いい湯だな……って、なんじゃこりゃー!?

 俺らは浴槽の一角の、できるだけ人から見えない場所で、共に熱い湯に身体を沈めた。

 そして入ってすぐ……異変に気づく。


「こ、これはーーーーっ!?」


 俺は、目を見開いた!

 心臓が脈打ち、血管は倍ほど太くなって血がドクドクと駆け巡る!

 強張っていた筋肉から力が抜けて、あっという間にほぐれていく!

 肌はピリピリと軽い刺激が走るが、不快なたぐいの感覚でない!

 全身に重くのしかかっていた倦怠感けんたいかんや、連日の野宿によって崩した調子が瞬く間に癒されて、馬車に揺られ過ぎて痛くなっていた腰や、不眠でぼうっとしていた頭がスッキリとした軽さを取り戻す……まるで、疲労がお湯に溶け出して行くかのようだった。

 それはいわゆる、ゲームの回復ポイントみたいなもので、「なるほどー。あれが現実にあったら、こんな感じなのだなー」と実感するに十分な気持ち良さなのだ。


 俺は、あまりの悦楽に目を軽くつむり、口を半開きにしてボヘーっとほうけてしまう。

 マリオンも隣で、同じように緩みきった表情でお湯に身をゆだねてる……この気持ち良さの前では、見られる恥ずかしさも気にならないようで、心身ともにリラックスした顔をしていた。

 しばらくしてから、マリオンがポツリと言う。


「ジュータぁ、ごめんな」


「ん? ……なにが?」


 マリオンはお湯の中で足を伸ばし、水面をパチャリと蹴ってから言う。


「実はオレ……さっきまで、バカな事を言っちゃったなーって、すげえ後悔してたんだ。ホントは人に裸を見られるの、怖かったんだ。でも自分で言い出したもんだから、今さらやめるとも言えないし……」


「なーんだ! やっぱり、やめたがってたのか?」


「うん……。なんかオレ、お前にワガママ言ってみたくなっちゃって……お前が、オレと一緒だと恥ずかしいみたいな事を言ったから、それでカチンと来ちゃってさ。……ジュータ、オレが無茶しても、ほんとに守ってくれるのかなーって不安になって、試すような事をしたんだよ。……全部、オレのイジワルだったんだ」


 魔法のお湯は、心も素直にさせるのかもしれない。

 マリオンが口までお湯に沈め、プクプクと泡を作る。

 俺は優しい声で言った。


「心配しなくても大丈夫だよ。俺がマリオンを見捨てることなんて、絶対にない。むしろ、もっと甘えてくれてもいいんだぜ?」


「ふ、ふふ……年下のくせに。なんだよぉ、それ!」


「ああ、しかしこの風呂は……! こりゃウラギールが勧めるだけあるね、マリオン!」


「うん、すごい効き目だ。オレさぁ、殴られたり転んだりで、身体に小さな傷跡とかけっこうあったんだ。でも、全部キレイに消えちゃってるよ。……どういう仕組みなんだろう?」


「効き目も凄いけど、気持ちよさも素晴らしい! 頑張って入って、よかったなぁ!」


「うん。気持ちいいれろ……あばば」


「ははは。マリオン、呂律が回ってないぜ?」


「ろれれまわれな、あぶ……ひでぶぅ」


 俺は、笑いながらマリオンを見て、


「なんだよ、ひでぶって。北斗の拳の雑魚モヒカンかよ……ってんな!? なんじゃこりゃあー!?」


 絶叫した。

 なぜならマリオンが、全身を茹でダコみたいに真っ赤に火照らせ、涙と鼻水とヨダレをダラダラ流しながら、仰向けでお湯に浮かんでいたからだ。頭の手ぬぐいは完全に解け、髪の毛が金色の水草みたいに広がっている。

 俺は、慌ててマリオンを両手で抱え上げ、大声で呼びかけた。


「マ、マリオーーーン!? なんだこりゃ!? ……なにが起こったんだ!? おーい、返事しろーっ!」


 と、その時だ。バターン! 女湯の壁が蹴り倒される。中に入ってたであろう女達の悲鳴が響き、それを背にパンツ一枚のシャルロットが飛び出してきた。


「ジュータ殿、マリオン殿っ! どうされましたかー!?」


 シャルロットの女だてらに筋肉に覆われた身体は、腹筋も割れて見事な肉体美を輝かせる。マッチョと言うほどでもなく、適度に脂肪のついた太ももや、形のいい胸など、普段は鎧に包まれて隠されている女らしさが、今は完全に露わになっている。

 えっ……ていうか、おっぱいデケえーっ!? こいつ、こんなに巨乳だったの!? 正直、かなり好みだ……だけど、アホの身体で欲情したくねえー!

 パンイチで、元気になったら浮き出てしまう。俺はなけなしの自制心で股間の暴れん棒が目覚めぬように抑え込み、シャルロットに厳しい声で命令する。


「シャ、シャルロット、こっちに来るなぁ!」


 シャルロットが、ピタリと止まる。浴場内の男達は、マリオンと違って成熟した身体のシャルロットを見て、鼻血を出したり興奮しまくったりしていた。このままこいつが突っ込めば、さらなる混乱が巻き起こるのは間違いない。

 シャルロットは困りきった声で言う。


「で、ですが……これは見るからに、非常事態ではないですか!? 正義の衝動が、私には抑え切れません!」


「非常事態だから、来るなって言ってんだ! 本当に正義のため、マリオンのためを思うなら、お前は今すぐウラギールを呼んで来い! あ、ちゃんと服は着て行けよ!?」


「わ、わかりました……ウラギールを呼んでくる、それが私の成すべき事っ! フォー、ジャスティーッス!」


 シャルロットは、自分で蹴り壊した女湯の壁の向こうへと消えた。その後、「早く着替えを出せ! 事は一刻を争うのだー!」なんて叫び声が聞こえる。

 よしよし、ちゃんと服を着てるな……。と、俺の肩がポンと叩かれる。

 見ると、さっきの悪魔だった。


「君、どうしたんだい!?」


「あ、ああ! 実は、俺の相方が急にのぼせて倒れちまったんだ! そんなに湯は熱くなかったはずなんだが……な、なあ! 魔法のお湯ってのは、こんな風になっちまうもんなのか!?」


「なんだって……? どれ、僕に見せたまえっ!」


 悪魔がマリオンの前に跪き、頬をペチペチ叩いたり脈を取ったり、息を嗅いだりしてから言う。


「こ、これは……精霊酔いだ!」


「精霊酔い? なんだそりゃ、初めて聞いたぞ!」


「この泉には、精霊のエナジーが多量に含まれている。感受性の高い人だと、こんな風に効きすぎる事があるんだよ」


「ど、どうしたら治るんだ!?」


 焦った俺が問いかけると、悪魔は落ち着いた声で答えた。


「精霊酔いは、放っておけば自然に治る。吸収されたエナジーは、いずれ大気に発散されるからね。だから、何も心配いらないよ。しばらくは熱が宿って辛いだろうが……なあに、明日の朝には戻るはずさ」


「そ、そうか! ありがとう、良い悪魔の人っ!」


 悪魔は自分の顎に手を当てて、真剣な表情で言う。


「し、しかし……この反応は……? こんな人間がいるなんて、信じられない! もしかしてこの子、特別な血筋の巫女だったりするのかな?」


「いやぁ、違うけど」


 俺が頭を振ると悪魔は腕を組み、「うーむ、ありえない」とか「どういうわけだ?」なんて言葉を連発していた。

 しばらくしてからウラギールがやってくると、俺は親切な悪魔に礼を言って手早く着替え、マリオンにも服を着せ、背負ってウラギールが取ってくれてた宿へと急ぐ。

 ……宿でベッドに寝かせられたマリオンは、ぼんやりした目でエヘエヘ言って、完璧にトリップ決めていらっしゃった。マリオンはその後、夕食の時間になっても正気を取り戻す事なく、気持ち良さげな夢心地でベッドに横たわり続けた。

 俺は死ぬほど心配だったが、とりあえず記憶の許可だけすませると、悪魔の言ってた「明日の朝には元に戻る」の言葉を信じて、隣のベッドで眠りにつく事にした。

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