第2話「憂鬱な朝と仲間達」



 ピピピピピピピピ……

 スマフォのアラーム音が、伊織の意識を現実に戻す。カーテンを開けて飛び込んで来た光が、彼にこの退屈な世界を生きる住人としての役割を与える。

 目を覚ました伊織は、枕元のメガネをかける。洗面台でしっかり顔を洗い、眠気を十分に払ってから、速やかに高校の制服に着替える。部屋を出て一階へ下り、居間に向かう。


「おはよう、伊織君」


 居間では浦山奈月うらやま なづきがエプロンを身にまとい、自分の分の朝食をテーブルに置いていた。食事はいつも彼女に任せっきりだ。


「おはよう、奈月さん」


 伊織は返事をして椅子に座り、朝食に手を付ける。白米に味噌汁に焼き鮭、典型的な朝食のメニューだ。それを、伊織は機械のように坦々と口に運ぶ。


 テレビではニュースが流れている。立入禁止のテープの奥で、検察官がうろうろしている様子が見える。どうやら事故があったようだ。


『3月28日土曜日、岐阜県明智町澄川の住宅街で、横断歩道を渡ろうとした親子が、乗用車にはねられました』


 ピクッ

 奈月の箸を持つ手が少し揺れる。このような話題を、伊織に聞かせるわけにはいかない。


『親子は32歳の母親と9歳の男の子で、午後2時30分頃、信号無視をして猛スピードで突っ込んできた乗用車に自宅付近の横断歩道ではねられました』


 奈月はゆっくりと視線を伊織に向ける。彼は無表情でテレビ画面を見つめている。その瞳には、ハイライトが無かった。テレビ画面には、事故に遭った母親と男の子の顔写真が表示された。事故に遭って亡くなった不幸な人物とは思えないほどの明るい笑顔だ。


『男の子は意識不明の重態で病院に運ばれましたが、同日23時頃、奇跡的に意識を取り戻しました。しかし、同じく病院に運ばれた母親は、運ばれた約2時間後に死亡が確認さr……』


 ピッ

 奈月は「死亡」という言葉が発せられた瞬間、即座にリモコンを手に取ってスイッチを押し、チャンネルを変えた。縁起悪く、シチュエーションが伊織とその両親のケースと、驚くほど酷似してしまっている。


 しんみりとした空気を打ち消すかのように、女性のニュースキャスターが明るいトーンで話し始める。


『2週間前、七海町のプチクラ山上空にて確認された飛行物体。その正体は未だ謎に包まれており、巷では様々な説がささやかれています。今回は町の人に詳しくインタビューし、その真相に迫りたいと思います!』


 先程までの重い空気が一変……とはならず、伊織は母親と男の子がいなくなったテレビ画面を、無言で見つめる。奈月はうつ向いて呟く。


「ごめん、伊織君……」


 伊織はなるべく奈月の罪悪感を軽減させようと、不器用な笑顔で答える。


「大丈夫ですよ。気を遣わなくても」


 味噌汁を飲み干し、伊織は手を合わせる。


「ごちそうさまでした。美味しかったです。今日もありがとうございます」


 シンクに皿や茶碗を置き、伊織は居間を出ていく。奈月は誰もいなくなった居間で、一人呟く。


「伊織君はいい子なのに、何だか寂しいわよ……結月」


 伊織は両親を亡くした後、母親の結月ゆづきの姉である奈月の元に引き取られた。何度か面識があるため、彼女との生活は然程苦労はしなかった。奈月の方も伊織の悲しみを十分に理解し、彼を快く迎え入れてくれた。


 しかし、伊織はいつまでも両親の死を引きずっていた。奈月も彼との二人暮らしを始めてから、そんなに困ったことはない。しかし、伊織の前で両親の話をすると、必ず眉が垂れ下がる。うつ向いて考え込む。

 両親を亡くした悲しみから抜け出せないという事実だけが、唯一の障害だった。今更ながら、彼とどう向き合っていけばよいのか分からない。


「……」


 奈月はシンクに置かれた皿や茶碗を眺める。伊織は確かに、朝食を美味しいと言ってくれた。しかし、理解している。母親である結月の味には及ばないことを。


「はぁ……」


 伊織との距離感を考えつつ、奈月はスポンジと洗剤を手に取り、皿洗いを始めた。彼はいつの間にか家を出て学校に行っていた。「行ってきます」は言ったのだが、今の奈月には、山奥のオオカミの遠吠えのように、うっすらとしか聞こえなかった。






 伊織は校門の前に来た。縁をピンクの花飾りで囲んだ看板に「第37回七海町立葉野高等学校入学式」と記されている。もう入学式の時期であることを、しみじみと実感する。


「早いもんだなぁ……」


 伊織は登校してくる生徒の顔を眺める。歩き方がぎこちなかったり、やたらネクタイをきっちりと締めていたり、誰が新入生か意外と区別がつく。入学おめでとうと、心の中で彼らにエールを送る。

 自分は今日から最高学年。一番の先輩として、心を引き締めなくてはいけない。


「それじゃあ母さん、行ってくるよ」

「えぇ、頑張ってきてね!」


 近くに男の子の新入生と、その母親がいる。高校デビューを果たす息子の晴れ舞台を見ようと、保護者も同伴して登校してきたらしい。


「……」


 まただ。何度もこの気持ちにさせないでほしい。あの親子のように、自分も入学式を母親に見届けてほしかっただなんて、思ったって今さら無駄だ。今日はよく心の古傷をえぐられる。


「……!」


 伊織はそこから逃げ出すかのように駆け出し、昇降口に向かっていった。速やかに上靴へと履き替える。






「よっしゃ! 俺ら一緒じゃん!」

「えぇぇ……最悪。また離ればなれ?」

「あの子も一緒だ。ラッキー♪」


 上靴に履き替えた生徒達は、その先の廊下の壁に掲示されている大きな模造紙を眺め、ざわついている。どうやら新しいクラス表が貼り出されているようだ。高校生活最後の一年間を共に過ごす仲間が示されている。


「うーん……」


 伊織もクラス表を覗き込む。しかし、自分のクラスが確認済みでありながら、いつまでも表の前でたむろっている生徒が邪魔で、近づくことができなかった。

 彼はメガネをカチカチと揺らして目を凝らす。しかし、どうやってもクラス表の細か過ぎる名前は、ぼやけてしか見えない。


「ほら、自分の教室が分かったら、さっさと離れる! 退いた退いた!」


 紫髪の女子生徒がクラス表の前にいる生徒達に注意をする。それに促され、生徒達はぞろぞろと教室へと歩いていく。行列に並ぶ客を先導するスタッフのような手振りで、生徒達をその場から退けた。


「ほらさっさと行く! 生徒会長の言うこと聞きなさ~い!」


 どうやら彼女は生徒会長のようだ。昨年の後期で選挙演説やチラシ配りを頑張っていた彼女の姿、伊織は思い出した。生徒会長に無事就任してからは、何の活動をしているかは不明だ。

 しかし、忙しない様子を見る限り、色々頑張っているらしい。全校集会でも彼女の姿は、生徒の中で一番輝いて見える。


「ほら保科君、今のうちに見て。クラス分かったら、君も早く教室行ってね」

「あ、うん……」


 伊織はクラス表に近づき、自分の名前を探す。地味に彼女が自分の名前を知っていたことに驚く。彼女に自分のクラスの場所を確認してもらう方が早い気もするが、余計なことは考えずに自分の名前を追う。


「1組には……いないか。2組には……あっ、いた!」


 「保科伊織」の名前を見つけた。伊織はすぐさま3年2組の教室へと駆け出した。しかし、その前に生徒会長に礼を言わなくては。


「ありがとう! 会長!」

「どういたしまして。これからも七海町立葉野高等学校生徒会長、村井花音むらい かのん会長をよろしくね~♪」

「えぇ……」


 やたら自分の肩書きをアピールしたがる花音。伊織はいつまでもピースサインを送ってくる彼女の横をすり抜け、階段へ向かった。





「やったね美咲みさき! また同じクラスよ~」

「ほんと! また綾葉あやはと一緒なんて嬉しい♪」


 伊織は3年2組の教室に入った。同じクラスになった嬉しさのあまり、はしゃいでいる女の子達の間を通り抜ける。黒板に掲示されている座席表から、自分の席の場所を確認する。速やかに机の上に学校鞄を乗せて座った。


「……」


 伊織は座りながら周りをぐるっと見渡した。ちらほらと顔馴染みや、二年生の時のクラスメイトの姿が見える。伊織は少々の安心感を得る。これから彼らと高校生活最後の一年間を過ごすのだ。


「いーおーりー」


 聞き覚えのある声が背後から聞こえる。振り向くと、鶴宮麻衣子つるみや まいこが両手をぶらぶらと揺らしながら近づいてきた。


「何? その動き……」

「また同じクラスになれたわね~」

「あぁ、今年も面倒くさくなるなぁ」

「何ですって!?」


 伊織に顔を近づける麻衣子。二人はどういう縁か、過去二年間クラスが同じだった。彼女はかなりアグレッシブな性格で、何かと伊織を気にかけている数少ない彼の女友達だ。伊織の詩をたまに読むことがあるが、褒め称えたことは一度もない。


「まぁまぁ……でもよかった。知らない人はあまりいないみたいだ」

「今年度もまた慌ただしい生活になりそうね」

「あっ! 鶴宮!」


 すると、教室中の可愛い女の子を眺めていた桐山裕介きりやま ゆうすけが、麻衣子を見つけた途端血相を変えてこちらに近づいてきた。


「ちっ、お前も同じクラスだったのかよ。これじゃあ勝負できねぇじゃねぇか」

「おっと! 俺を忘れてもらっちゃあ困るぜ!」


 ガラッ

 廊下を勢いよく開け、教室の中に気合出男きあい だすおが入ってきた。とんでもないキラキラネームだ。


「この俺を差し置いて勝負しようとは、どういうことだぁ? はぁ~ん?」


 タイミングよく二人の間に割り込んできた出男。彼の暑苦しい態度に、裕介と麻衣子は眉をひそめる。


「お前も同じクラスかよ!? 何だよ。面白くねぇなぁ~」

「誰でもいいわ。今年の体育大会、せいぜいヘマして足を引っ張らないことね」

「ふんっ、それはこっちの台詞だっつーの!」

「いや、俺の台詞だぁ!!!」


 三人の間で火花がバチバチと弾ける。この三人は何かと争い合っている。伊織はその様子を苦笑いで眺める。

 ふと、昨年の体育大会で麻衣子は代表となってクラスを導いていたことを、伊織は思い出した。裕介と違うクラスだったので、敵同士体育大会で競い合っていた。出男の方はどうしていただろうか……。


 とにかく、クラスメイトとなってしまっては、学校行事で敵として争えないことを嘆いているらしい。三人は余程の勝負好きのようだ。


「……」


 なかなか個性的なメンバーがそろった3年2組。果たして彼らの輪に入っていけるだろうか。伊織は内心不安を感じながら、席で萎縮してしまっていた。


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