第2話
外界から
「どうしてこんなに親切にしてくれるんですか? 以前から知り合いだったの?」
少女は問う。
記憶を失くしていても、一般常識に関して、彼女は世間知らずではなかった。僕が住み込みで家事までこなしていることを不思議に思ったらしい。
「あなたのお父上に恩義がありまして」
僕はもっともらしい嘘で取り
「父は亡くなったんですよね?」
彼女の声は沈んでいた。
「記憶があったらちゃんと悲しめるのに、どうしてひとつも思い出せないのかな」
残念ながら僕は、記憶を抹消する魔法は使えても、欠落したそれを戻す魔法までは習得していない。
「まだ悲しむタイミングじゃないんですよ」
「タイミング?」
「体の苦痛がひどい時に心まで痛かったら、元気になろうと思えないでしょう? だから今は神様が記憶を預かってくれてるんだと思います」
口先だけの慰めに過ぎないのに、彼女はふわりと柔らかく笑った。
「あなたは優しいですね」
胸にまたチクリとした痛みが走る。同時に、どこか甘さを含んだ痺れがじわじわと広がるのを感じた。
ありえない――動揺を隠しきれず、慌てて部屋を出た。人間に対してこんな感情を抱くなんて。
魔法使いと人間は、姿かたちこそ同じであっても、生きている時間軸はまるで違う。僕らからすれば、人間はあっという間に老いて死んでいく生き物だ。
そんな人間を愛でて傍に置く魔法使いは存在する。老いて弱ったり亡くしたりすればもちろん悲しむが、それは愛玩動物に対する気持ちに近く、対等な存在として愛したりなどしないものだ。
だが、修復という魔法をかけられた彼女の場合……いや、そんなことは考えたって仕方ない。甘い妄想に溺れそうな自分を心の中で叱りつけた。
彼女の記憶喪失のことは組織に報告した。
「対処の必要はない」
あっさり答えられ、やりきれない気持ちになる。占い師が命と引き換えに願ったのは、娘の体の無事だけではないだろうに。
僕は個人的に、失われた記憶を修復できる魔法使いにコンタクトを取った。記憶修復は使い手が多く、禁じ手でも何でもないありふれた魔法である。
「久方ぶりだの」
依頼に応じてくれた魔法使いは、僕が記憶操作を教わった師で、今回の経緯を知っている高位者でもあった。
「相変わらず見事な腕よ」
魔法で眠らせた少女を見下ろし、彼は目を細めた。
「どこを損じていたのか全くわからぬ」
「外見を戻したに過ぎません。記憶がなければとても元通りとは」
「珍しいことを言うものだ」
彼は不思議そうに僕を見て、それから気を取り直したように彼女の額に手をかけた。
「もう仕事は終わったのだろう? おぬしの記憶もついでに消してよいな?」
「いえ、まだ完全ではないので」
自分の口をついて出た言葉に僕も驚いた。
師は何か言いたげな顔をしていたが、黙って報酬を受け取り立ち去った。
目覚めた彼女は、父親の死をひどく悲しんだ。
僕は慰めの言葉など口にしなかったが、泣きじゃくる彼女を見るのは辛かった。こんなに悲しむのなら記憶を戻さない方が良かったのではないかと悔やみもした。
見守ることしかできないまま幾日かが過ぎ、やがて彼女は少しずつ落ち着きを取り戻した。
「あなたがいてくれて良かった」
久しぶりに笑顔を向けられた時、心の底からホッとした。
自分の怪我と父親の死が重なっている理由について、彼女は何か察したようではある。
「本当は何者なの?」
聡明な光が宿る目で尋ねられるたび、魔法で意識を失わせて逃げた。
彼女の屈託のない笑顔と軽やかな動きを見ればわかる。もう僕の魔法は必要ない。記憶を消して立ち去る時期が来たのだと。なのに、あと一日、もう一日と先延ばしにしてしまう。
「何をぐずぐずしているのだ!」
ついに召還命令が下されてしまった。
「あの厳しい修行の日々を無にするわけには……」
組織に属している以上、ここに留まり続けることは不可能だ。
人間に執着して組織の指示を無視するなど、我々の世界の常識では狂気の沙汰である。このまま組織から離脱でもしようものなら、師や仲間にも見放され、裏稼業で生きていくしかなくなるだろう。魔法剥奪や禁錮などの重い罰を受ける可能性だってある。
肉体修復魔法について、使い手以外に全容を把握しているのは組織でも高位者だけで、一般の魔法使いには噂程度しか知る
肉体修復は、医療行為とは似て非なる性質を持つ。治すのではなく、損傷を受ける以前の姿に戻すのだ。
そして、修復を
人間の場合、修復された時の記憶は例外なく消されるため、体感としては、突如として不老不死になり、長い年月の後、また突然に修復前の無残な姿に戻って苦痛に
禁じ手なのは、その残酷さゆえでもある。
僕が彼女の記憶を消さず、真実を教えて傍で支えることは許されない。彼女がいずれ、少しも老いることなく生き続ける自分に悩んだとしても、今までこの手で修復してきた対象者たちと同じように、関わらずにいることしか出来ない。
もし禁を破り、罰として高等魔法を全て剥奪されでもしたら、僕は最下層に転落して使い走り程度の仕事しか出来なくなってしまう。そんな屈辱には、とても耐えられそうになかった。
最後と決めた日、僕は中庭にテーブルを出して彼女をお茶に誘った。濃い緑の中に鮮やかな夏の花が咲き乱れ、甘い香りを漂わせていた。
「私が父に何も聞いていなかったと思いますか?」
白いカップを差し出すと、彼女は悲しそうな顔をした。
「この世には本当に魔法使いがいて、困っている人を助けてくれる組織があるのだと。父はその橋渡し役が出来ることを誇りにしていました。組織の存在は絶対に秘密だから、問題を解決したら、魔法使いは依頼人の記憶を消して立ち去るとか……あなたも私の記憶を消すつもりでしょう?」
組織の内情を知っている僕には突き刺さるような言葉だった。亡き占い師の人生や彼女の気持ちや、色んなことが浮かんで苦しくなってくる。
「あなたを忘れたくない」
彼女は両手を祈るように合わせ、強い眼差しで僕を見つめた。
「もう二度と会えないのなら、せめて憶えていたいの。誰にも言わないから」
「それはできません」
「どうして?」
「それも言えません」
「私はちっぽけな人間で何の力もないから、行かないでとも、また会いに来てとも言えません。でも記憶があれば、いつでも私だけのあなたを思い出すことができます。私の命も魂も、何だって全部あげるから、お願いだから忘れさせないで! 死ぬまでずっと、あなたを、私は……」
言葉につまった彼女の目から大粒の涙がこぼれ、それは宝石のように陽の光を反射して
なんという熱情なのか――僕を憶えていたいという、ただそれだけの為に全てを捧げてもいいだなんて。こんな真摯な願いを無視することは、すさまじく難しい。
「僕のことなど……忘れた方がいい」
彼女は激しく首を振る。
「絶対に嫌! あなたを忘れるぐらいなら、今ここで死んだ方がましです」
こんなに強く誰かに想われるなんて、今まで一度でもあっただろうか。
僕は天を仰いだ。
「わかりました。記憶を消さないで立ち去ることはできません。あなたが僕を忘れてもいいと言うまで、ここに留まりましょう」
こんな小娘に惑わされるなど、自分でも正気を疑ってしまうが仕方ない。
「そんなこと、私は絶対に言いません」
少女は泣き止み、咲き誇る花よりきれいな笑顔を見せた。
「だから、ずっといることになりますね」
甘い痺れが僕を支配していく。もはや抗うことは不可能だ。受け入れることしかできそうにない。
「仕方ないね」
壊してしまわぬようそっと抱き寄せると、彼女はたおやかな腕を僕に巻きつけ、耳元で情熱的な愛の言葉をささやいた。
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