第3短編集
阿部2
カーネーション
子供のころ家の中はいい匂いのする植物でいっぱいだった。ぼくは花があまり好きではなかった。自分で買った花は母の日のカーネーションくらいだった。
お母さんは帰ってくるなり芍薬を洗面器に入れてじゃぶじゃぶ洗っている。砂糖をひとつまみ、漂白剤を二、三滴、それから氷を花瓶にいれた。花は日に日に増えて、俳人も混乱するくらいに季節感がなくなり、ぼくは最初に百合が家に来たときトイレの芳香剤の匂いがすると思ってちょっといやだったけど、もう鼻がなれてしまった。
花を持て余しはじめたころ、お母さんは「学校に持っていきなさい」といってぼくに花束を持たせたが、教室にかざるのはなんとなく恥ずかしく、学童保育室に持っていって押し花にしていた。ノートに貼った押し花に思い入れはなく、ぼくはいろんな人にあげた。
お母さんは今日同じトラックと二回もすれ違ったという。お父さんを殺した血に飢えた凶暴なトラックが目撃者であるぼくらを付け狙っているのかもしれない、と言った。あんたも気をつけなさい。
花の蜜を吸いにきたのだろうか、茶色い小さい弱い虫がゴミ箱の裏に大発生していた。ガムテープでぺたぺたやることで退治してあとで水拭きした。
ベランダのプランターでミントは増えて増えて始末にこまるくらいになった。お父さんは完全に凍っているので匂いはしないはずだ。するとしたら腸からはみ出したうんちの匂いかもしれない。でもお母さんはお父さんの匂いを上書きするために家中を草花で満たした。
葬式のときも結婚式のときも、卒業でも病気のお見舞いでも花が欠かせないのはなぜだろうか。それは花が生殖器官だからです、とある人が言ったがなんの理由にもなっていないように思った。
夏休みが開けてぼくは上級生に朝顔の押し花を紙にすき込んだしおりをもらった。前の押し花のお礼だという。ぼくは押し花になんの思い入れもなかった。でも花をもらうのがこんなにうれしいことだとは思わなかった。
帰り道に考えた。お母さんの花を一番に見せてあげなきゃいけない人がいるんじゃないか。
ぼくは冷凍庫を開ける。お父さんは言った。さよなら。
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