二人の宝は、時を超えて

喜多ばぐじ ⇒ 逆境を笑いに変える道楽家

二人の宝は、時を超えて



<prologue>


木立の間を、初夏の風が吹き抜けた。

夕暮れの公園で過ごす放課後は、2人にとって特別な時間だった。


「すまん。あれ、無くした」


「え?どうして!?あれは大事なものなのに」


「あんなものが無くてもどうってことねえよ」


「そんなこと言わないでよ!私がどんな思いで…」


「つべこべ言うんじゃねえ。今から俺たちは、付き合うんだから。一から、思い出を作ろう」


「…え?付き合うの?」


「いやなのか?」


「末永く、よろしくお願いします」



―――――――――――――――――


ケージ内を走り回っていたハムスターは、動きを止めた。

おだやかな夕食の時間に暗雲が立ち込める。


「ねえ、お母さんはどうして他のお母さんたちより、年をとっているの?」


今年10歳になるユウトは、クリっとした瞳で私を見つめた。


私の年齢は、55歳。いずれ指摘されるとは思っていたものの、実際に言葉をぶつけられると動揺を隠せない。



今日ははじめて授業参観に出席して、周囲の若々しいお母さんたちに囲まれた。




思春期に差し掛かった10歳の息子が、母の年齢を気にするのは当然なのかもしれない。


しかし私は、ユウトの疑問に対する明確な回答を持ち合わせていなかった。


適当にあしらえばいいのか。くだらないことを言うな、と叱ればいいのか。謝ればいいのか。






困惑する私をじっと見つめるユウト。

ハムスターはキョロキョロと首を振っている。


沈黙した空間で、娘のカホは声をあげた。


「別に年をとっていたっていいじゃない!自分の化粧を気にする若いギャルママより、うちのお母さんの方がいいに決まってる!」


二卵性双生児のカホは、ユウトと同じ年とは思えないほど大人びていた。


ユウトは、カホに突っかかった。

「お姉ちゃんが言っていることはおかしいよ!若くてきれいなお母さんがいいに決まっているじゃないか!」


その言葉は私の胸を切り裂いた。


カホはそれを察したようだ。カレーをすくおうとしたスプーンを置き、ユウトを睨みつける。


「何歳だろうが、お母さんはお母さんでしょ?!つべこべ言うんじゃない!」


「ぼくはお姉ちゃんとは違う!お母さんの年齢が気になるんだ!」


普段はおとなしいユウトだが、少し声を荒げる。


私の年齢について友達にバカにされたのだろうかと思うと、ユウトに何も言えない。



しかし、カホは違った。私が困惑して俯くにつれて、彼女はヒートアップした。


「いい加減にしなさいよ!」

カホは物凄い剣幕で椅子を引いて立ち上がった。心優しい彼女は、父がいない分、自分がお母さんを守ろうという思いが強かった。


ユウトは怯えた表情を見せる。いつもなら泣き出してしまうところだが、今日の彼は違った。


「友達に…バカにされたんだ…お前の母ちゃんはババアだって。だからお前のところは貧乏なんだって…」


「うちが貧乏なこととお母さんの年齢は関係ない!くだらない冗談を気にしなくていいの!」


「ぼくは気にするんだよ!」

瞳は潤んでいた。


しかし、私は何も言えなかった。自分の年齢が原因で言い争う双子の姉弟を、ただ見つめることしかできなかった。







口を開いたのはカホだ。

「うちはお父さんがいないんだから、家計が苦しいのは仕方がないじゃない?」


「じゃあ家を売ればいいじゃん!?」


亡くなった父が残してくれた広い庭があり、周囲を塀に囲まれた一軒家、それを売るわけにはいかない。


カレーが冷めていくのとは裏腹に、口論はヒートアップする。


「お父さんが買ってくれた家を、簡単に売るなんて言っちゃだめ!

お母さんは必死に働いて、ローンを返済しながら生活費を稼いでくれているんだよ?

だいたい、あんたが食べ過ぎるから食費がかさむのよ。

カレーの量だって、私とお母さんの2倍じゃない」


「なんだって!?お姉ちゃんは、ぼくのせいだっていうの?」


「そうよ、あんたのせい!あんたが食べすぎるからうちはお金がないの。それを棚に上げて、お母さんの年齢を責めるなんて、本当に最低ね!!」


カラン、スプーンが床に落ちた。

ユウトは虚ろな表情で立ち上がった。


「わかったよ。ぼくなんて…生まれてこなければよかったんだ…そうしたらお母さんは…」


本心ではなかったのかもしれないが、ユウトは決して言ってはいけない言葉を口にした。


ユウトが言い終える前に、カホの右手が飛び出し、ユウトの右頬にビンタをした。それでもカホの怒りは収まっていない。


掌を翻し、ユウトの左頬を引っぱたいた。


「生まれてこなかったらなんて言うな!!」


なおも往復ビンタを続けようとするカホを、放っておくわけにはいかない。

私は、彼女の右腕を鷲掴みにした。


「やめなさい!カホ!」


「なんで?ユウトが悪いんだよ?絶対に言っちゃいけないことを…」


「それでも暴力はだめなの!」私は心を鬼にしてカホを叱った。


彼女は間違ったことを言っていない。


私のことを思って発言し、私のために怒ってくれている。


だからといって、暴力を認めてはならない。それが私の教育方針だ。


私に叱られたカホは、納得ができないという表情で目を潤ませていた。


胸が張り裂けそうだ。

2人の争いの原因は私であり、言い争いを止めることもできなかったのだから。



しかし、落ち込んでばかりはいられない。母として言っておかなければならないことがある。


「ユウト、ごめんね?お母さんが年をとっていることを指摘されて、あなたはつらい思いをしたのよね?

けど、お母さんにはどうしようもないことなの。

それとね。自分の命を粗末にするあの言葉、あれは許せないよ?」


ユウトは口を真一文字に結んで俯いている。


「カホ?さっきも言ったけど、何があろうと、暴力を振るうのは絶対にダメよ?」


カホは、充血させた目で私を睨みつけた。


思わずため息が漏れる。2人は反省しているのだろうか。


私は2人をじっと見つめて、「外で少し頭を冷やしなさい」と庭を指さした。


事の重大さを察して部屋を後にした2人を確認すると、内側から鍵を閉めた。

2人きりで話をさせる必要があると思ったのだ。



―――――――――――――――――


庭に追い出された2人は、顔を見合わせた。


言い争いをしているときは紅潮していた頬も、若々しい小麦色に戻っている。冷たい風は、2人に冷静さを取り戻させた。


先に口を開いたのはユウトだ。


「ぼくらがいがみあっている場合じゃないかもね…」


「そうだね。でもどうしよう。お母さんが私たちを許してくれるのを、ここで何もせずに待っている?」


「ぼくに考えがあるんだ」


ユウトは庭にある倉庫から、2本のスコップを取り出した。


「穴を掘って脱出しようよ!」


カホは目をクリクリとさせた。


「戦国時代じゃあるまいし、穴を掘って家の外に出ることなんて不可能よ」


ユウトよりも多くの本を読み、知識が豊富なカホは、非現実な提案に驚いた。


「不可能かどうかは問題じゃない。このままじっとしているのが嫌なんだ。

それに、姉ちゃんと一緒に何かしたことって、最近ないよね。仲直りの意味も込めて、ケーキ入刀みたいな?」


「結婚式の共同作業のつもり?

まあ、いいわ。私も仲直りはしたいと思っていたし、手伝うわよ」


カホはユウトの提案を受け入れ、スコップを手に取った。塀に近いところの土を掘るため、腰に力を入れた。


ザッと、スコップを地面に突き刺し、掘った土をどけていく。2人は交互に、その作業を繰り返した。


ザッザッザ。


無機質な音が2人を包み込む。


ユウトが母に、カホがユウトに抱いていた不満は、単純作業を続けていく中で薄れていった。


10分ほど経った頃だろうか。


ガツッという金属音が鳴り響く。ユウトのスコップの先が何かに当たったようだ。


「なんだこれ、箱かなあ?」

カホは周囲の土を取り除き、その箱を取り出した。


「開けてみようか?」


「箱を開けたら、おじいさんになっちゃったりして」


「悪い冗談はやめてよ」


恐る恐る箱を開くと、色褪せた長方形の物が山積みにしてあった。


「これ何か書いてあるよ。ヒエログリフかなあ?」


「あんたバカなのに、古代文字を知っているのね。

でもこれはヒエログリフじゃなくて日本語だよ。


「どうしてこの1mmほどの薄いひらひらを束ねた物に、文字を書くの?」


「私だってわからないわよ…」


ユウトはそれを、手に取って開いた。そこには「優叶…」と記されてあった。ユカ、それは母の名前だ。



―――――――――――――――――


何やら庭の外が騒がしい。私は鍵を開けて、庭に飛び出した。


「あんた達、庭を掘っていたの?!」


カホは何をしているかについては答えず、別の質問をした。


「この箱の中のものは何?何か書いているけど…」


「話を逸らさないの」


「ごめん、庭はあとで元に戻すから。これについて教えてよ」


「わかったわ。

あなたたちは存在を知らないと思うけど、それは、`ノート`っていうの」


私は視線を落とし、紙を指でなぞった。ざらざらとした質感が懐かしい。


「ノート?」


「ノートっていうのは、文字を打ち込むためのものよ」


「文字ってタップしたり、キーボードに入力するものじゃないの?」


この子たちがノートや紙を知らないのも無理はない。数十年前、地球全体が異常気象に見舞われた結果、深刻な森林破壊が進んだ。世界的なペーパーレス化に拍車がかかり、紙は消えたのだ。

紙がないのだから、自然とノートもなくなる。


文字を読み書きする媒体は、電子書籍や、タブレット、スマートフォンなどに置き換えられたのだ。


「カホ、ユウト。

あなたたちが生まれる前は、ノートや紙で文字を読み書きしていたの。

鉛筆というものを使って、自分の手を動かして…」


「このノートの中身、なんだか黒くて汚いよ?」


「それは墨といって、すすを塗り固めたものよ」


私はそういって、ノートを2人に差し出した。


「触ってみて?」


2人は、訝しがりながらもノートに描かれた文字をなぞった。


「なんだか、温かい…」


「これが紙の質感よ。紙やノートには、あなたたちが使うタブレット端末とは違った良さがあるのよ」


「違った良さ?」


「そうよ。自分の手を動かして文字を書き、間違えたら消しゴムで消す。もちろん墨やペンが手について汚れることもあるけれど」


「入力した方が早いし、声を自動変換してくれるソフトだってあるよ」


「違うのよ、ユウト?直筆だと、自分の心が伝わるの。無機質なデジタルじゃない、その人しか書けない文字が…」


「お母さん、私もわからないよ…」

カホも首を傾げている。


「あなたたちにもいずれわかる日が来るわ」


私は2人の頭をそっと撫でた。



「このノート、少し読ませてね」


1つ1つの文字が体の中に飛び込み、1枚ページをめくるたびに、若返るような感覚に陥った。最後のページをめくったとき、大粒の涙が頬を流れた。


「お母さん、どうして泣いているの?」

「優叶って、お母さんの名前だね。これは誰が書いたものなの?」


唾をゴクリと飲みこんだ。



―――――――――――――――――


「私とお父さんは、25歳で結婚した。

`みんなで温かい家庭を築いていこう`、と話していたのだけど、子宝に恵まれなくてね。

もう子供はできない、って諦めていたの。けど、奇跡が起こった。


45歳の時に、自然妊娠したのよ」


「それが、ぼくたち?」


「そうよ。カホ。ユウト。双子のあなたたちよ。

もちろん高齢出産はリスクがあった。あなたたちや私自身の命もどうなるかわからない。

不安でいっぱいだった私に、お父さんはこう言ったの。


`2人の子供は、神様が俺たちに届けてくれた宝だ。きっと大丈夫、無事に生まれてくるよ。俺も精一杯サポートするさ`」



子供たちの脳裏に、父の姿が思い浮かんだ。


「ねえ、お母さん。それで、このノートは?」


「そのノートは、私とお父さんの交換ノートよ。高校生の時のものだから、もう40年も前ね」


「交換ノートってなに?」


「電子メールやLINEのやりとりのように、お互いにメッセージを送りあうの。

けど、お父さんは読むだけで、返事を書いてくれなかった。交換ノートを書いている当時は、まだ私たちは交際していなかったから、私も無理に書いてとは言えなくて」


「ひどいね、お父さん…」と、ユウトが言えば、「お父さんは淡泊なだけ、きっと恥ずかしかったの」と、カホが続ける。


「なぜ書いてくれなかったのかは、わからない。そしてある日、お父さんは`ノートを無くした`と言ったわ。それから交換ノートのことが話題にあがることはなくなった。


だから驚いているのよ。あなたたちが発見したのは、40年前にお父さんが無くしたはずの交換ノートなんだから」


「で、そこには、なんて書いてあるの?」


「真ん中のページを読み上げるわね。


`優叶。交換ノートを読んでいるうちに、君の人柄に惚れたよ。

ノートびっしりに詰められた文字と、消しゴムの跡。

きっと試行錯誤して、このノートに丁寧に言葉を紡いでくれているのだろう。


だけど、君は部活動に習い事に忙しい。俺のために、貴重な時間を使いすぎているだろうから、このノートは無くしたことにして、俺が預かる。


もちろん、君は必ず怒るだろう。だから交換条件だ。交換ノートはやめるが、俺たちは付き合おう。これからは文字ではなく、もっと言葉を交わしていこう。`


あ、思い出したわ。たしかお父さんは、交換ノートを無くしたと言ったあとに、私に交際を申し込んできたの」


「ということは、このノートがなかったら、お母さんたちは付き合っていなかったかもしれないんだよね。私たちも生まれていなかったのかも…」


「なかなかロマンチストなんだね。お父さんって」


「自分勝手な部分もあったわよ。ロマンチストエゴイスト、ね。

それと、このノートにはまだ続きがあるの」


「どんな内容?」


「あなたたちの目で、確かめなさい」


子供たちは、ノートを覗き込んで、内容を朗読し始めた。


「`交際を申し込むからには、俺は君と結婚するつもりだ。

子供も欲しい。もう名前は決めてあるから、一応書き記しておく。


女の子なら、叶宝。男の子なら、優宝だ」


その言葉を聞いてはっとした。お父さんは、高校生の時から子供の名前を考えていたのだ。

ロマンチックな台詞に、心がふわふわと浮かぶような気分になる。


私はしゃがみこみ、子供たちと視線を合わせた。

「カホ、ユウト。あなたたちもお父さんに会いたいよね?」


「うん。顔が見たい」

「声も聞きたい」


「でももう会えない。お父さんはもういない」


考えないでおこうと思っていた、お父さんがもういないという事実。

一瞬、世界から音が消えた。


「けどね。こうやってお父さんの話をしていれば、私たちの心の中で生き続けているんだよ?」


子供たちは声をあげて泣いていた。


「あなたたち2人はね。私とお父さんにとっての、宝なんだから。

今日はお母さんも言い過ぎちゃったね。ごめん。

もうみんなで仲直りしよう。


叶宝?優宝?」


溢れ出るものを止められなかった。



そのとき誰も触っていないはずの、仏壇のおりんが鳴り響いた。

遠くのあの世で、お父さんが今も私たちを見守ってくれているのだろう。



「お母さん、ごめんね。年齢のことで責めたりして。そして、自分の命を粗末にする言葉を使って…」

「私もごめん。これからは、家族3人で、力を合わせて頑張っていこうね」


泣きじゃくりながら謝る2人をギュッと抱きしめた。



―――――――――――――――――



「ねえ、お母さん。その`鉛筆`っていうものはまだ持っているの?」ユウトは、私に尋ねる。


「あるわよ」


「あとで貸してよ。この紙に書きたいことがあるんだ」


「何を書くの?」


「内緒…」



グゥー…

そのとき、子供たちのお腹が鳴った。


「カレー、食べるの途中だったわね。さあ、手を洗ってきなさい」


「はあーい!」


声をあげる子供たちにつられるかのように、ハムスターは勢いよく走りだした。



―――――――――――――――――


<epilogue>


子供たちには話さなかったけれど、ノートの最後に記されていたことがある。


「結婚して15年が経ち、家を買った。しかし、25年前から待ち望んだ宝を、神様は授けてくれない。


このノートは、子供が生まれたら君に見せるつもりだった。

だが、もう叶いそうにない。だからこのノートは庭に埋めることにする。


最後に、口では絶対に言わないことをここに記そうと思う。

君が見ることはないと思うので、ただの自己満足だ。


生まれてきてくれて、ありがとう。


俺を選んでくれて、ありがとう。


優叶、君を愛している」



手紙の最後の文を読むと、涙が溢れてくる。

目を見て、手を繋いで。


直接あなたから言ってほしかっ言葉が力強く書かれていた。



文字を何度も何度もなぞった。


その温かみを、あなただと思って。

まるであなたの頬にそっと触れるように、優しく静かにゆっくりと撫でた。


あなたの包み込むような笑顔を思い出しながら、私はこのノートを何度も読むだろう。


ありがとう。そして、愛してるよ。


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