婚約者だろうと。婚約者だからいいと王子様は思っているのかもしれないけど、私からしてみたらたまったもんじゃない。


「殿下、婚約者とはいえ私たちはまだ十歳の子供です。このぐらいの年の子は交換日記からはじめて健全に親睦を深めるべきであって、このような行為には断固として反対させていただきます。体を寄せるのは大人になってからにするべきです」


 思いつくままに言葉にしてしまうぐらいには、今の私は混乱しているのだろう。唯我独尊な王子様が、私に名を呼ばれないことを気にしていた事実とか、先ほどの泣き顔とか、王妃様を失った王子様の衝撃とか。そんな色々なことが頭の中をぐるぐると回って、熱が出そうだ。


「……そう。じゃあ大人になったらいいんだね」

「いえ、そういうことでは――」


 王子様は納得したように腕の力を抜いた。不用意なことを言ってまた抱きしめられたら敵わないので、言おうとしたことを引っこめる。大人になったらヒロインが王子様のそばにいるだろうし、とりあえずはそういうことにしておこう。


「ええ、そうですわね。大人になってからなら、構いませんわ」


 全力で逃げよう。


 ヒロインに未来を託すことを決めたからか、冷静になってきた。青い目の女性なんてこの国にはありふれている。すぐに別の人に好意を寄せるだろう。もういっそヒロインじゃなくてもいいから、誰か捕まえてしまえ。


「そろそろお戻りになりませんか? セドリック様が心配してましたのよ」

「……君ってセドリックのことは名前で呼ぶよね」


 さすがに目の前で騎士様と呼ぶのはどうかと思う。それ以外に呼びようがなかったのだから仕方ない。


「他にどのようにお呼びしろとおっしゃるのかしら」

「家名で呼べばいいだろ」


 目から鱗が飛び出る。そうか、その手があった。前世では苗字で呼び合うことなんてざらだったのに気がつかなかった。ゲームでは皆名前表記だったし、家族も――当たり前だけど――名前で呼び合ってたし、この世界の人は名前で呼び合うものだと思っていた。

 社交に出なかった過去の私が恨めしい。世界の狭さが仇となった。


「では、ヴィクス様が探しておりましたので帰りましょう」

「そうだね。あまり大騒ぎになると困るし、そうするよ」


 王子様は立ち上がると部屋の隅に向かい、座り込んだ。何をしているのだろうかと近づくと、床に同色の取っ手がついているのを見つけた。王子様はそれを引っ張っては離してを繰り返している。


「殿下?」

「……中からじゃないと開けられないのか」

「え、じゃあどうされるんですの」

「まあ、外から歩いて帰るしかないよね。あー、怒られそうだなぁ」

「抜け出した時点で怒られるから諦めてください」


 頬を膨らませている王子様を横目で睨みながら扉を開けて、閉めてまた開けた。


 外は完全に真っ暗になっていた。夜までには戻るんだよ、という天使の声が頭の中で木霊する。

 外の光が入らない室内にいたせいか、時間間隔が完全に狂っていたようだ。


「殿下、外は暗いのでここで一夜を過ごしてから戻りませんか?」

「……まだ幼いとはいえ、男女がふたりで外泊したらいらない噂が立つよ。君にとって不名誉な結果になるけど、それでもいいの?」

「……悩みますね」


 命あっての物種とも言うし、悪役令嬢になる予定の私にとって悪評なんてあってもなくても変わらない気もする。


「それに、ここには暖炉がないから凍えるよ。身を寄せ合って眠ることになってもいいの? 僕は構わないけど、君は嫌なんだろう。なら歩いて戻るほうがいいんじゃないかな?」


 泊まりましょうと言いかけた私は即座に口を噤んだ。まだまだ寒いから、暖房具もなく眠ることはできないだろう。かといって、寄り添って寝たとしても凍死のリスクは十分にある。それならば、このまま帰るのが適切か。

 小屋は森を入って少し歩いたところだったし、その程度なら魔物も襲ってこないかもしれない。


「それに明日になったら大騒ぎになるかもしれないし」


 おそらくこれが本音だろう。説教される理由を減らしたい王子様の提案に乗ってあげることにした。

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