峠の主 2
「はぁ、怪物」
社は思わず、呆けたように聞き返してしまった。
「ええ、怪物です」
テーブル越しに対面した奈美川は社に向かって、再度言う。
平日の午後。柔らかな日差しを締め切ったカーテンで受け止めた、やや埃っぽい部屋で、奈美川は社に仕事の依頼を持ってきていた。
「うーん……まぁ確かに、山というものは、色々と出やすい所では有るけどね、奈美川ちゃん」
言うのは、社の隣に座った琥珀である。そんな琥珀に向かって、奈美川が問う。
「色々、というと」
「山の中は、それ自体が異界なんだよ。人の住む場所ではないところ、ここではないどこか、異形の者が住まう場所。民俗学的には、山中異界、なんて言うんだっけ?」
琥珀の言葉に、社が頷く。
「獣、山賊などの犯罪者、
「そういうもの、ですか」
「そういうものなんだよ、奈美川ちゃん。まぁ、私達が使う
奈美川に琥珀は言う。
言って、奈美川が広げた資料を手に取る。
「にしても、峠の怪物の目撃者、これって走り屋の類じゃないのか? 不敗神話のRとかそれ系の」
「……え?」
琥珀の言葉に、奈美川は首を傾げる。
「分からなかったら流していいぞ。琥珀自身、全部が伝わると思ってるわけじゃない」
「は、はぁ……」
社に言われて、困惑しながらも奈美川は続ける。
「そもそもの発端は、この峠道での交通事故が多すぎる……ということでした。特に、夜間の」
「やっぱりこう、水を入れたコップを置いて走ってる連中が事故ってるだけなんじゃないのー?」
「えぇっと……」
「琥珀、少し黙ってろ」
社に言われて、琥珀は口を尖らせる。
「はいはーい」
「とりあえず、続けますね。実際に、事故を起こしたドライバー達から警察が話を聞いた所、不可解な証言が頻発しました」
「それが怪物か」
言って、社は資料に目を落とす。
峠を走っていたら、怪物が現れた。そして、その怪物の所為で、自分達は事故を起こしたのだ――概ね、そのような証言が並んでいる。
証言の数は多く、それだけ事故の数が多いことも示している。
資料に載っている場所は、元からそれなりに事故の多い場所だった――と、社は記憶していた。
社は資料を更に見る。そして、口を開く
「証言を見る限り怪物は――車、なのか?」
「の、ようです」
目撃証言に登っているのは、車の怪物だった。
夜中、しかも走行中の車からの目撃であったにも関わらず、怪物の目撃証言に特徴的な共通点がある辺り、ただの見間違い――というわけではなさそうだった。
その特徴点と言えるのが――
「顔かぁ――」
社の隣に座り、資料を覗き込んだ琥珀が呟く。
そう、顔だ。
幾つかの証言を纏めると、こうなる。
ドライバー――琥珀が言うところの、走り屋達は、深夜に峠を自動車で走っていた。その内に、その車と遭遇したのだという。
その車は、前を走っていたり、後ろから来たり、向こうから近寄ってきたり、こちらから近寄ったりと、行動は遭遇のシチュエーションは安定していない。
峠のルールに則って、二台の車はレースを行う。その最中で、相手の車が異形の怪物であることに気付くというのだ。
そして、その異形の怪物とのレースの中で、事故を起こした――というのが証言で一致する所だ。
顔――というのは、その車の正面、ボンネット部分が、人間の顔になっている、と皆が証言しているというのだ。
「人間の顔のついた車なんて……有るんですかね、そんなの」
「心当たりが無いではないな」
怪訝な表情を浮かべる奈美川に、社は言った。
「有るんですか、そういうの……?」
「車の怪異――クリスティーンだな!」
「そんなわけがあるか」
琥珀に対して、思わず社が突っ込む。クリスティーンとは、同名の映画に出てくる、邪悪な意思を持つ自動車のことである。別に顔はない。
「では、君の推理を聞こうじゃないか、社」
「推理もクソもあったものか。顔のついた車といえば、朧車だろう」
「朧車……」
呟くように言う奈美川を見て、社は頷く。
「本来は自動車じゃなくて、牛車に巨大な人間の顔が着いた妖怪だ」
「えっと、牛車って平安時代とかの貴族が使ってるあれ、ですよね」
「よく知ってるね奈美川ちゃん。ご褒美に飴をあげよう」
「え、ああ、どうも……」
飴(サイダー味)を手渡されて、困惑しながらも思わず、と言った様子で奈美川は琥珀からそれを受け取っていた。
「でも、妖怪って事は、悪霊とは別……なんですか?」
「まぁ、今昔百鬼拾遺、という妖怪図鑑のような本に纏められているから妖怪、という扱いになってはいるが、車争いという牛車の場所取りで負けた相手の怨念が生み出した妖怪、という事だから、結局は悪霊だと見て問題はない」
正確には、牛車に怨念が取り憑いた付喪神ではないか、というのが今昔百鬼拾遺の記述であるが、人の念が作り出した存在である以上、同じ事だ。
「ということは、社さん達で問題なく対処できる――ということで大丈夫ですか?」
「おうとも、任せておいていいぞ、奈美川ちゃん。朧車だろうと、ランエボだろうと、豆腐屋だろうと、ぶっちぎって見せようじゃあないか」
薄い胸を張る琥珀を見て、社はため息を吐く。
「何をするつもりだ何を……用立てて欲しいもの有るんだが、構わないか?」
頭痛を堪えるかのように頭に手を当てる社に言われて、奈美川は頷く。
「えぇ、なんでも――とはいきませんが」
「車を一台。最悪壊れても構わないものを」
「必要――なんですか?」
首を傾げる奈美川に、琥珀が言う。
「まぁ、私が運転する他あるまい……完璧なドラテクをだな」
「無免許運転などさせるか。運転は俺がする」
「豆腐屋の息子だって無免許運転でテクニックを磨いたんだ! 私だって!」
「黙れ」
言い合う二人を見て、奈美川は力なく苦笑い。
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