第5話 大賢者、農民の子に

 生まれてから数日後、やっと目が見えるようになってきた。


 普通ならもう少し時間がかかるのかもしれないが、私の場合、魔法の訓練をしつつ、その魔法で目の強化を行っていたので少しは早かったのかもしれない。一応初歩の初歩ともいうべき魔法なので消費魔力はたいしたことがないのだが、それでも今の赤子の私では、一度ですべての魔力を使うほどの量しかないので苦労はした。


 ただ、まだ動き回れるほどの体力もないし、寝ている時間の方が多いので、魔力を使っては寝て、起きては魔法を使ってまた寝る、の繰り返しをしただけだ。それでもこの数日で魔力量は最初の頃の倍ぐらいまで増えている。今では目の強化魔法を二回かけても僅かに魔力が残る程だ。

 やはり成長期に魔法の訓練をするのは、効果的なのだと実感した。もしかしたら赤子の時の方が自然増加も増えると思うほどだ。日に日に魔力総量が増えてくるのが実感できる。

 前世でこのことを知っていたのなら、きっともっと早くに魔導師として活躍できただろうし、もっと簡単にそして早くに世界を平和にしていたことだろう。そして夢である、のんびりとした人生を若くして実践できたのではないだろうか、と悔やむばかりだ。

 とはいえ、赤ん坊から魔法の訓練は無理だろうが……。


 実際前世では、7歳から魔法の訓練を始めたのだが、その時は確たる目標も持たずに、鬼師匠に言われるがまま、ただ漫然と訓練をしていただけだ。本格的に取り組むまで数年かけていたと思う。目標を持ったのが確か12歳ぐらいなので、実質5年ぐらいは本気で取り組んでいなかったことになる。本気を出してからからの魔法の熟練度は、自分でも目を見張るものがあった。魔力の増加も、それまでの数倍の速さで増えていったと記憶している。

 だが今はそれを上回る程の増加量だ。


 私は今、まだ0歳である。

 そんな私が目標を持って全力で取り組んだのなら、さて、どうなるか。将来が非常に楽しみである。

 ちなみに目標とは言わずもがな、のんびりとした人生を送ること、である。




 さて、目が見えるようになって気が付いたことがある。

 目に映る部屋は、非常に粗末で、お世辞にも裕福とは思えない家だった。

 家族は私を含めて6人。両親と兄二人と姉だと思う。上の兄は10歳ぐらい、二番目の兄は5歳ぐらいだろうか。二人の兄は父と同様に日焼けをしていて常に薄汚れている。顔や服に土のような汚れを付着して帰ってくるので、おそらく畑仕事か何かをしているのだと考えられる。母親は私を産んでまだ体調が優れないのか、私の傍でよく寝ている。

 姉は3歳ぐらいだろうか。暇さえあれば私の顔を覗き込み、「かわいいね、かわいいね」と言いながらほっぺをつついてくる。私がまだ動けないので、飽きたら父親と兄の後ろをついて行き、草まみれになって帰ってくる。たぶん外で草の上で遊んでいるのだろう。

 ということで、私は農家の家に生まれたのだ、と予想した。


 ただ少し不安なのは、家族が皆痩せ細っているという点だろうか。

 父親も母親も頬がげっそりと落ち、いつも疲れたような顔をしている。兄妹達も子供とはいえ、健康的な姿には見えない。下っ腹がポコッと出ており、典型的な栄養失調の症状が現れている。

 これは極貧農家か? そう思わざるを得ない。


 特に心配なのは、母親のおっぱいの出が悪いことである。

 私が赤子になって分かったことは、とにかく赤子はお腹が空く、ということだ。寝ているだけなのだが、目が覚めたら空腹感を訴え泣く。自分で意図しなくても泣いてしまうのは赤子だから仕方がないと諦めている。

 しかし、母親のおっぱいの出が悪いと、赤子の私の満腹感は得られない。常に空腹感に襲われ、泣きじゃくることしかできなくなるのだ。魔法の訓練もしているので余計に腹が減る。このままでは餓死するのでは? と私は真剣に考え始めた。


「あーよしよし、ごめんなトーリ、母さんお乳あんまし出なくてなぁ、あーよしよし……」


 おっぱいの出の悪さに癇癪を起し泣く私に、母親は申し訳なさそうな表情で謝る。

 私も困らせるつもりはないのだが、吸っても吸ってもお乳が少ししか出てこないのだから仕方がない。別に泣こうとしているわけではないのだが、体が勝手に泣いてしまうのだ。

 言葉を喋れるとコミュニケーションが取れるのであろうが、今の赤子の状態では発声器官も未発達で、泣くことでしかコミュニケーションが取れないのだ。諦めてもらうしかない。


 ちなみに今生での私の名前は、トーリと名付けられたようだ。上の兄がリード、下の兄がカーズ、姉がマリー、父と母の名はまだ不明である。兄も姉も、お父さんお母さんとしか言わないし、両親も、お前、あんた、と言っているので不明なのだ。

 まあそのことは置いておく。


 でもこのままの状態が続くのは非常に危険だ、と考える。

 ある程度我慢しようと思えばできなくはないが、赤子にはそれなりに栄養が必要だ。体の成長も早いし、魔法の訓練にもエネルギーは必須なのだ。このままでは栄養不足で衰弱死してしまう可能性もある。どうにかしなくては、と考えるが、今の赤子の私に何ができるだろうか。そう、何もできないのだ。早速のピンチである。


 生まれて早々命の危険を悟る私だった。




 それからまた数日して、母親のおっぱいが完全に出なくなった。

 母親は生まれたばかりの私が衰弱してゆくのを見て困り果て、苦肉の策として穀物をすりつぶし、粥状にして炊いたものを与えてくれた。

 なんの穀物かは分からないが、それは少しドロッとしていて青臭く、まったく味がない。不味くて思わず吐き出しそうになったが我慢して嚥下した。おっぱいが飲めない以上、違うもので栄養を補給するしかないのだ。贅沢は言っていられない。餓死するよりはましだ。

 今死のうものなら転生魔法を掛けた事すら無駄になる。今の私の魔力量では、再度転生魔法を掛けることも当然できないので、不味くても我慢してでも食べなければならないのだ。

 相当渋い顔をして飲み込んでいる私を見て、「トーリは偉いねぇ、偉いねぇ」と言っている母親を恨めしく睨む私だった。


 なぜこんな極貧の家庭に生まれてしまったのだろうか。

 生まれるところは選べないとは分かっていたが、ここまで酷いと誰が思うだろうか。

 裕福な家庭や貴族の子供として生まれたい、とまで考えなかったが、ここまで極端な所はないだろう。転生魔法というインチキを使った罰か? と、まるで罰ゲームのようだと思うのだった。

 せめて普通の家庭に生まれたかった。そう思う今日この頃である。

 それでも今後ののんびり人生の為には、ここで死ぬわけにはいかないし、絶対に生き残るより他に道はないのだ。頑張るしかない。


 こうして美味くない粥を啜る毎日が続くのだった。





 そしてまた数日が過ぎた。

 穀物の美味しくない粥を食べるのも慣れはじめた頃、母親も働きに出ることになった。とはいえ赤子を部屋に置いておくわけにもいかないこの状況で、母親が働くには、当然私も外に一緒に出ることとなる。

 まだ首もすわっていない私の背中には、やわらかい板状の何かが差し込まれ頭を支え、そして母親に背負われ一緒に仕事場に行くことになったのだ。働かなければ食べることもままならない。ここはそんな窮状なのだろう。


 案の定、この家は農家だった。

 季節は夏になる頃だろうか。家の外に出ると幾分気温が高く、少し汗ばむ感じだ。こんな時期に生まれたばかりの子供を炎天下の仕事場に連れてゆくとは、なんと酷い親だろうか。そう思うが、貧乏な家ではこれが普通なのだろう。


 まだ首が動かしづらいが、少しだけは動く。

 その視界にとらえた畑は、とても貧相だった。土地はそれほど狭くはないが、作物の育ちが良くない、と一目でわかる程に荒れている。

 雨が少なく干ばつが続いているのだろうか? それとも土壌の栄養が少なくなっているのか? 原因は分からないが、生育の悪さはいかんともしがたいものだった。私の素人目にも作物の育成がうまくいっていないことが分かるほどだ。


 そんな中、家族は汗を流しながら働いている。

 木の根を掘り起こし新しく畑を開墾する父と兄二人。畑に生えた雑草を取る母と、まだ幼いながらも一生懸命手伝おうとしている姉。少しでも品質の良い作物を収穫できるようにと必死になっている。


 ここで疑問が頭をもたげる。

 前世では、ここまで貧困に喘いでいる農家は少なかったのではないかと思う。他国には確かに貧困に喘いでいる国もあったが、それも徐々に解決していたはずだ。そんな貧しい国にも裕福な国が援助の手を伸ばし、私が死ぬ頃には概ね世界は安定し、人々が餓死するような地域は少なくなっていたと思う。農家の待遇も改善され、作業効率も上がっていたはずだ。


 干ばつが続いているところには、魔導師を送り込み、雨を降らせ、土壌に栄養が不足しているようなら、土壌改良剤のような肥料も国で配布していた。各国も安定した食糧供給のためには、その辺りの支援は惜しまなかったはずだ。

 雨を降らせる魔法も、肥料も、食糧事情の改善の為に私が簡単にできるように研究したのだから間違いではない。

 

 何故なら、農家が貧困に喘ぐようでは、国の食料確保もままならないから、である。

 その辺りは、私も協力し力を注いで法令化までしたのだから間違いない。

 一昔前までの民をないがしろにし、貴族優先の法令では、国が衰退してゆくのが目に見えていたからだ。貴族ばかりでは食物は生産できない。食料を生産するのは「民」なのだから。


 それに戦争が起こる要因でもある。隣国の土地を奪うことで食糧確保が容易い、といった幻想に取り憑かれ、不毛な戦争を引き起こす要因を生む。しかし戦争を起こすと、より一層民は苦しみ、そして一次産業(農業、酪農、漁業など)の生産性も自ずと低下してゆくのである。戦争は悪循環しか呼ばないのだ。

 故にその辺りを改善するように、平和な世界を作ろうと尽力したのである。

 ここまで厳しい環境の農家があるとは、以前の私でも想像もできないほどだ。


 さらに良くよく観察すると、ここの農作業の方法も一昔前の作業風景だと知ることとなった。

 木製の粗末な鍬、錆びた粗末な鎌、鉄屑を研いだだけのようなナイフ、どれをとっても一時代も二時代も昔の農作業風景だ。魔道具の一つもない農作業など、前世では見ない風景である。

 畑を耕すのは確かに鍬も使うが、鍬の部分は金属製のものを使っていたし、最近では魔導耕運機なども開発され、順次農家に広まっていた。ここまで時代錯誤な農作業風景など見たこともない。


 もしかして、その辺りが改善されていない国に私は転生してしまったのだろうか。

 最果ての地や離島などの、隔絶された地に……。



 この先がとても不安になる私だった。

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