1-2

 転がるように坂道を駆けた九条が男に追い付いた。十字路の手前のコインパーキングの前で逃げ惑う男の腰に九条の屈強な腕が伸びて男の体を拘束する。


『離せよっ!』

『やましいことがないなら刑事と目が合っても逃げることないだろ?』


 男はまだ暴れていた。見たところ二十代前半の、やけに香水の匂いがキツイ男だ。

彼らに追い付いた美夜は息切れをさせて膝に両手をつく。


「九条くん足速すぎ。元サッカー部エースの称号は伊達じゃないね……」

『おう。コイツどうする? 念のため身元確認だけはするか?』

「そうね。君、家か職場が近くにあるの? この辺りの道に詳しい人の走り方だったけど」


九条に両腕を拘束されてようやく観念した若年の男は目を見開いた。図星のようだ。


「野次馬をしていたのならあのガード下で殺人事件があったのも知ってるよね。殺されたのはこの付近に家がある君と同じ年くらいの大学生。被害者と君はもしかして顔見知り?」

『ふぅん。美人で頭もキレる女刑事か。最高じゃん』


 美夜をじっと見据えていた男は急に口元を上げてへらへらと笑い出した。まなじりを上げて男を睨み付ける美夜は無言で男のパーカーのポケットやジーンズのポケットを探る。


高級ブランドのロゴが尊大に主張する財布に入っていた免許証の氏名は伊吹大和、生年月日は平成9年11月19日。

免許証の住所は港区浜松町一丁目となっていた。


『浜松町? お前、家が近所じゃなかったのか?』

『実家がここなんだよ。こっち帰ってきたら昇の母ちゃんがうちに来ててさ……それでアイツが殺られたって知って……』

「やっぱり。被害者と面識があるのね?」


 思わず増山昇の名を口走ってしまったのだろう。大和は目を泳がせて口をつぐんだ。

へらへらと笑っていたかと思えば不貞腐れて黙りを決め込む。精神がまるで子どもだ。


『被害者と面識があるならこのまま帰せねぇな。警視庁まで来てもらう』

『は? ヤダよ離せよっ!』

『抵抗すると公務執行妨害になるぞ。おとなしくしとけ』


 さっさと歩けと叱咤する九条と背中を丸めて気だるげに歩く大和の後ろ姿は親猫が子猫の首根っこを捕まえて連れ行く様子に似ている。

道に並ぶ家々からやけに子どもの声が聞こえると思えば、今日は日曜日だった。


 時雨心地しぐれごこちの空から秋風が降りてくる。

この曇天も九州に近付いている台風が呼び込んだ低気圧だ。本州への台風上陸は今のところはないようだが、美夜の横を通り抜ける風は秋のぬくもりを感じない、湿り気を含んだ不吉な風だった。


        *


 警視庁に連行された伊吹大和は被害者、増山昇の古くからの友人だった。増山の実家と大和の実家は同じ地区にあり、あろうことか彼の父親は東京弁護士会の副会長を務める伊吹啓太郎。


伊吹弁護士は過去に警察が逮捕送検、検察が起訴した事件を裁判で何度も不起訴に逆転している。警察としては因縁のあるやり手の弁護士だ。


『あの伊吹弁護士の息子とはお前らも厄介なカード引いて来たなぁ』

『すみません。まさか弁護士会副会長の息子だとは思わず……』

「だけど友人が殺された現場から逃げるってことは後ろめたいことがあるんですよ」


 応接室の隣の覗き窓から中の様子を窺う美夜、九条、杉浦は、三者三様の困惑の表情を浮かべた。ブラインドの隙間を通して見える伊吹大和は応接室のソファーで悠々と過ごしている。


彼が在学する大学は港区に所在する有名私立大の東桜大学。独り暮らしのマンションは港区浜松町のタワーマンション。父親の権力と財力を存分に誇示して生きている典型的なボンクラ息子だ。


『杉浦さん、増山昇と伊吹大和には前科がありました。しかも奴らが起こした事件が……』


 別チームの刑事、南田康春が持ってきたタブレット端末を拝借した杉浦は二度、小さく首を縦に振った。


『繋がったか。九条、神田。お前達も見てみろ』


タブレットは杉浦から美夜へ。美夜の横から九条も覗き込み、二人はタブレットに表示されたデータを閲覧した。


「望月莉愛って……半年前に自殺したあのアイドル?」

『相当騒がれた事件だよな』


 半年前の2018年3月20日、新宿区内のマンションの屋上から女性が飛び降り自殺を図った。自殺したのは2016年5月にデビューしたアイドルグループ〈Fleurirフルリール〉のメンバー、望月莉愛。

自殺した翌日は莉愛の二十歳の誕生日だった。


 莉愛の自殺の原因はネットに流されたリベンジポルノとそれによる世間からの誹謗中傷だ。


 交際相手の裸の写真や性交動画を相手に無断でインターネットに公開する行為をリベンジポルノと呼ぶ。

私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律(通略はリベンジポルノ被害防止法、リベンジポルノ対策法)が2014年11月27日に施行され、2015年には違反者が逮捕、有罪判決も出ている。


 莉愛の自殺の1週間前の3月14日に衝撃的な動画が匿名のネット掲示板に解き放たれた。1分足らずの短い動画には複数の裸の男に囲まれて喘ぐ望月莉愛の姿が映っていた。


動画に映る莉愛の身体に群がる男は三人。全員が顔にモザイク加工がかけられ、表に出回る動画では莉愛を囲む三人の身元は特定できなかった。

警察は掲示板のプロバイダに発信者の情報開示を要請。突き止めた動画の発信者には警視庁の応接室で寛ぐ伊吹大和と絞殺死体で発見された増山昇の名があった。


『今でも望月莉愛、動画、流出、関連ワードで検索するとネットに動画が流れてくるぞ。サイバー課が取り締まっても追い付かないみたいだ』

『リベンジポルノは一度ネットに流れたら永遠に消えないよな。こんなもので喜んで抜いてる男は同じ男として軽蔑する』

『同感』


 犬猿の仲の南田と九条もこの事件においては意見が一致している。ネットは人気アイドルの性交動画に喜んで飛び付く男達の狂気で溢れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る