10

 藤ケイコは僕に銃口を突きつけたまま、冬の山道を歩かせた。外には日が昇り始め、時刻は朝七時といったところだった。

 彼女が僕に向かわせたのは、みなとワンダーランドだった。

 ガラスの割れたエントランスを抜けて、壊れた券売機と入場ゲートを無視して進む。ここにはもう誰の夢もなくて、あるのはその残骸ばかりだった。あの日、マヤと僕とをにこやかに迎え入れたスタッフのお姉さんは、もうどこにもいない。いるのは銃を突きつける女だけ。

 正門前のメインストリートに入る。かつては土産物屋が並んだアーケード街だったらしいけど、いまや見る影もない。唯一面影があったのは、割れたショウウィンドウに並んだマスコットキャラのイラストだったけど。でも、それもペンキが剥がれて、クマなのかイヌなのか、それともタヌキなのか分からなくなっていた。

「……ええ、そう。セーフハウスの入り口。東のエントランス側に二つあるわ」

 藤ケイコは僕に銃を突きつけ歩かせながら、もう片方の手はスマートフォンを握りしめていた。彼女は通話中だったけど、しかし緊張の糸は張りつめたままで。僕の背骨を銃口がなぞり続けていた。「逃げたら容赦なく撃つから」とそう言っているみたいだった。

「なに、べつに問題ないわよ。消したのは、とヤクザのイヌ二匹だから。消されたところで誰も気にしたりしないわ。……そうそう。ヤクザ連中にとっても、アイツらはしょせん捨て駒のつもりだったんだろうしさ。じゃなきゃ私の依頼なんか受けやしないでしょ? ……ええ、キレイサッパリやっておいて。私、死体をみるのやだから。お願いよ」

 通話を切る。

 スマートフォンを上着のポケットに入れると、彼女が放つ威圧感はさらに強いものになった。雪と冷気とに冷やされた銃口を、今度は僕の首筋に突きつけた。

「ねえ、いまの聞いてた?」

「聞かないほうがおかしいですよ」

「そうね。何の話してたかわかる?」

「わかんないです」

「あっそう。じゃあ特別に教えてあげる。アレは清掃業者の話よ。つまりね――」

 そのとき、藤ケイコは銃を突きつけたまま、僕の耳元にそっと口を近づけた。そして彼女は僕にこう耳打ちしたのだ。

「死体を消すの。硫酸でドロドロに溶かしたり、焼却炉で消し炭になるまで燃やしたりするの。誰だかわからなくなるまで、グッチャグチャのドロドロに溶かしちゃうの」

 まるでその言葉は、「君が捜してる子もこうなったんだぞ」と言わんばかりの調子だった。あるいは、「おまえもこれからこうなるんだぞ」とでも。

 でも僕にはわかっていた。ここで恐怖に屈してはダメだと。

「……そうですか」と僕は必死に感情を殺す。「それより、この遊園地があなたたちの隠れ家ってことですか」

 僕は外を見回しながら言った。少しでも情報を集めようとか、警察に伝えられることを捜しておこうとか、SOSのメッセージをどこかに残そうとか、とにかく必死にいろいろと捜していた。恐怖に屈せずに、少しでも抵抗しないとと。そう考えていた。

「ふふ、そうよ。まさかこんなとこに隠れてるとは思ってないでしょ?」

「ええ、まあ……。藤さんは、探偵じゃなくて殺し屋なんですよね」

「ケイコって呼んでよ。あはは、やっぱバレバレだよね。あのクソアマが吹き込んでしょ? 

 そうね、私は探偵でもあるし、殺し屋でもあるわ。だけどね三上ナギサ君。殺し屋だからって、べつに私は『悪人』ってわけではないのよ。あの女からすれば、まあ少なくとも『敵』かもしれないけれど。でも、それはあの女の理屈で。アイツに対立する善であるからであって……ねえ、言ってる意味わかる? 中学生には難しいかな?」

「子供扱いしないでください」

「ふーん、結構オトコノコなんだ。じゃあ、わかるよね? 悪いのはこんな事件に君達を巻き込んだ、あのクソアマなんだって……?」

 再び彼女は僕に耳打ちするように囁いた。

 そして銃口で首をなぞると、クルクルと肌の上で円を描き、止まった。停止のサインのように。

「この下よ。さあ、歩いて。そう、ここ。ここに入るのよ」

 彼女が立ち止まり、指し示した場所。

 それはみなとワンダーランドの物陰。メインのアーケードストリートから裏に外れたところにあるスタッフルームだった。色のはげた『関係者以外立入禁止』の文字。そして割れた窓ガラスと、朽ちかけたコンクリートの壁。そこからは、楽しげなテーマパークではなくて、コロシのにおいがしていた。


 スタッフルームの入り口には、鎖と南京錠がかかっていた。藤ケイコは合い鍵を使ってそれを開けると、僕の中に押し入れた。

 中は真っ暗だった。なかば突き飛ばされるように入れさせられた僕は、何かに足がもつれて転んでしまった。両手も縛られているし、僕には立ち上がることすらできない。思い切り尻を床に打ち付けてしまい、痛みが下半身から広がっていった。

「ごめんなさいね。でもね、これは拷問なんだよね。わかるかなぁ、ゴウモンって言葉の意味?」

 バチンと音がして、天井の蛍光灯に光が点いた。そしてそのときになって、僕はここがただのスタッフルームではなかったと気づいた。

 明滅する蛍光灯。切れかけのそれは、ちゃんと光が点くわけではないみたいだ。まるでモールス信号みたいに点滅して、この部屋の様子を照らし出す。

 ぽつんと置かれたパイプイス。イスには鎖がいくつも繋げられている。そしてその近くにはバッテリーと、電極らしきものもある。さらには工具箱が隣にあったけど、その中身はノコギリとペンチばかり。真っ赤に染まった糸ノコが何十本も並んでいた。

「死なない程度にいたぶってあげるから安心して。それとも、もうチビっちゃったかな?」

 光が点いたり消えたり。藤ケイコの顔は、暗闇の中で現れたり消えたりを繰り返す。その一回一回のあいだに、彼女の顔はゆがんだ笑みを作り出した。

「それとも、もう話してくれる? 私も子供をいたぶる趣味はないからさ。ほら、あのクソアマと違って、私はファザコンでもショタコンでもないの。ただのサディストの女なだけで。だから、始める前に聞くね」

「聞くって……何をですか……?」

 声が震えている。

 自分でもよく分かった。

 コンクリートの冷たい床が、だんだんと温かくなっていく。これは決して床暖房なんかじゃない。怖くてチビったせいだ。光のなかで湯気が見える。震える足と、言うことを聞かないカラダ。恐怖に拒絶反応を起こして、僕はどうしようもなくなっていた。

「トボケなくたっていいのよ。というか、お姉さんそういうずる賢い子はキライだから。素直になってよね」

 言って、彼女は工具箱から半田ゴテを取り出した。柄の部分から伸びたコードは電源につながっていて、すでに先端部分が熱せられていた。外気を蒸発させるみたく、白い蒸気を放っている。

「ちゃんと正直に答えてね。じゃないと、まずはこれで下ごしらえから始めるから。ねえ、根性焼きって知ってる? 本当は火のついたタバコとか、焼き印とかでやるらしいけど。あいにくお姉さん、タバコって大嫌いなの。臭いし、汚いし……ね? だから本当はこんなことしたくないからさ。ちゃんと答えてね。答えたら、何もしないから」

 一歩、彼女は半田ゴテと銃を持って近づいてくる。僕は後ずさりしようとしたけど、もうカラダが言うことを聞かなかった。

「答えて。あのクソアマ――は、畔上マヤをどこへやったの?」


     *


 畔上マヤをどこへやった?

 目の前にいる殺し屋の女は、たしかにそう言った。マヤを捕まえ、隠したはずの女がそう言ったのだ。

 僕は考えが追いつかなかった。

 あのクソアマって、牧志ミヒロって誰のことだ?

 でも、藤ケイコはナナさんのことを『クソアマ』って呼んでいたし。だったら牧志ミヒロというのは、ナナさんのことで。それがナナさんの本名で……だとしたら、ナナさんがマヤを誘拐したっていうのか?

 ――まさか、そんなはずない。

 僕はそう思ったけど、でも目の前の女はそう思っていなかった。

「あら、答えないの? そんなに牧志のクソったれをかばいたいの? もういいのよ、あの女は死んだんだし。それに、私は畔上マヤを殺そうだなんて思ってないし。ただちょっと取引をしたいだけ。だから、教えてよ。君達はいったい彼女をどこに隠したの?」

「しっ……知りません!」

 とっさに出た言葉は、それだった。

 でも、その言葉は火に油を注いだだけだった。

「ふーん。そういう態度に出るんだ。ふーん、いいんだ。じゃあ、子供をいたぶるのは趣味じゃないけど。まあ、やるしかないね」

「ちっ、違うんです! ほんとに知らないんです!」

「みんな初めはそう言うのよ。大丈夫よ。すぐにぜんぶ吐けるようになるから。じっくり楽しみましょうか」

 半田ゴテが振り上げられる。そして、それは僕の股の間へと振り下ろされた。漏らした尿のあとを滑り抜け、アンモニア臭を振り乱しながら蒸発していく。そして、学ランの太股にぶち当たって……布の焼けるにおい。


 気づけば太股から股にかけて、大きなミミズ腫れができていた。やけどとひっかき傷を掛け合わせたみたいなキズアト。

 小便は湯気を立たせながら蒸発し、室内をアンモニア臭に満たしていく。そのたび僕の股を痛みが襲った。

「ねえ、このままだと大事なとこまで焼き潰しちゃうわ。ねえ、見えてる? ほら、これ。こんなに熱く、赤くなっちゃってる……ねえ、君はこんなに縮みあがっちゃってるのに」

 股の間を半田ゴテが通り過ぎ、流れ出た小便にハートマークを描く。水蒸気は何気なく立ち上ったけど、僕を刺激するには十分だった。

「でも……本当に知らないんです! 牧志って誰ですか! ナナさんのことですか? あの人は刑事ですよ! 僕と一緒にマヤを捜してくれてる。人違いだ!」

「ねえ、それ聞き飽きたんだけど」

 ハートを描いていた半田ゴテ。今度はそれが左足を襲った。膝小僧からゆっくりと制服を溶かしていく。アイロンをあてすぎたときみたいな、熱いにおい。それが再び僕の股下へと襲いかかっていく。

「本当なんですって! 僕はあの人に――ナナさんに聞いたんだ! あなたは殺し屋で、マヤを付け狙ってる。僕を監視してたのは、マヤについて口封じをするためだって! それで、ナナさんはまだマヤが生きてる可能性にかけて捜そうって。あなたたちが監禁してるに違いないから、僕を囮にしようって……!」

「うっせえよ。聞き飽きたって言ってんだろうが!」

 突然、藤ケイコは声を荒らげた。先ほどまでの妖艶な、何かを隠すような笑みはどこへやら。般若のように怒りを露わにした彼女は、思い切り僕を蹴り上げた。ブーツのつま先は、ピンポイントに股間に炸裂。その痛みは全身に広がる。あまりの痛さで、僕はしばらく呼吸できなかった。

「……まさか、君ってば本当に何も知らないわけ?」

 倒れ伏せ、自分の小便の海でおぼれかける僕に、彼女は吐き捨てるみたく言った。

「あらあら、かわいそう。それじゃ牧志が――いや、ナナがいったいどんなクソ野郎で、どうして君を巻き込んだかも知らないわけだ。ふーん。それじゃ、そうね。せっかくだから私がバラしてあげるわ。きっと、それがあのクソアマがもっとも恐れていることだろうから」

 ブーツのつま先はアンモニアの水たまりをかき分け、僕の顎にあてがわれた。顔をつま先でクイと持ち上げられて、僕は藤ケイコを見上げた。そこには、またあの柔和な作り物の笑みに戻った彼女がいた。

「教えて上げるわ。アイツの本当の名前――いや、あれも偽名か――は、牧志ミヒロ。フリーランスので、ギターケースに武器を隠し持つことから、『ロックンロールの暗殺者』の通り名で通ってる。でもアイツがもっとも厄介なのは、自分の復讐のためならどんな薄汚い仕事にだって手を染めること……。わかる? は、職権乱用でドラッグディーラーをしていた男、安藤タダヒコを殺した。私はその実行者であり、アイツはそれに無理矢理一枚噛んできたハイエナ。安藤が自分の復讐に関わる情報を持ってると、そう知ってね。

 わかる? 私はね、あの女に仕事を無茶苦茶にされたの。畔上マヤを拉致したのだって、彼女よ」


     *


 マヤを拉致したのが、ナナさんだって……?

 たしかに、彼女はそう言った。僕の聞き間違いなんかじゃない。意識は朦朧としていたけれど、気は確かだった。耳は藤ケイコの言葉の輪郭を捉えていた。

「せっかくだし教えてあげるわ。あのとき、私たちは安藤の遺体を燃やして、その遺灰を撒いたらさっさと撤収するつもりだった。だけど、あのクソアマが言ったのよ。『目撃者がいる』ってさ」


     †


「あっけないわよね、ほんと。人が死ぬ時っていうのさ」

 つん、つん、つん……と、女は青褪めた死体に触れた。真っ赤なマニキュアが塗られた長い爪は、とてもヒトゴロシを生業にする人間のものには見えなかったけれど。しかし、男を殺したのは間違いなくその女――藤ケイコだった。

 彼女の手に握られた銃、減音器サプレッサー付きのワルサーPPK/Sがその命を奪ったのだった。安藤タダヒコ。製薬会社の社員であり、違法薬物を密かに売りさばいていた、その男を。

標的ターゲットはシトメた?〉

 右耳にあてたヘッドセットから声が響く。女の声だった。タバコで焼けたような、どこかハスキーな声音。

 ケイコはその言葉を聞き、静かに嗤った。

「ええ、もうポックリよ。見張りさん、そっちは大丈夫よね?」

〈問題ない。まあ、もとよりこんな夜更けに廃園になった遊園地に来るヤツなんていないよ。守衛室の監視カメラには何も映っていない〉

「そうかしら。最近じゃこの『みなとワンダーランド』って廃墟マニアとか、肝試しにきた若者とかに人気らしいわよ。……ねえ、あなたのそのスコープは曇ってないわよね?」

〈ニコンのプロスタッフよ。一点の曇りもなく、いまあんたの頭上を捉えている。証拠に一発撃ってあげようか?〉

「悪い冗談は止してもらえる? わかったわ。さっさと燃やして終わりにするわ」


 安藤の死体を手近なリアカーに乗せると、ケイコはみなとワンダーランドの裏手、関係者入り口からバックヤードに入り、それからゴミ捨て用の倉庫に入った。そこには長い煙突を持った焼却炉が一つと、それから金網にふさがれた巨大な荷置き場があった。それはまだこの遊園地が開演していたころ、あるいはそのずっと前の名残だった。

「よく考えたというか、ほんと好都合よね。廃園になった遊園地が、実はその昔ゴミ処理場とセットになった温水プール施設だったとか。そして古い焼却炉がまだ残ってるなんてさ」

 鉄でできた分厚い扉を開け、ケイコは炉心の中を覗きみた。手元のスイッチを押すと、炉に火が入る。ごぉっ! と猛獣の雄叫びのような音がして、真っ赤な火が中で暴れ出した。

「しかもまだ動くとかね。ってどれだけ用意周到なのかしら。ほんと、惚れちゃうわよ」

 死体を中に押し入れる。感情はなかった。むしろケイコは、一刻も早くこの男の死体から離れたかった。気持ちが悪かった。もっとも彼女が

覚えているその感覚は、殺人に対する嫌悪感ではなくて。むしろ汚いものにさわってしまったときのそれ。ゴキブリをつぶしたときに「うげっ」となるのと変わらず。いま炉に押し込んだときの感覚も、掃除機でゴキブリを吸い上げたときとなんら変わらなかった。ただ、すぐにでもシャワーを浴びて、香水をふりまき、身体から死のにおいをかき消したいと思っていた。


 遺体を灰に返し、山奥に撒いて仕事は終わる。その予定だった。耳元にあの女から声が届く、そのときまでは。

〈……っと、聞こえるか?〉

 パチパチと筋肉質が弾けていくのを見守っていたところに、ノイズ混じりの声が響く。

 ケイコはひどく重たく嘆息してから答えた。

「なに?」

〈トラブル発生だ。目撃者がいた〉

「目撃者? あなた、ここには誰もいないって――」

〈ええ、わたしのミス。山の裏手、急斜面の途中に抜け道があった。いまそこに人影が見えた〉

「冗談。どうする気?」

〈いま追っている。目撃者はわたしが片付ける。おまえは遺体をどうにかする〉

「言われなくてもそうするわ。それよりも、あなたが起こしたトラブルよ。あなたがどうにかなさい。そして、私にまで被害が及ばないように。あなたのせいで報酬がパーになったらどうする気?」

〈そうはさせない〉

「あらそう、それは頼もしい言葉ね」

 遺体が燃え尽きる。

 室の中には、遺灰が湯気をまとってそこにあった。


 十五分後、ケイコは燃え尽きた遺体を山奥に隠していた。だが、そうしていても彼女の耳に続報はやってこなかった。今回斡旋アサインされた見張り役の女――コードネーム〈M2〉は、黙りを決め込んだままだった。

 すべての灰をまき終えると、とうとうしびれを切らしたケイコは、ある者に電話をかける決心をした。ヘッドセットのスイッチを四回たたき、プリセットされた緊急通話先にダイアルする。十回ほどの長いコールのあと、誰かが電話に出た。ノイズ。受話器が何かにこすれる音。それから男の声がした。それもボイスチェンジャーに歪ませられた声だった。

〈俺に電話していいと誰が言った?〉

「ごめんなさい、ボス。でもどうしても気になることがあって。今回の見張り役、何かがおかしい気がするんです。あいつ、私たちをハメようとしているのかもしれません」

〈だったら、おまえがあの女を殺せばいい。そうすれば報酬も上乗せダブル・カウントだ。だろう?〉

「いいんですか?」

〈ああ。問題が起きれば殺せ。それが俺のやり方だと、そう教えただろう?〉

「……わかりました。では」

〈ああ。ちゃんと稼いでこい〉

 オーバー。通話が切れる。

 と同時、また新たな声が聞こえた。およそ十五分ぶりの声。〈M2〉の定時連絡が五分遅れでやってきた。

 〈M2〉は言った。

〈ごめんね。目撃者の娘は見失った。わたしは地下に潜るわ。死体は任せたから、じゃあ〉


     †


「あのあと調べて、すぐにわかったわ。あいつの正体は牧志ミヒロ。自らの復讐のためなら、どんな仕事だった請けるし、どんな手段も辞さない女だって。そしてあたしはまんまと乗せられたわけよ。あの女は、あたしのボスを殺すために接触してきたんだって。目撃者を強請りの材料にして、あたしからボスの情報を聞き出そうって。そういう魂胆だったんだってね!」

 藤ケイコの怒りは、僕への八つ当たりに変換された。右手に半田ゴテをつかんだまま、彼女はブーツの爪先で思い切り腹を蹴ったのだ。針のように鋭い爪先で、僕の胃袋は突き刺された。口からはむせかえるように唾液や胃酸が逆流した。

「牧志ミヒロの話は有名なのよ。七歳で仕事に就いた生え抜きの殺し屋。七歳のころ、目の前で殺された父親の仇を討つために、この十数年ずっと自らの手を血で汚し続けているって。それで、どこかからあたしのボスが仇敵に関係があるとか聞いたんでしょうよ。そうしたら、これよ! あの女は自分の仇に関わると聞いたら前が見えなくなる。君や、あの女の子のことも何も考えてないのよ。あたしを強請るための材料。仇討ちのための犠牲。別に君が死のうが、生きようが、あの女には関係ないのよ。交渉材料として機能していれば、腕の一本や二本なくたって、あの女は気にしないの! わかる? そういう女なのよ!」

 半田ゴテが振り下ろされて、僕の左手を突き刺した!

 僕は咄嗟に避けようとしたけど、間に合うはずがなかった。凍り付いた手に激痛がはしる。

「あああああああああああっ!!」

「だからあたしも仕返しするの。ねえ、あの女はどこ? 教えてくれたら、許してあげるから。あたしはあの女を殺したいだけなの。君のことなんて心底どうだっていいのよ。わかるでしょ? わかってよ、ねえ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る