熱帯夜の怪人 2


 吸血鬼――

 それは言わずとしれた、夜魔の王ナイトロードである。

 闇夜を跳梁し、人の生き血を吸い、場合によっては吸った相手をも自らの同族へと変化させてしまう。


 霧や蝙蝠への変身。人知を超えた身体能力。異常な再生能力等の異能を持つ、異族。

 知られている弱点や特徴も多いが、逆にそれがあまりにも多すぎて、目の前の吸血鬼に本当に有効かは分からない。

 はっきり言って、相当に厄介な存在だった。


「さて、相手が本当に吸血鬼だとしたら、正直俺は戦うのどころか見るのすら初めてなんだが、お前はどうだ、琥珀?」

 日中の街を歩きながら、社は琥珀に向かって問う。


 その手にはタブレット端末が有り、画面上には幾つかの地点にマーキングされた地図が表示されている。

 それは、奈美川の資料から推測される、首筋に傷跡が付けられた女性達の襲撃ポイント候補地だった。


 記憶が抜けた時間に、そこに居たであろう事が推測される範囲は限られる。それを複数纏めれば、吸血鬼の所在が絞れるかもしれない。

 日中に回っているのは、これが吸血鬼によって引き起こされた事件ならば、日が出ているうちはそこそこ安全であろう、という推測からだ。下調べは安全な内に。


「そうだな……」

 琥珀は顎に手をやって考える。

 ――なんだ……


 その表情に、社は常と異なるものを感じ取っていた。

 いつもの琥珀は、どこかで傍観者というか、全てを見て面白がっている節があった。当事者意識の欠如とでも言うのだろうか。


 ステージに上っていない、客席で事態を眺めているかのような印象。

 それが、琥珀の、あくまで自分は道具である、という自己認識から生み出されているものなのかもしれないと社は考える。が――それはあくまで、推測と印象だ。本人に聞いてみたりしたわけではない。


 琥珀が口を開く。

「知らないでもない、といった所かな」

「ほう……じゃあ、聞かせてもらおうか」

 話しながら、二人は襲撃ポイントを回っていく。女性の会社から家までの帰宅ルートや、買い物に行ったコンビニと家の間。


 今は日中で、人通りも多いが、それでも気になるポイントは有る。街灯も疎らな路地裏、袋小路、狭く曲がりくねった一本道。

 文明の発達した現代。治安が良いと言われる日本。それでも、生活の至るところに冥闇は存在する。


 日常の、薄皮一枚だけ隔てたその場所に、確実に。そして、それは時折日向を歩いていた筈の人達に牙を向き、闇の中へと引きずり込んでいく。

 それは霊的な現象に限った話ではないのだ。

 そんな都市の冥闇を確認しながら、琥珀は言う。


「とりあえず、歴史的な話から軽くやっていこうか。吸血鬼と言っても、まぁ歴史は深いようで浅い。歴史上で実際に起ったと言われる吸血鬼事件のうち、記録に残っているものとして古いのは、一七二五年のセルヴィアの農村に端を発する、動く死体リビングデッドによる連続殺人事件とかになる。これは公式文書にも記録が残っていたりするな」


「ほう」

「犯人と疑われた男――まぁ、事件当時にはもう死んだ男なんだが――は数日前に入れられた墓から掘り起こされたけれども、その死体は新鮮な血を流し、腐敗もしていなかったそうだ。これはまだ生きている……そう考えた村人は、その胸に杭を打ち立てた。すると――」


 にやっと、琥珀は笑って続ける。

「ぐえー、って悲鳴をあげたんだとさ、その死体は」

「で、それは吸血鬼だったのか?」


 社の問いかけに、琥珀は首を横に振って答えた。

「いや。かのマリー・アントワネットの母親の命令で医師たちが調べた所によると、ただ単に、地の底に埋葬した遺体は意外と劣化しないという事を当時の人が知らず、中に残った空気やガスが杭を打ち立てた時に立てた音を、断末魔だと思い込んだだけ……だ、そうだ」


 ま、見たわけじゃないけどね、と琥珀は言った。

 それに対して、社は言う。

「だが、実在しないことは最早問題ではない」

「そういう事。動く死体リビングデッド、血を吸って仲間を増やす、夜の徘徊者ナイトクローラー吸血鬼ヴァンパイアという存在、概念は、このセルヴィアから欧州全体へと拡散されて、さらに女吸血鬼カーミラや吸血鬼ドラキュラなどのフィクションとしてしっかり浸透した」


 伝承礼装エピックウェポンがそれを利用しているように、物語られる、ということは、それ自体が大きな力となる。

 吸血鬼という新たな伝承は欧州にて根付き、加工されることになった。その結果、本物の吸血鬼が生まれる事になる。


 そんな事を考えながら、社は問う。

「ところで、歴史の授業と、俺達が実際に戦わなきゃならない吸血鬼に、関係は有るのか?」

「そこそこ」

「そこそこか……」


 はは、と琥珀は笑う。

「無意味ではない、ということで納得してくれ。さて、さっきのセルヴィアの事件からも分かる通り、吸血鬼は本来、動く死体リビングデッドだ。ゾンビに近いな。カプコンでも、ヴァンパイアじゃなくてバイオの領分かもしれない。それが、夜魔の王ナイトロードのイメージになったのは、以後の創作の影響が大きい、っていう事になる」


 なるほど、と社は頷く。

「つまり、夜魔の王ナイトロードとして振る舞う吸血鬼には、創作で有効だとされているようなものは、だいたい通る、と考えて良いのか」

「天然物なら……とは言っても、強ければ無視される程度のものではあるがね。少なくとも、私の知っている奴は、健康のために日光浴をしかねないやつだったよ」


「えらく健康的だな……というか、知り合いが居るのか」

 社の言葉に、琥珀は僅かの間を開けてから答えた。

「……まぁ、な。えらく強かったよ、当たり前だけれども」

「そいつは今どうしてる? 死んだか?」


「吸血鬼はそもそも動く死体だと言っただろ、社。死んでることだけは間違いない」

「じゃあ、言い方を変えよう。まだ動いてるか」

 琥珀は首を横に降った。


「分からない。少なくとも、私が最後にあったときはまだ動いていた。とは言っても、もう随分と昔の話だ……いや、一〇〇年経ってないから、そうでもないか?」

「教科書に載るような時代は昔でいいぞ」

「おっと、ダメージを刻みに来たな社。だがそんな超必殺技の削りダメージでフィニッシュされるほど私は甘くないぜ?」


「何の話だ」

「え、格ゲー?」

「急に話題を転換するな」

「まぁ、何にしろ、私の知り合い当人が出てくるわけじゃああるまいし、そこまで気にすることじゃないだろ?」


「それは否定しないが」

 そんな事を言い合いながら、二人はポイントを回り、襲撃が有り得そうな場所を見繕う。

 襲撃地点と予測される範囲は然程広くはなく、犯人の潜伏地点はこの近くに有ると類推できたが、具体的な位置となると、さすがに分からない。

 夜になってから、再度この辺りを回って遭遇戦を狙う……というところまで決めた。


 そして、夜の路地裏――

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