双狂 2
ズレている――という感覚を、燐音は得る。
この開かずの間は、何か奇妙なズレが有る。それは間違いなく、何かがあるということだ。
そう考えて、燐音は目を瞑って部屋を視る。
すると、燐音の瞼の裏に、黒い闇の中にワイヤーフレームで再現されたかのような教室が視えた。その中央部、長机の一つの上に、何か――白い靄のようなものがあった。
これは俗に霊視と言われる行為である。
陰陽道で言うところの、見鬼の資質。或いは単に見えるべきではないものが見えてしまうという体質。
そういった先天性の資質を、訓練によって伸ばし、制御し、技能としたものが、霊視だ。
燐音の場合、通常でも見えているし、気配として感じもするのだが、視覚情報を遮断することによって、その精度を上げる事にしている。
「クロ、刀をちょうだい」
「……
燐音の言葉に応じて、黒玉が
「ありがとう、後でご褒美をあげるわ」
「……いらない」
「謙虚で良い子ね。でも、もう少し我儘を言っても良いのよ? 私的には、クロをどろっどろに甘やかしたいわ」
そう言いながら、左手に鞘、右手に柄を握る。そして、一歩で霊視した靄まで飛ぶ。
禹歩も縮地も不要。
抜刀。
抜き打ちの一刀が閃き、銀光が虚空を裂く。
燐音が納刀すると同時、空間に切れ目が出来た。
それは間違いなく、異界へと繋がる入り口であった。
「……行くの?」
「その必要はないわ」
燐音がそう、黒玉に返答した瞬間だった。
燐音が切り裂いた入り口から、何かが溢れ出てきた。それはまるで、水面に一滴の紅を落と
したかのように、こちらがわの世界を変質させる。
燐音の斬撃によって開かずの間が異界へと繋がり、それが溢れ出てきたのだ。
燐音は周囲を見渡してみる。
部屋内部の構造に、変化はない。複数の長机に、黒板に窓。しかし、先までとは明確に違ってしまっている箇所もあった。
窓が、カーテンに覆われていない。
そしてその窓に映っている外の光景は、まるで血染めになったかのように全てが赤く染まってしまっていた。
黄昏時――いや、そんな時間には、まだ早かった。
ならばこそ、ここが構造的には開かずの間と同じであっても、異界で有るということがひと目で分かる。
そして、先までとは明確な変化がもう一つ。
黒板前の、長い教卓。テーブルとしても使えそうなそこに、今まで存在していなかったものが現れていた。
それは、今の燐音と同じ制服を着た、ショートカットの小柄な少女だった。
目を閉じ、仰向けに横たえられているその少女は、資料を渡されていた行方不明となった生徒に間違いない。
燐音は少女へと近づくと、腰と背中に手を差し入れて、そのまま持ち上げる。俗に言う、お姫様抱っこの姿勢だ。
「ふふ、まるで羽のように軽いわね……囚われのお姫様はこうでなくっちゃ」
「……燐音ぇ……」
呆れた声とジト目の黒玉。それを確認して、燐音は言う。
「ふふふ、ごめんなさいね、クロ。小さくて可愛らしい女の子には、どうしても優しくなってしまうの」
「……気持ち悪い」
「それがあなたにヤキモチを焼かせてしまうなんて……あぁ、でも、クロがヤキモチを焼いてくれるなんて! 喜びしか無いわ……いえ、ごめんなさい、嘘を付きました。感動も有りました。ふふふ、ごめんなさい、ちゃんと一通り終わってから、クロのこともお姫様抱っこしてあげるわ、愛を込めて!」
「……」
死んだ魚のそれでもまだ瑞々しさがあるだろう、と言った感じの目で黒玉は燐音を見ていた。それを意に介する様子もなく、燐音は少女を抱き上げたまま、開かずの間唯一の出口に向かって歩いていく。
燐音は足で扉を開けると、教室の外、廊下に少女を横たえさせた。
「少しだけ待っていてほしいわ」
そうとだけ言って、燐音は再度教室の中に戻って、扉を締めた。
「依頼内容は少女の発見なんだから、これ以上はどうこうする必要はないのだけれども……私もサービス精神旺盛ね。クロは褒めてくれる?」
言葉を振られて、黒玉は無言で首を横に振った。
「あら、残念……本当に残念だわ。頭をなでたりしてほしかったのに。させてくれるほうでも良かったのに」
「……仕事」
「サービスよ」
言いながら、燐音は手に持った妖刀ムラマサを正面に向かって投げる。
切っ先をまるで矢のように先頭にして、まっすぐに妖刀ムラマサが飛んだ。それは真っすぐ飛んで、背後の壁に突き刺さる――よりも先に、空中で静止した。
その光景に驚く様子もなく、燐音は口を開く。
「分かっているのだから、姿を隠している必要はないわ」
「やれやれ、思ったよりも遥かに優秀だったようだねぇ」
燐音の言葉にそう返したのは、声は男のものだった。
「……」
無言で黒玉が燐音の隣に歩み寄ってくる。
「可愛らしいお嬢さん、そんなに怯えることはないよ」
「ええ! クロは可愛らしいわね!」
「……そこ食いつくところじゃない」
無表情を崩さないまま、燐音に向かって言う黒玉。そんな様子を見て、男の声が笑いへと変わる。
「はははははは! 愉快愉快――おっと! 流石に姿を隠したまま話をするのは、無礼かな?」
声とともに、妖刀ムラマサが止まっている場所に、それは姿を表した。
それは、奇妙な男だった。
いや、男というのは、先からの声以外に根拠はない。
そこに立っているのは、全身を黒いマントで覆い、シルクハットを被った、背の高い者だった。
性別が判別できないのは、顔が見えないからだ。
それは、顔を
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