魔法と運命

奈古七映

第1話




 この手を離しさえすれば僕は元に戻れる。

「忘れてもいいよ」

 彼女のほっそりした手から、頼りなく力が抜けていく。透徹とうてつした表情が、迷いなく覚悟を決めたことを物語っている。

 そして彼女は、空いている方の手で、僕の指を一本ずつ外しにかかった。




 ことの発端は予定時刻に生じたズレだった。

 僕が現場に着くより早く、その事故は起きてしまった。

 魔法を使ってまもるはずだった十七歳の少女は、取り返しのつかない重傷を負い、僕は初めての事態に愕然とした。

「占い師はもう……?」

 見届け役の仲間に電話すると、冷静な答えが返ってきた。

「当然。迷いのない最期だった」

「そうか」

「どうした? わざわざ確認が必要でもあるまいに」

 通常なら任務は単独でこなすもので、同じ案件に関わる仲間同士であっても、いちいち連絡を取りあったりなどしないのが普通だ。

「時刻にズレが生じて娘を救えなかった」

 僕自身のミスではないが、不首尾を伝えるのは良い気分ではない。

「遅参したのか?」

「いや、指示が間違っていたのだ」

「そんな馬鹿な……!」

 仲間は絶句した。

 ミスが許されないこの任務には、最高位の魔法使いが計算した秒単位の時刻予想が不可欠である。それは常に正確なはずで、何重にもチェックされて導き出された時刻が間違っているなんてありえないことだ。

「おぬしが間違えたのではないか?」

「失敬な。ありえない」

 僕は見た目こそ若いが、魔法を習得したのはずいぶん昔のことで、人間の一生でいうと三回分ぐらいの年月を魔法使いとして生きてきた。その間、重大な任務においてミスしたことなど一度もない。

「とにかく、組織の上に報告して指示をあおぐしかあるまい。こちらは予定通りで何の問題もなかったが」

「わかっている」

 ミスを疑うような態度は不愉快だが、彼の言う通りにするしかなかった。




 魔法使いの多くは、組織に属して働いている。組織は人間や精霊などから依頼を受け、内容に応じて魔法使いを派遣し、報酬ほうしゅうたずさわった任務に応じて分配される。

 未熟な魔法使いにも仕事はあるが、実力者しか果たせない案件も少なくない。その中で僕が所属する部門は、運命に手を加える特殊な魔法を使いこなす精鋭揃いだ。


 今回の件は、未来視という異能いのうを持つ占い師からの依頼だった。彼はロマの血をひく人間で、仕事の仲介という形で魔法使いの組織と関わりを持っていた。

 依頼内容は「私の命を代償として、娘を無傷で助けて欲しい」というもの。

 娘と共に事故にう予知夢を見た占い師は、自分らの運命を精査してくれるよう組織に求めてきた。それで、近いうちに大きな事故が起きることがわかり、父娘はそれに巻き込まれ、完治不可能な重傷を負う運命という鑑定結果を受けた。

「私はいいが、娘が焼けただれて不自由な身体になるなど耐えられない。あの子の人生は、まだまだこれからなのに」

 占い師は安くない報酬を前払いし、魔法による運命の変更を依頼した。


 運命を変えるメカニズムは複雑で、どんな場合でも必ず代償を必要とする。例えば腕を骨折する運命を回避するなら、同等以上の代償を用意しなければならない。単に避けるだけでは、運命は利子を加算するかのように、腕の欠損や麻痺など骨折より過酷な未来を後々もたらすのだ。


 男手ひとつで慈しみ育てた一人娘だという。占い師は自らの命を代償として差し出すのをためらわなかった。

 それなのに、同時刻であるはずの彼の死と事故のタイミングがズレたせいで、僕は娘を救えなかったのである。




「娘の肉体を修復しゅうふくせよ」

 上司に報告すると、既にわかっていたかのように命令された。

報酬ほうしゅうは組織が支払う」

「時刻の伝達ミスですか?」

 率直に問うと、わかりにくい説明が返ってきた。

「そうではない。どんなに代償を用意しても、運命を無理やり変えるというのは摂理せつりに反する行為なのだ。繰り返し行えばゆがみが蓄積して、こちらが精査した未来と微妙に違う結果を招くこともある。今回の件は、たまたまその歪みが一気に弾けて大きく時刻がズレたのだろう」

 そんなことは初耳だ。どうも釈然としなかったが、上の指示には従うしかない。

「次に入っていた仕事は他の者にまわす。おまえは修復作業に専念せよ。完了次第、対象者の記憶を消去して戻れ」

「了解」

 肉体の修復というのは、許可なくほどこしてはならない「禁じ手」でもある。それが出来る魔法使いは世界でほんの数人しかいなくて、僕はそのうちの一人だった。






 入院中の少女に会いに行くと、集中治療室のベッドに手足の欠けたいびつなミイラが横たわっていた。

 包帯の間から、紫や赤や黒に変色してまだらになった皮膚がのぞいており、意識の有無はよくわからない。これほどの損傷をすっかり無かったことにするには、かなりの時間と手間がかかる。大仕事だ。

 とにかく写真でも入手しないと、元の姿がまるでわからない。


 占い師が娘と暮らしていた家を訪ねた。

 門を開けてレンガ造りの家に入ると、やたら人なつこい犬がお腹を空かせていた。茶色の毛におおわれた体は大きく、垂れた耳と長いふさふさの尻尾が愛らしい。彼が開けようと悪戦苦闘したらしい、爪痕つめあとで傷だらけになった戸棚の留め金を外すと、案の定そこに餌がしまってあった。

「待て待て、今やるから」

 戸棚に頭を突っこもうとするのを阻止し、餌皿に山盛り与えてやる。むさぼるように食べはじめた犬を見て、気分がなごむのを感じた。ついでに空の給水器も洗って、ボトルに新鮮な水を補充した。

 玄関ホールの壁に写真パネルが飾られてあり、この犬を抱いた髪の長い少女の写真があった。はじけるように明るく綺麗な笑顔に、しばし見入る。

 満腹になった犬は、僕のところにトコトコやって来て、礼でも述べるように一声わんと鳴いた。

「おまえの世話も必要だね」

 犬の頭を撫でてから、家の中をざっくり見て回った。

 部屋数は少ないが天井の高いゆったりした間取りで、暖炉や安楽椅子が置かれた居間の大きなカーテンを開けると、その向こうはスペイン風の中庭パテオだった。敷き詰められた石畳に陽光があふれ、よく手入れされた緑と花の鉢植えが並んで、小さな噴水まである。

「素敵な家だな」

 占い師には会ったこともなかったが、家の様子からうかがえる美意識に好感を持った。

 内側は明るく暖かい雰囲気なのに、外側に向いた窓はほとんどない。堅牢けんろうな隠れ家のようで居心地が良さそうだ。

 病院で周囲の目をあざむきながら修復するのも面倒だし、僕は少女をここに移動して作業することに決めた。




 まず痛みと出血を止める。

 いちじるしい手足の欠損はあるが、幸いなことに脳と内臓には損傷がない。応急的に皮膚を再生させ、表面の傷をふさいでから退院させた。

 普通ならありえない経過でも、魔法をちょっと使えば誰も疑問に思わなくなる。退院する時、診療記録とともに医師や看護師らから少女についての記憶を抹消まっしょうした。




「必ず戻すからね」

 少女を心配そうに見守る犬に声をかけ、僕は本格的な修復に入った。

「おはよう」

 聞こえるかどうかわからないが、毎朝そうやって声をかけてから作業を始める。

 皮膚と違って骨や筋肉を再生させるには時間がかかり、特に神経が密集している顔面の修復には細心の注意が必要だ。


「おはよう、ございます」

 返事が返ってきたのは一か月後のことだった。

 表面的な修復は済ませたが、機能はまだまだで、まともに動ける状態ではない。

「僕はあなたの治療を担当している療法士です。どこか痛みますか?」

 少女はイイエと答えた。

「事故のことをおぼえていますか?」

 そう問うと少女は首をかしげた。

「わからない……」

 目覚めたばかりだからかと思ったが、どうやら負傷によるショックで記憶が欠落してしまったらしい。事故のことだけでなく、自分の名前や父親と暮らした記憶まで失っていた。


「無理に思い出さなくても大丈夫。まずは治療に集中しましょう」

 僕は少女の動かない手を取り、マッサージやリハビリのふりをして魔法をかけ、少しずつ元に戻していく。

「気持ちいいです」

 彼女はうっとりと目を閉じて微笑んだ。

「あなたの手は温かくて優しいから」

 あかく頬を染めたその表情に、僕は柄にもなく動揺した。


 この修復は、組織の指示でやっているに過ぎない。終われば、僕に関する記憶を抹消して立ち去る予定なのだ。そこに「優しさ」などあるわけがない。を失った状態から更にまで消し去ったらどうなるかなんて、少しも案じていないのだから。


「治療はいつまでですか?」

 少女の問いには心細そうな響きがあった。胸にチクリと小さな痛みを感じる。

「あなたがすっかり元気になるまでですよ」

 嘘、ではない。


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