第2話
「矢を三本取ったら戻る! 三本ですよ、戻ったらすぐ弓につがえなさい!」
高い声が秋晴れに突き抜けて、訓練場を取り巻く背の高い木々の向こうで何羽かの鳥が飛び立った。
ガザニア山には平坦な二つの頂があり、そのうち西の高いほうにはアングレカム武術学校が、東の低いほうには小さな湖がある。西麓のゆったりとした斜面には、大都からまっすぐ繋がる一番街道終着の都市が広がり、穏やかな西日をよく受け、静かで平穏なその街は「
王族が立ち入らない間も広範囲に広がる離宮に常駐し、その美しさを保つのが儀仗第二訓練隊の役目でもある。しかし、主たる職分はやはり兵務であるため、日々の訓練も欠かせない。今はちょうどその訓練の時間で、ひし形に似た競技場に訓練兵が五対五で分かれ、短距離弓術訓練の一種である試合を行なっている最中だった。
「弓を引くときは体をしならせる! もっと引いて、矢は背中で撃つのですよ——こらそこ、ちゃんと撃ち合いなさい!」
ちょうどそのとき、カン! と別のほうから鋭い音がする。弾いたかな、見込みのあるやつかもしれない、と
「レーヌか……」
弓ではじいたばかりの矢をつがえるのは、赤い上衣を腰で締めた
「当たり!」
撃たれた兵が手を挙げて叫ぶ。同じ陣営の者が落胆したような声を上げて、ひらりと手を挙げた。
「白、
「——試合終了! 整列!」
撃たれたのが確かに
「
やった、と潜められた声を聞きながら、和泉は訓練場を出て岩陰に向かう。置いてあった竹筒から水を飲んで、ふと木陰へ向かっていく影を認め、そちらへ足を向かせた。
「けっこう疲れたでしょう」
木陰に座り、ふぅ、と息をついて防具を取った赤の
「……ありがとうございます」
呟いて受け取ったのは、茶髪とそばかすが目立つ女だった。やまとちゃんと一緒に入ってきた子だ、とそのとき認識する。
「名前はなんていうんだっけ?」
「クレベール……オイドクシア」
女にしては低い、ぶっきらぼうな声だった。それが姓の響きに似合わなくて和泉は片目を閉じる。新入兵はそんな和泉を一度も見上げることはなく、ただぼうっと目の前の地面を見ているようだった。
結局和泉は「そう」とだけうなずいて、竹筒を受け取り踵を返す。ほぼ空になったそれに眉をはね上げていると、「
「追い返さないんですか」
「……なに?」
和泉は首だけ振り向かせて女を見る。相変わらず彼女はこちらを見なかった。
「合いませんよ。いくら身体が男だからって」
「……そうかもしれないね」
和泉はほほえんで、前に向き直る。まだ青々と茂る草を踏みながら、地面に落とすようにつぶやいた。
「でも君には関係ないことだ」
訓練を終え、夕餉の時間までに着替えを済まそうと自室の扉を開けた瞬間、ぼすんと首元に何かが突進してくる。
何か見なくてもわかるなぁと思いつつ、閉じていた目を開けると、首に抱きついていた倭が今度は勢いよく離れて手をぎゅうと握った。
「お兄ちゃん!」
「やまとちゃん」
「訓練お疲れさま! あの、今日は
ぱあぁと頬を紅潮させてまくしたてる倭はかわいい。「栞?」和泉が聞いてやると、倭は懐から大事そうに手拭いで包んだ細いものを取り出した。
「これなの。かわいらしいでしょう」
手拭いを払って現れたそれは、白い菊を押し花にして作られた栞だった。押し花であるためやや稚拙には見えるが、栞の周囲を縁取る金の透かし彫りはどうしても精巧に作られた品に他ならない。きっと高価なものだろうに、キース上武は適当だなと思いながらも、倭のうれしそうな顔を前にそんな邪念は吹き飛んだ。
「うん……すごく綺麗だ。よかったね、やまとちゃん」
「うふふ。早くお兄ちゃんに見せたかったの」
「だからって兄ちゃんの部屋で待つのはいけないよ。勝手に先輩の部屋に入ってるって、見られたらどうするの」
「だって、先輩だとかの前に兄妹だもの。大丈夫だわ」
「ここは軍隊だから、関係ないんだよ。みんなやまとちゃんを一人の兵士だと思って見てるし、僕も軍隊にいる間はそう見なきゃいけない。妹としてじゃなくて」
「そうなの……」
倭は沈んだように言うが、その顔にはそれほど消沈した様子がない。おおかた妹として見ないという和泉の台詞に歓喜しているのだろう。
——あたりまえだ。なぜならやまとちゃんは、双子の兄である僕のことを大好きなんだから。
兄妹じゃなければもっと楽なのにって、ずっと言っていた。だからこそこの環境は、倭にとって心底うれしいはずだ。
(……そしてそれは、僕も同じ)
なんでも顔に出ちゃうやまとちゃんはかわいいなぁと思いながら、そんな気持ちなど一切出さないように和泉は自然な微笑みを貼りつけていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます