祈る資格

とらたぬ

祈る資格

 先輩が任務に行ってから、もう何日も帰ってきていない。確か、山間部に現れた巨大な竜の討伐任務に駆り出されたとか。そんなことが、先輩の通信機からは聞こえていた気がする。

 詳しくは教えてくれなかったけれど、凄く不機嫌になっていたことは確かだ。きっと、ここのところの洞窟暮らしで、ストレスが溜まっているのだと思う。

 先輩が無事に帰ってきますように、と。そう祈る程に、不安が大きくなっていく。夜も眠れないどころか、ずっと涙が止まらなかった。足元の水溜りは、どこまでも広がり続けている。

 どれ程経った頃だろうか、洞窟の外から、音が聞こえてきた。聞き慣れた、安心を得られる音──先輩の、鼓動の音だ。

 しかし、今日は普段と様子が違う。なんというか、荒々しい。息切れしているようだった。

 それに、他の人間の声が聞こえる。「お前は人類を裏切るのか」とか「なぜ化物を庇う」とか。そんな、怒りを滲ませた声だ。

 それらは、どうにも先輩に向けられているようで、心配になった私は、洞窟の外へ飛び出した。

 すると、振り返った先輩から、鋭い声が飛ぶ。出てくるな、と。

 同時に先輩の周りにいた大勢の男達が私を指して、アイツだ、と叫んだ。途端、いくつもの矢が私に向かって放たれ、眉間や喉、心臓や目へと、容赦なく突き刺さる。

 寸前で、先輩が矢群の前に飛び出し、右手の剣で数本を纏めて斬り落とし、左手の盾で残りを受け止めた。

 けれど、飛来する矢は減らず、だんだんと先輩は追い込まれていく。先輩の邪魔にならないよう退くべきだったのだろうけど、私にはどのように動けばいいのかわからなかった。

 やがて、先輩の脚に矢が刺さり、止めきれなかった幾本もの矢が私を貫いた。致命傷だ。人間なら絶対に助からない。命が零れ落ちていく──はずなのに、私の体は、痛みを感じていなかった。それどころか、今なら何だってできてしまいそうなほど、全身に力が満ちている。

 ふ、と。軽く腕を振るうと、まず三人の男が破裂した。もう一度、今度は左手を振るう。また三人、肉片になった。

 この場において、私は最強だ。だって……だって、私は竜になったのだから!

 自覚を得ると、途端に男達が非力で矮小な、取るに足らない下等生物に見え出した。今の私には先輩ですら、容易く挽き潰せてしまう。

 なんだかおかしくて、気づけば私は哄笑を上げていた。

 ただ腕を振るうだけで、歴戦の猛者たちがゴミのように潰れて死ぬ。これが面白くてたまらない。

 腕を振って、指を弾いて、土を巻き上げる。それだけで、何人もの人が死んだ。

 そこでふと、私は背に大きな翼があることに気づいた。それを使って飛び上がる。するとなぜか、私はどうすべきなのか理解できた。

 大きく息を吸い、少し力を入れて吐く。そうすると、息は煉獄の炎となって、前方の森と大地を一瞬で蒸発させた。ほとんどの男が死に、生き残った何人かが矢を放ってくるけれど、私の肌はそれらを通さない。

 尻尾を軽く振ると、その男たちも全部死んだ。

 先輩、どうでしたか! 私、竜になれるようになったんです! ……あれ、でもどうやって戻ればいいんでしょうか?

 見下ろすと、先輩は静かに俯いていた。ぶつぶつと、小さく何かを呟いているようなのだけど、竜となった自分の鼓動が煩くて、よく聞こえない。

 けれど、先輩が最後に、ごめん、と。そう言ったのはわかった。だから私は、どうして謝るんですか、と答えようとして、けれど、声が出なかった。

 いつの間にか、見下ろす位置にいたはずの先輩が、目の前の高さにいる。それどころか、その背後には私の身体が見えた。人間だった頃とは比べ物にはならないくらい大きくて、悍しい姿。それは紛れもなく竜の、人類の敵の、身体だった。

 ……ああ、そうか。

 私は、目の前の先輩の剣から血が滴り落ちていくのを見て、どうして先輩がこんなに近く見えるのか理解した。

 私は、先輩の頑張りを全部無駄にしてしまったのだ、と。どうしてか忘れてしまっていたけれど、先輩は、竜になりかけていた私を救けようとしてくれていたのに。……なのに、私は、人を殺してしまった。多くの人を殺して、楽しんでしまった。

 だから、先輩は、怪物となった私の首を斬り落としたのだ。これ以上、殺させないために。

 薄れゆく視界の中で、先輩が血を吐いて倒れるのが見えた。びっくりするくらい顔が真っ青で、どう見ても瀕死だ。

 だから私は、倒れ伏した先輩へと、どうか届けと祈り手を伸ばして──。

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