坂佐井咲傘の真摯な対義語、または仮沢穂龍の紆余曲折

神崎 ひなた

1 坂佐井咲傘の置手紙

 坂佐井さかさい咲傘さかさ

 彼女はいったい何を考えているのだろう? ――いや、よそう。僕程度に彼女の思考なんて分かりっこないのだから。


 凡人に過ぎない僕と、才色兼備な彼女の間には、埋めがたい溝があるのだから。


 だから彼女のことを考えるのはよそう――と思いつつも、凡人の悲しい性かな、握りしめた封筒に目を向けずにはいられない。


 ラブレターである。

 あくまで凡人的に解釈すれば、だが。

 

 それは今朝、僕が当校したときには下駄箱に入っていた。正方形の、可愛らしい水色の封筒である。裏面には差出人、坂佐井さかさい咲傘さかさの名前が書かれている。筆跡からして本人のものに相違ない。彼女の字は見慣れている。隣の席なのだから見慣れていて当然――だからその筆先が、僅かに震えているのも見て取れる。

 緊張で手が震えていたと――推理できてしまうくらいには。

 

 さらに決定的なのは、ハート形の封蠟ふうろうである。このご時世に封蠟て。悪戯にしても手が込みすぎている。そんな真似をされたら、これが本当にラブレターだと勘違いしてしまうじゃないか。 


(落ち着け――差出人はあの咲傘なんだ)


 考えてみれば令和という時代に、ラブレターで告白する女子が果たしてどれだけいるだろう? ましてやあの奇才、坂佐井咲傘が――ただ単にラブレターを綴る姿など想像できない。


 つまりこのラブレターは偽の可能性もあると疑わなければならない。

 そもそも咲傘のような才媛が、僕を好きなはずなんて――


(まずは、中身を読んでからだ)


 なんにせよ手持ちの情報で判断するのは早計である。解答用紙をいくら睨んだところで出題者の意図は透けてこない。

 僕は男子トイレの個室に入って、深呼吸してから封蠟を剥がした。


 中には可愛らしいピンク色の便箋が入っていて、こう書かれていた。


『ずっと前から好きです。お返事、待ってます』


「――ふむ」


 嬉しさのあまり感情が爆発しそうだった。その場で踊りそうになった。両親に感謝をした。壁に何度も頭を打ち付けて、これが現実に起こっていることなのだと、何度も何度も確認した。


 しかし結局のところ、僕はこう思わざるを得ないのだった。


 坂佐井さかさい咲傘さかさ

 彼女はいったい、


「なにを考えているのだろう?」


 堂々巡りの問いは冒頭に戻り――そして凡人たる僕は、正解になんてたどり着けないまま、予鈴を聞いた。

 


 

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