第28話 貴族現る

 クリスが皆に注意を促し席に戻った時、扉付近にいたアイラス指導員が廊下を確認し、ガラリと扉を急いで開け放つ。


 扉の奥には3人が立っていた。

 先頭には1組の指導員であるベルゼス。その斜め後ろに立派な服を着用した10歳ぐらいの男の子が立っている。もう一人はその男の子の背中に隠れるようにして立っているので、ここからでは容姿は確認できない。


「な、何事だ! アイラス‼」


 作業中にいきなり扉を開け放ったアイラスに対し、ブルジンが一際大きな声で問い質す。


「ブルジンさんよ。今、そんな態度を取っていいと思っているんですか?」


 ブルジンの問いかけに答えたのは、アイラスではなくベルゼスだ。


「べ、ベルゼス……今は作業中だ! 隣の担当のお前が、なんの権限があってこんな事をしている!」

「おっと、だからそんな態度を取っていい場面ではないと言ってますよね?」

「なんだと!」


 ブルジンの立っている場所からは、ベルゼスの後ろにいる貴族風の少年の姿は見えないようで、ブルジンはベルゼスが言っている意味を図りかねている。


「ささ、どうぞお入りください」


 ベルゼスは不敵な笑みをブルジンへと向け、すっと一歩後ろへと下がり、へりくだった仕草で貴族風の少年を作業室へと招き入れた。

 ベルゼスを一瞥しながら作業室へと足を踏み入れる少年。コッ、コッ、と床を踏み締める足音は、農村育ちで草履しか履いたことのない我々には聞き慣れないものだ。指導員ですら布の靴なのでこんな音はしない。相当高級な靴なのだろう。

 少年が足を進めると、一歩下がったところをもう一人ついてくる。

 廊下にいた時は少年の陰に隠れていたのだが、その姿が顕わになった。少年と同程度かそれよりも少し幼いような女の子だった。ひらひらとしたスカートを揺らさないように歩くその身形は前世でもよく見たことがある。メイド服を着た侍女だ。

 おそらく少年に仕える侍女なのだろう。


「──なっ‼」


 その少年の姿を確認したブルジンは、一瞬にして顔色を失くした。


「──ヴェ……ヴェルゼルディ……様……」


 ブルジンの代わりにその少年の名を口にしたのはエメーラだった。

 そして二人は血相を変えてヴェルゼルディという少年の元に駆け寄り、そして跪いて首を垂れる。


「ヴェ、ヴェルゼルディ様……ご機嫌麗しく……」

「ご、ご機嫌麗しくヴェルゼルディ様……」


 二人は頭を下げたままヴェルゼルディという少年に挨拶をした。


「ふん、そうかしこまるな。面をあげろ」


 ヴェルゼルディという少年は、少年らしからぬ不遜な態度と言動で二人を睥睨している。

 かしこまるなと言う割には、まるで二人を人間ではなく小汚いネズミでも見るかのような、そんな蔑んだ様子がありありと窺えた。


「わざわざヴェルゼルディ様自らこのような場所にいらっしゃるとは……ほ、本日はどのようなご用向きで……」


 頭をあげろと言われても二人は素直にその言葉に乗ることなく、そのままの姿勢でブルジンが用向きを問う。


「よい、お前達面を上げろ、そして立て」

「は、はい……」


 再度頭を上げろと言われた二人は、おずおずと立ち上がった。

 

「今日は父上の名代でここに来た。本来ならこんな悪臭漂う家畜小屋なぞ来たくもないのだがな、父上の命令ならば仕方がないだろう」


 首を振り、顔を顰め、小鼻を押さえる仕草をしながらそんな悪辣な言葉を吐く。


「ご主人様、どうぞお使いください」


 すると後ろに控えていた侍女が、おもむろに純白のハンケチーフをヴェルゼルディへと差し出した。


「ああ」


 それを受け取ったヴェルゼルディは、鼻と口をそのハンカチで覆うようにする。

 なんともいけ好かない奴だ。そんなに悪臭もないのに大袈裟な仕草をするところといい、この施設を家畜小屋と呼ぶどところといい、まったくもって許し難い言動である。

 悪臭に関しては確かに最初の頃は風呂も入らずにいたので、多少は体臭もきつかったかもしれないが、この数週間で全員がましになっているはずだ。香り付きの石鹸を使っているわけではないが、鼻が曲がる程の臭気は誰も発していない。

 どれだけデリケートな鼻をしているのだろう。犬やブタ並みの嗅覚の持ち主なのだろうか。お前の方が家畜並みではないか。

 特にこの施設を家畜小屋と言うという事は、このヴェルゼルディという少年は、私達を人間とは見做していない証拠だ。

 前世でもたまにそんな勘違いをした貴族が何人もいたが、こんな年端も行かぬ少年が公然とそう発言する辺り、この領地の実態が垣間見えた気がする。貴族の子供に対する教育がそういった方向性なのだろう。

 貴族以外は人間ではない。我々貴族がいるからお前ら下民は生きていけるのだ、的な特権階級特有のエゴイズムが浸透しているのだろう。

 村に来た徴税官もそんな感じだった。


 それよりも気になることがある。

 ヴェルゼルディにハンケチーフを手渡した侍女。彼女はどことなく誰かに似ているような気がする。どこの誰に似ているのか、と言われるとすぐには思いつかない。村にいた時からそんなに人付き合いもしていなかったので、そう考えるまでもないはずなのだが、どうもどこかで見たような気がする。

 きっとここの施設の誰かに似ているだけかもしれない。


「領主様のご命令でしょうか……視察、とかでしょうか?」


 領主の命と聞いたブルジンは、震えながら再度質問した。


「ん? なんだと? 貴様、とぼける積りか?」

「と、とぼける、と言われましても、わたくしには何のことかさっぱりなのですが……」

「どのようなご用向きかは存じませんが、施設長のグレンに先にお話を──」

「──やかましい‼ すでに証拠は挙がっているのだ。それに誰に話を通すいわれもない。今は父上の名代みょうだいである俺様が法なんだ‼」


 きたーっ! カイ以外に俺様言う奴きたーっ!

 と、そんなことはどうでもいい。ブルジンとエメーラは、先に施設長であるグレンに話を持ってゆくのが筋だと言いたそうにしているが、ヴェルゼルディは二人の言葉途中でバッサリと切り込んできた。

 領主の名代であるヴェルゼルディという少年が、今時点この場で一番偉いということになるので理屈は通る。

 しかしなんの嫌疑で、と私が考えていると、


「今すぐ44番を出せ」


 私の番号が呼ばれハッとした。

 周りの子供達の視線も全て私に集まり、熱い視線を独り占めだ。


「──な、なにを急に‼」

「昨日の中間報告に偽りあり。そう父上は判断した。よってその主原因が44番にある、とこの者から報告も受けている。さあ早く44番を引き渡せ」


 ヴェルゼルディは、ベルゼスを指差し、ベルゼスから何らかの報告を受けたと力説した。

 おいおいベルゼスよ、予想以上に早く行動を起こしたものだ。普段のやる気のなさはどこにいった? 普段通りにしていろよ。そう言いたい。

 けれどもベルゼス達3人の反目者と予想される者達には、この計画自体を秘匿していたはずだ。それがこうも簡単に漏れてしまうとは……少し彼等を見くびっていたようである。


 昨日中間報告書を伯爵の元に届けたのはベルゼスだ。そうとわかっていれば、偵察マウスに尾行さればよかった。中間報告程度でそこまでする必要はないと踏んだ私の落ち度である。

 ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべるベルゼスに対し、ブルジンとエメーラは、キッとベルゼスをひと睨みした後、ブルジンが恐る恐るヴェルゼルディへ発言する。


「あ、あのうヴェルゼルディ様、お言葉ですが昨日の中間報告のどこに問題があるのでしょうか? 大多数の者が合格ラインに達していますし、逆に喜ばしいことではないでしょうか? ましてや偽りの報告など、わたくし共がするわけもありません。何かの間違いです」

「まだしらを切るか? 確かにほぼ全員が合格ラインに達している。この分だと全員が奴隷落ちすることなく仕事に就ける。俺様にはよく分からないが、これは余りに不自然な数字だと父上も言っている。そしてこいつの話では、44番が魔法を使えると報告を受けているのだ。言い逃れはできんぞ‼」


 奴隷落ちや魔法とか、ぽんぽん口を滑らすヴェルゼルディ。

 おいおい、そんな事この場で口にしていい単語じゃないだろう。そう言ってあげたい。

 案の定、子供達もその発言を聞いてざわめいた。


(ねえ、どれい落ちって何?)

(まほうってなに?)


 と、そこまで心配する事でもなかった。奴隷も魔法も分からない子供達に、そこまで鬼気迫った意味に捕らえていないようだ。

 5班だけは、奴隷落ちも魔法の事も両方説明しているので、そんなに驚いてはいないが、何故そのことが発覚したのか不安そうにみんなで目配せをしている。


(大丈夫、まだはっきりとした証拠はないから安心していいよ)


 私は5班の皆に聞こえるか聞こえないかの声量でそう諭した。

 しかしここで思わぬ伏兵が動いた。


「おいお前! なに偉そうにトーリを出せって言ってんだ? まほう、ってのがなんなのか分かんねえけど、偉そうに命令してんじゃねえよ。トーリを出してほしかったら、先ずは俺様に話を通せ‼」


 カイが高飛車にそう発言した。

 何故先にカイに話を通さなければならないのかは不明だが、リーダーとして一度は言ってみたいセリフだったのかもしれない。

 しかしそれを聞いた私達は、


(バカ‼)

「──バカ、やめろ!」

「やめなさい! バカなの君は⁉」


 私に続いて、ブルジン、エメーラの声が同時にカイへと向けられた。

 

 カイは「バカ」、という言葉が作業室に響き渡るのだった。

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