86話 不吉な予言

 執拗な追撃戦は翌日も、その翌日も続いた。


 途中で散発的な反撃もあったが、ほとんど戦闘にもならない。

 森の中では人間は憐れな獲物、獣のように追いつめられ、囲まれて殺される。

 人間にできることは盾や鎧を捨て、ひたすら走ることだけだ。


 しかし、一方的な狩りのような展開はここで終わりを迎えた。

 追いつけないのだ。


 必死ということもあるのだろうが、人間たちは持ち前の粘り強さと持久力を発揮し、エルフの里へと逃げ込んでしまった。


 エルフの里は申し訳ていどの柵があり、多数の小屋が建っている。

 これは明らかにエルフの様式ではなく、人間が手を入れたものらしい。


 こうなるとなかなか手を出しづらい。

 相当な数を減らしたが、留守の者を加えればまだまだ数は揃うはずだ。


「こうまで人間が粘るとは誤算だったな。指揮官は凄い統率力だぞ」

「いや、ヤツラはバラけて逃げる先がないのだ。集団に残り、舟で引き上げねば森に取り残される。その恐怖でまとまっているのだろうさ」


 スケサンの分析に俺は「なるほどな」と頷いた。

 たしかに人間が森に取り残されるのは死を意味するだろう。

 こうまで森を荒らしては受け入れてくれる里があるとも思えない。


(しかし、どうしたもんかねえ)


 包囲したエルフの里には少なくとも100以上の人間がいる。

 こちらは倍はいるだろうが、まともにぶつかってはこちらの被害も大きくなってしまう。


「人間を休ませることないっす」

「そうですね、私も決めてしまうのが正解だと思います」


 バーンとコナンが攻撃を主張する。

 彼らはたもとを分かったとはいえ、エルフの集落を占拠している人間が許せないのかもしれない。


「うむ、皆の意見は分かるが、こちらも疲労は限界だな。多くの男衆が傷つき斃れた」


 スケサンはあまり強攻策を望んでいないようだ。

 たしかに味方に疲労の色は濃い。

 攻撃を主張するバーンとコナンの顔にもベッタリと疲れが張りついているようだ。


「なら降伏勧告だな」

「ふむ、初手としては妥当なところだ。このまま包囲を続けるわけにもいかぬしな」


 スケサンが「あくまで初手だ、中の偵察をするのは悪くない」と皆に説明するように口にした。


「まあ、偵察なら仕方ないっすね」

「しかし、降伏といっても条件はどうするのですか? 我らに奴隷は必要ありませんし、かといって無条件では――」


 納得顔のバーンと不満顔のコナン。

 なかなか面白い取り合わせだ。


「条件ねえ、もう来るなっても難しいんだろうな」

「うむ、再戦はあるだろうが、今回は潮時だ。武装解除と即時退去くらいであろうか。ようは敵に逃げ道を示してやり、必死にさせぬことだ」


 スケサンの提案は甘い条件だが、継戦はこちらにも都合が悪い。

 さっさとまとめて帰ってくれれば上々だ。


「ならば私が行こう。降伏勧告など長が出るものではない。あと1人か2人はつけたいが――」

「あ、じゃあ俺たちが行くっすよ」


 バーンが勝手に決めてしまったが、コナンも「同行しますよ」と乗り気らしい。


 あまり緊張した様子もなく3人は連れだってエルフの里に向かう。


(まあ、あの3人ならば囲まれても逃げてくるだろ)


 スケサンはいわずもがな、コナンもヤーラの達者であるし、はしこいバーンも逃げるくらいはするだろう。


「大丈夫かな?」

「先生ならば心配はない」


 ピーターとおとウシカがいつも通りの調子で会話している。

 弟ウシカも防壁を守る留守として参戦していたのだ。


 しかし、この2人は初陣の戦場だというのに萎縮した様子が全くない。

 適度に緊張を維持しつつ、自然体で過ごす姿は歴戦の古参兵のようですらある。


「大した落ち着きぶりだな。2人とも敵はやっつけたか?」


 俺の問いに2人は顔を見合せ不思議そうな顔をした。

 小声で何やらヒソヒソと会話をしているが、なにかおかしなことをいっただろうか?


「ベルクさん、戦では個人がどれだけ倒したとかはあまり関係ないんだよ」

「我らは先生より『目の前の敵に執着するな、視野を広く持て』と教えられたのだ。倒した敵を競ったりはせぬ」


 2人は俺を憐れむような目で戦場の心得を俺に教えてくれる。


(これじゃ、俺のほうが新兵みたいだな……スケサンの子育てはどうなってるんだか)


 ぼんやりと戦場訓を聞きながら俺はスケサンたちを待つ。

 大した交渉ではないし、すぐにまとまるだろう。


(それにしても、ピーターと弟ウシカの話はためになるな)


 何だかんだ、スケサン流軍学をみっちりと聞くことになったのはご愛敬である。




☆★☆☆




 しばらく後、スケサンたちが戻ってきた。

 交渉自体はまとまったようだ。


「うむ、まとまった条件を伝えよう。不満ならばもう一度行ってもよい」

「いや、スケサンが交渉したんだ。これ以上は無理さ」


 スケサンたちがまとめてきた条件とは以下のものである。


・双方の戦闘を停止し、人間の軍は即時引き上げる。

・人間の軍は武装解除する(というより、里の中にロクな武装の兵はあまりいないようだ。武装解除と体裁を整えただけらしい)。

・人間の軍は賠償として物資や食料は放棄する。

・ワイルドエルフの襲撃から守るため、ごちゃ混ぜ里は人間の軍を支援し、護衛する。

・ワイルドエルフほか、森で得た捕虜は解放する。


 ……なんだか色々とまとめてきたものである。


「ふーん、ずいぶん人間が譲歩した感じがするな?」

「うむ、どうやらエルフたちに輸送を執拗に狙われているようだな。それを止めて欲しいようだ。無事に引き上げることを優先したらしい」


 俺は「なるほどね」と頷いた。

 捕虜をとられ、里を占領して好き勝手されではワイルドエルフはカンカンに怒っているだろう。

 ちなみに人間が異種族を捕虜にするとは奴隷にするということだ。


「ま、いいんじゃないか? こちらとしても帰ってくれるなら文句はないさ」

「うむ、里の中には少なくとも150人はいるようだ。ここに駐屯していた軽装の者ばかりだが、無理攻めをしてはならぬ数だ」


 コナンとバーンも異論はないようだ。

 エルフたちを解放するのは彼らへのスケサンの配慮なのかもしれない。


「じゃあ、取り決め通りにやっていこう。エルフのほうはコナンとバーンに任せるか」

「承知しました。ならば捕虜の引き渡しは私が、里とのやり取りはバーンがおこなうとしましょう」


 コナンの言葉にバーンがわざとらしく「おえーっ」と舌を出した。

 実家とはひと悶着あったようだし、気まずいのは理解できる……これはコナンがズルい。


「やっぱり実家の里だったのか?」

「はい……とはいえ、ずいぶんと痛めつけられたようですから里としてまとまっているかは不明です。バラバラに攻撃を仕掛ける可能性もありますし、気をつけましょう」


 スケサンは敵の中に入り、監視兼人質に。

 こちらにも人間側から誰か来るらしい。


「ベルクはその者の相手をせよ」


 スケサンは俺の役割までピッチリと決めて立ち去ってしまう。

 そのまま敵陣に向かったようだ。


「大丈夫だよ。戦いには勝ったんだから威張ってればいいんじゃない?」

「うむ、我らもいるし恐れることはない」


 なぜかピーターと弟ウシカに励まされているが、俺をなんだと思っているのか。


 ほどなくして人間の軍からやってきたのはエルフの男だ。

 ややくたびれた印象のある中年の男、少し体調を崩しているのか軽く咳き込んでいる。


「オマエさんが人質か? エルフとは意外だ」

「いかにも。今回の軍旅を率いるエーリスの代表ピュロン様の家臣ギャラハともうします」


 人間の都市に住まうアーバンエルフなのだろう。

 物腰は柔らかく、いかにも都会的な雰囲気がある。


「和議の申し出、ありがたくお受けさせていただきます。里長のお慈悲と英断に深く感謝いたします」

「堅苦しいのはやめよう。こちらも里の者が傷つくのは耐え難いことだからな。引き上げてくれるならそれでいいさ」


 ギャラハは「ほう」と小さく頷き皮肉げに口を歪める。

 そこで俺は直感的に『コイツは性格が悪い』と理解した。

 コイツの上司ピュロンとやらも心労が多いに違いない。


「長よ、そのご厚意に甘え我々に長のお慈悲をお恵みくださいませぬか」

「なんだ? 武器なら返さんぞ」


 ギャラハは「いえ、違います」と断り、顔を上げて俺と視線を合わせた。

 胆力を感じさせる強い視線だ。


「願いと申しますのは我が主ピュロンと私めの亡命です。我らを受け入れてくだされば――」


 よくよく話を聞けば、ピュロンとやらはかなり本国での立場が危ういらしい。

 敗軍の将が吊し上げられるのはよくある話なので必死なのだろう。


 ギャラハは彼らを援助し、返り咲かせれば人間の世界に影響力を持てるといいたいらしい。


「この里は来るものは拒まないが、政治的な亡命はダメだ。俺たちは平和な暮らしを望んでいる。争いを持ち込むお前らにウンザリしてるんだよ」


 俺がハッキリと「迷惑だ」と伝えると、ギャラハは瞑目し「たしかに」と頷いた。


「ならば仕方がありません。舟でほかにあたるとしましょう」

「ああ、そうしてくれ。争いを持ち込まないなら歓迎するがな。初めに来たコスタスって人間は面白いヤツだった。でも次に来たネストルってのはダメだな」


 俺はわざと話を反らし、雑談に切り替える。

 するとギャラハは特に不満をいわず「ほう、お聞かせください」と雑談に応じた。

 もはや話は終わったというところだろう。


 ギャラハを加えた俺たちは人間の軍を護衛しながら進み、彼らの上陸地点に達した。


 ここにも留守の人間はおり、ばらばらと追いつく者もいる。

 合計すれば300を超える数になるようだ。

 俺は最後まで交戦する選択をしなくてよかったと胸を撫で下ろした。


 結局、ピュロンとは言葉を一言二言交わしたがそれのみである。

 慰めるのは無礼であるし、再戦を誓うわけにもいかない。

 敗軍の将にかける言葉はないのだ。


「もう来るなよ、といっても無駄だろうな」

「心外ですな。我々はもう来ませんとも。ただ、ほかの者は来るでしょうな。人の欲には限りがない」


 ギャラハは不吉な予言を残し、舟に乗り込む。

 俺は「大きなお世話だよ」と返したが、届いたかどうかは分からない。

 戦舟はもたもたと櫂を回して入江を離れていった。


「この入江は放置しては不味いな。ここにも防衛のために里を拓く必要があるだろう」

「そうだな。幸い人間が資材は残してくれたわけだし、家はすぐ建つんじゃないか?」


 当面は疲れ知らずのスケルトン隊を駐屯させ、人が住めるように整備しておくことにした。


「ずいぶん減ったな。負担をかけてすまなかった」

「気にするな。今回の戦いでまた増えるさ」


 スケサンには部下を喪ったことがあまり気にならないようなそぶりを見せた。

 自らが育て上げたスケルトンたちの死が悲しくないわけではないだろうが、彼なりの矜持だろう。


「とりあえずは人間の残していった食料を配らねばな」

「うむ、できるだけ平等にな。戦死者や負傷者の分を忘れるなよ」


 スケサンはそれだけを言い残し、隊をまとめに向かった。


「よし、それじゃ食料をくばるぞ! あつまれ!」


 俺が声をかけると、男衆は歓声を上げて喜んだ。


 何をするにもまず皆を里に帰さねばならない。

 移住を進めるにしても傷を癒し、疲れを取った後のことだ。




■■■■



人間の持久力


人間は遅く、弱い生き物である。

だが、こと有酸素運動、持久力にかけてはズバ抜けた能力を持つといわれている。

これは二足歩行にして重たい頭部を平衝点に近い位置で保持できること。

毛皮を持たずに汗腺を発達させたことで放熱を容易にしたこと。

そして土踏まずのアーチ構造などによるという。

これらにより得られた持久力は繰り返しの長距離走では馬にも勝るといわれている。

太古の人間は脆弱な生き物ではなく、ひたすら獲物を追い続ける執拗なハンターだったのかもしれない。

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