焚き火とぬくもり

 今夜は野宿である。

 夕食は、マリオンがすき焼きを作ってくれた。

 ウラギールは生卵を拒否したが、シャルロットは気にせず溶き卵に肉をからめて食べて、「これは大変に美味ですね!」と大喜びした。

 アホには常識がないので、ある種の公平さを持っている。

 美形の幼女でも世界征服を口にすれば悪だと思うし、己に非があると認めれば奴隷にも忠誠を誓う。そして未知の食べ物でも美味しければ素直に喜ぶ。賢く常識的な人間ほど、保守的だ。

 人は知恵の実を食べて天国を追放されたと言うが、ならば天国とは、アホのための場所かも知れない。きっと神様が好きなのは、こういう能天気な奴らなんだろう。

 シャルロットは、クタクタに煮込まれたタマネギとキノコを一緒に食べながら、


「マリオン殿が食堂を開けば、多くの人を幸せにできるでしょう! 未来はバラ色ですっ!」


 と笑っていたが、うん、シャルロット。この、すき焼きの味付けに使ってるウスダージャはな……すっごく人気ねえ調味料なんだよ。これを町の食堂で出しても、きっとまったく売れないんだぜ?

 ちなみにウラギールも、ウスダージャは平気だそうだ。遠征が長引くと兵士は、古い食材でも口にしなければならないから、癖の強い調味料でごまかして食べるんだとか。

 そうして食事を終えた俺らは、それぞれが毛布に包まって眠りについた。



 ……深夜である。俺は、うめくような声で目を覚ました。

 まぶたを薄く持ち上げる。

 勢いの衰えた焚き火がパチパチとくすぶってるが、火の番をしてるはずのウラギールの姿が見えない。

 おそらく、周囲の見回りに行っている。もしかしたら『ハイディング』を発動してるのかもしれない。いずれにしても、彼に限っては心配ないだろう。

 声の主は、マリオンだった。毛布に包まれた身体が、カタカタと小刻みに震えてる。


「マリオン……寒いのか?」


 俺が声を掛けると、マリオンは俺の方に寝返りをうち、凍えるような声で言う。


「ああ……ちょっと寒い」


 空気は冷たいが、風はない。焚き火と厚手の毛布があれば、十分に野宿できる季節である。しかし、幼女の体力では耐えられなかったようだ。マリオンには、馬車の中で寝てもらうべきだった……俺は自分の毛布を持ち上げると、マリオンを手招きする。


「ほら、こっち来いよ。今夜は、一緒に寝よう」


「……い、いいよ。これくらい、我慢できるから」


 俺は、ため息交じりでマリオンに言った。


「おい、マリオン。今さら恥ずかしがるなよ……俺らの仲じゃないか。風邪でも引いたら、大変だぞ?」


 ややあって、マリオンは毛布を抱えて立ち上がる。

 そして俺の寝床におずおずと、向かい合う形で入ってきた。触れ合ったマリオンの身体は冷え切っていて、指先は氷みたいにヒンヤリしている。

 俺は少しでも暖めようと、マリオンの頭を二の腕に乗せて、ぐいと抱き寄せた。そして、ウトウトする。

 しばらくしてから腕の中で、今度はグスグスと鼻をすする音が聞こえてきた。俺は眠気に翻弄ほんろうされながらも、マリオンに問いかける。


「……え。マリオン……なんで泣いてんの?」


 マリオンは涙声で、自嘲じちょう気味に答える。


「あ、はは……ごめんな。この身体のせいかな……それとも、辛い事が……多かったからかなぁ? オレ、もう自分の力じゃ、泣くのを我慢できなくなっちまってて……。その、ちょっと色々と思い出して……な、泣けちゃって……うぅ」


 過去の出来事では、俺にしてやれる事は何もない。……だったら、せめて。


「なあ。辛いなら、話してくれよ……話せば、楽になるかもよ?」


 マリオンは決心が付かないようで、いつまでも泣き声を上げ続ける。だけど、やがて耐え切れなくなったように言葉を吐き出した。


「……オ、オレにもさ! ……仲間がいたんだ。シャルロットや、ウラギールみたいな仲間が。いい奴らだった。こうやってオレも、旅してたんだ。でも、オレが負けたせいで……捕まって……魔導の実験台にされて……。みんな、どうしてるんだろう? 生きてるのか、死んでるのかもわからない……」


 マリオンを慰めるように背中を撫でながら、黙って次の言葉を待ち続ける。

 俺の腕に、マリオンの涙が流れて落ちる。

 ややあって、マリオンは悔しそうに口を開く。


「助けに行こうにも、こんな弱い身体で……なんの力もなくて……呪いまでかかってて……オレ、無力だよ! ……無力すぎるよぉ。ひとりじゃ、なんにもできないんだ。自分が情けなくって、たまらない。…………もう、消えちゃいたい。……オレ、この世界に来なかったら……転生なんかしなかったら、良かったんだ。……オレ、死んだままでいれば良かった……そうすれば、みんな平和に暮らせてたのに……!」


 それは、心からの後悔の声だった。

 自分は生き返るべきではなかったと、マリオンは本気で悔やんでいる。

 それを知った俺は、とてつもなく悲しくなってしまう。


「マリオン……。そんなこと……言わないでくれよ。思わないでくれよ」


 どうやって励ましていいのか、わからない。

 だけど俺は、マリオンと出会えて良かったと思ってる。マリオンが生きてて良かったと思う人間が、ここにいる。

 それだけは知って欲しかった。

 

「マリオン……すごいじゃん! 俺、マジで尊敬してるよ。メシはウマいし、絵は上手だし、歌も天才だし……マリオンといて、すっごく楽しいよ」


 マリオンは、なにも答えない。

 ただ、静かに泣いている。


「俺、マリオンがいなかったら……もう生きてけない……」


 俺はマリオンをギュッと抱きしめ、睡魔で働かない頭と寝惚けた声で、とりとめのない事を言い続けた。


「明日、世界が壊れるなら……もし、ひとりだけ助けられるなら。……俺、めっちゃくちゃ悩むけど……泣いて、苦しんで、ひたすらあがくけど……。それでも最後はきっと……マリオンを選ぶよ。……俺、マリオンが大好きだわ。死ぬほど好きだよ。自分よりも大切だ。だから……だからさ……マリオン、幸せになってくれよ。……幸せって、感じてくれよ。俺、頑張るから……頑張って、全力で守るからさ……」


 今の俺には羞恥心も理知もなく、マリオンへの想いを愚直に語るだけだ。

 しばらくしてからマリオンが、鼻をすすりながらもクスクスと笑う。


「ジュータ。それ、『カミ色DAYS』の主人公のセリフにそっくりだぞ!」


「えー……? ……なんだっけ、それ。なんか聞き覚えが……あー、確かマリオンが初めてやったって、エロゲだっけ……?」


「ああ、そうだ。なんだ、知らないで言ったのか?」


「うん……知らない……」


 よっぽど好きなのか、マリオンは涙声のままで饒舌じょうぜつに語りだす。


「古いゲームだから、やったことなくて当然か。リメイクもされてないし……でも、名作なんだぞ? いわゆる『泣きゲー』って奴でよ。舞台は現代日本。ある日、神様が現れて『この世界を壊す』って宣言するんだ。あらゆる武力も説得も、神には通じない。残された期日は7日間。誰もが絶望し、ボロボロに荒廃していく世界で、主人公はヒロインと共に最後の日々を過ごす……トゥルーエンドで、ヒロインが主人公に告げる言葉が感動的でな……こう、グッとくるんだ!」


 面白そうなゲームだった。

 パチリパチリ、焚き火の爆ぜる音がする。どこかでミミズクがホーと鳴く。俺はまぶたの裏の暗闇を見つめながら、万感の想いをこめて言った。


「あー。エロゲが……やりたいなぁ……」


 泣き止んだマリオンが、腕の中で身をよじった。


「……そうだな、やりてえな。オレもお前と、エロゲの貸し借りがしたかったよ」


「ペヤングも食いてえ……」


「オレは、UFO派だったなぁ」


 それきり、マリオンは黙ってしまう。そして、俺の胸で穏やかに息をする。

 触れ合う肌は柔らかく、温かい。もう、寒くはないだろう。俺も安心して、ようやく眠りに付くことにした。

 束の間の静けさの後、マリオンが小さな声で言う。


「あれ、本当にいいゲームなのに……この世界じゃもう、プレイできないから。……ネタバレだけど、教えてやる。ヒロインは最後にな、壊れゆく世界で主人公を抱きしめて、こう言うんだよ……ジュータ」


 マリオンは、毛布に顔を埋めて呟いた。


「あたしは、あなたが――――」


 残念ながら続きは、眠りに落ちてしまった俺の意識には届かなくて……次の日の朝、マリオンに聞いてみたけれど、困ったような真っ赤な顔でモジモジするだけで、教えてはもらえなかった。


 ……うーん、残念!

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