第5章「白紙の手帳」その12


自分の部屋に入った僕は鞄を床に置いて、



机の下にある二、三年前に買った漫画を読み始めた。



止まることなくパラパラとページをめくることができる。



だって別に特段に興味があって買ったわけじゃないのだから。



中学のころなんて漫画かゲームくらいしか



友達と話すネタがなかったから仕方がなくだ。



あのころは漫画は読んでは、



絵が下手くそだな、伏線を回収できていないよな、



と漫画家の粗を楽しく馬鹿にしていたものだが、



今ではそれがわずかながら無責任に感じるようになった。



僕は批判ではなく、悪口を楽しんでしまったのだ。



表現の自由とは悪意が混じった瞬間、



それは自由とは名ばかりの人間のエゴと成り果ててしまう。



僕はそのエゴを悪い方向ばかりに使用している。



自らの興味に沿って買ったことが一度もないから



マイナーなものではなく、いかにもな王道しか手元にはない。



それは自分のアイデンティティというものが欠落している証なのでないか、


と不安になった。



しかしそれをよそに久方ぶりに読んだ少年漫画はなかなか楽しめた。



ここ最近、この世の複雑さにうんざりしている僕にとってはいい現実逃避の手段となった。



こんな自由な世界があったらな、と頭の中で期待と妄想をかりたててくれた。



正義や仲間、努力、聞いていて格好いいと思えるものばかりだが、



自分が言ったものと考えると恥ずかしすぎる。



あぁ、まただ。



フィクションだというのに自分にあてはめてしまうのは悪い癖だ。



いやだからこそハマることができるのかもしれない。



三十巻もある漫画を一気に読むことにした。



久しぶりに自分のしたことで頭にアドレナリンが分泌されているのを感じた。



そんなわけはないとわかっていたのに。



日が沈み、母親に呼び出されるまで僕はひたすら絵と文字を追い続けた。



おかげで今日の平木、文田との出来事も頭の片隅に追いやることができた。



それに同乗したのかはわからないが食事のときに母親に指摘されるまで、



昼食を食べることとすりむいたひざの治療を忘れていたことに気づいた。



忘れたことさえ、忘れてしまったのだ。

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