70話 ヤギ人の里

 ずいぶん高い所まで来たらしく、氷のような雪が薄く積もっており、歩くたびにシャリシャリと鳴る。


(こんな所で放牧なんてできるのか? 草もずいぶん少なそうだ)


 俺たちがヤギ人の集落に近づくと、どこからか不思議な音が聞こえた。


「石笛ですね、あそこです」


 コナンが示す先を見ると、少し離れた場所でパコの放牧をしていた男が石笛を吹いているようだ。

 恐らくは里に近づく者がいると仲間に警戒を促しているのだろう。


 すると、笛に応じるようにノーマンが土鈴をカラカラと大きく鳴らした。

 ヤギ人たちと取り決めた合図なのだろう。

 特に大きな騒動もなく俺たちは里に入る。


 頑丈そうな積み上げた石のドームが4つ、その内の1つには小さな穴が底の方に開いていた。

 あれはクソを掃きだすための小窓だ。

 パコ用のドームなのだろう。


 ヤギ人の里には柵もなく、全くの無防備に見える。

 俺たちはノーマンに従い、集落の真ん中まで進み、荷物を下ろした。


 すると、石のドームからヤギ人の老人を先頭に数人が姿をあらわす……ここの里長だろう。

 なんとなく貧相でアゴヒゲだけが妙に長い。


 外で放牧をしていた男たちもパコを引き連れまばらに里に戻ってきた。


「里長よ、こちらは先日の話にでた、ごちゃ混ぜ里の長だ」


 ノーマンが俺を紹介してくれた。

 心なしかヤギ人たちは動揺したようだ。

 警戒されたのかもしれない。


「ごちゃ混ぜ里のベルクだ。今日は頼みがあって来た。これは手土産だ」


 挨拶は短く、とにかく手土産を渡すべし。

 俺が酒の入ったかめや、食料を並べると遠巻きに眺めている女たちから弛緩した気配を感じた。


(どうやら、生活が苦しいのは本当だな)


 ベルからはヤギ人たちは地震で生活が苦しいと聞いている。

 事実、ここに来るまでに崖崩れなどで土地が荒れていた。

 生活の基盤が揺らいでいるのは間違いないようだ。


「ごちゃ混ぜの里長よ、わざわざお越しいただき恐縮だが、いまの我々には里長を迎えるにふさわしいもてなしができぬ。こちらの手土産はお持ち帰りくだされ」


 ヤギ人の里長は厳しい表情で俺からの手土産を拒んだ。

 これは恐らく返礼の品が用意できないのだろう。


 この対応は正しい。

 下手に受けとれば俺の要求を拒めなくなると考えるのは自然だ。


「そうか、だが困ったな。この大荷物を持ち帰るのも骨がおれる」

「ちょっと勘弁してほしいですよねえ」


 俺が愚痴をこぼすと、コナンも意図を察して応じてくれた。

 実際に痛めた肩にはつらい荷物だろう。


 このやりとりを聞いたヤギ人たちは『それならもらってもいいのでは』といわんばかりに緊張感を弛めたが、里長は杖で強くドンと地面を突いて里人を引き締め直す。

 なかなか強情そうな爺さんだ。


「もう知っているかも知れないが、用件はウチの里にいるヤギ人の嫁取りだ。名前はピーター、年は……」


 俺が「いくつだ?」とコナンに訊ねる。

 コナンも「はて、十五にはならないのでは?」と困り顔だ。

 時間の感覚に鈍感な長命種はこんなものである。


「まあ、とにかくヤギ人の若者がいてだな、ヤギ人を妻に迎えたいとの希望があるんだ。なじみのヌー人隊商と所縁のあるこの里でお願いできればと思いお邪魔したわけだ」


 ヤギ人たちは小声でひそひそと相談を始め、里長は目をつぶり、じっとなにかを考えているようだ。


「ごちゃ混ぜの里長よ、話は分かった。だが我らにも誇りがあるのだ。我らに起きた苦難はご存じか?」

「いや、地震でなにやら困っていることは聞いたが――」


 里長は俺の言葉に頷き、地震によりこの里で起きた苦難を語りだした。

 この里は季節により夏、春・秋、冬と季節により山を移動して生活していたらしい。

 夏は涼しい山の上に、冬は標高の低い麓へ、といった具合だ。

 しかし、地震による崩落で冬の居住区が壊滅してしまったらしい。


 地震が起きたのは冬だ。

 ヤギ人たちは大きな被害をだし、断腸の思いで使えなくなった冬の居住区を放棄した。

 いまでは春・夏、秋・冬と2ヶ所を移動し飢えと寒さに耐えながら生活を続けているそうだ。

 牧草地が減少し、維持できなくなったパコを潰しながら生活を維持していたのだとか。

 見れば里人は皆、顔色悪く痩せている。


「分かるかね? 我らにとってこの山はただの土地ではない。どれだけつらくとも、貧しくとも、先祖代々守り続けてきた故郷なのだ。遠く離れた土地に一族の娘を嫁がせ、苦労をさせるつもりはない」


 恐らくだが、里長は俺が来たことで、この件に関してこちらが本気だと察している。

 ピーターがただの孤児として扱われていないことも。


(もうちょい、かもしれない……まあ、よく分からんが)


 俺がチラリとコナンに視線を送る。

 コナンは少し困った表情を見せたが「少しよろしいですか?」と声を発した。


「里長同士の話に割り込むことをお許しください」


コナンが礼儀正しく頭を下げると、ヤギ人の里長は「かまわんよ」と鷹揚に応じた。


「恐らく里長様が考えているような新参者の苦労はごちゃ混ぜ里ではありません。今もなお新たな住民が増え続け、それなりに騒がしく、それなりに折り合いをつけて暮らしております。その数は現在200に満たない程度で、分封も計画されています」


 この数を聞き、ヤギ人たちはどよめいた。

 この里は人が暮らすドームはわずかに3戸、規模が違いすぎるからだ。


「多くの種族が集まっていることは以前から耳にしている。それはごちゃ混ぜの里長があなたのようなエルフやリザードマンの子供をつれてきたことからも真実なのだろう」

「はい、ヤギ人は少ないですが里に根づいています。私の妻はピーターの里の生き残りのヤギ人です。ヤギ人が不当に扱われることは私が許しません」


 このコナンの発言に、場は大きくどよめいた。

 やはり長命種のエルフと短命種のヤギ人の夫婦は珍しいのだ。


「むう、それならばなぜその若者のために外にヤギ人の嫁を求めるのだ? 他の種族を娶ればよいではないか」


 里長の疑問はもっともだが、ピーターには一族復興の志があるのだ。

 そこまで大げさなものではないかもしれないが、ヤギ人と結婚したいとわざわざ俺に伝えたのだ。

 その気持ちは汲んでやりたい。


 そのことを伝えると、さすがの里長も少しほだされたようだ。


「じゃあ、こうしてくれないか? 俺たちの里へ誰かを派遣し、様子を見てほしい。この里の娘を嫁に出す価値があるか否か、その目で確かめてくれ」


 俺はだめ押しに「これらはその依頼に対する報酬だ」と手土産を示す。


(これでダメなら違う里へ向かおう。ピーターに、いやいや嫁いだ妻を娶らせるわけにはいかんからな)


 迷う里長に若いヤギ人が一言二言声をかけ、ついに結論がでたようだ。


「うむ、それならばこのベンを派遣する。ベンは私の息子で唯一生き残った者だ。旅の足手まといにはならぬだろう」


 ベンと呼ばれたヤギ人の男が前に出た。

 さきほど里長に声をかけた若者だ。

 痩せてはいるが精気は失っておらず、働き盛りといった印象がある。


「ベンです。私が同行いたします」

「よろしく頼む。この話がうまく行くように願っている」


 これだけのやりとりではあるが、この場はまとまった。


 里長も俺たちへの警戒を緩め、一晩だけ泊めてもらうこととなる。

 ベンの支度もあるし、日が暮れてきたからだ。

 暗くなってから見知らぬ山道は歩けないので、これは助かった。


 俺たちの手土産をヤギ人の女たちが調理し、ささやかな宴となる。

 質素なものだったが、里人の反応を見るに大変なごちそうのようだ。


 ヤギ人の里は恐らくパコ小屋を除き3戸で21人。

 あの大きさのドームにどうやって収まっているのか謎だ。


(なんなら移住を勧めてやりたいが……まあ、おいおいだな)


 家の中で寝ろといわれたが、さすがに容量オーバーだろう。

 俺たちは簡単なテントを作り、そこで夜を明かした。

 大荷物の中にはこうしたものも含まれている。


 毛皮にくるまってはいるものの、さすがに冬の山は寒い。

 暖をとるために兄ウシカを抱えて寝たのだが、逆に鱗がヒンヤリしており体温を奪われた。




■■■■



ヤギ人の家


石を積み重ねて造るドーム型の建造物。

パッと見は石でできたイグルーに見える。

斜面に造られているが床は少し掘り下げられておりフラット。

中では火が焚かれるが、ほどよく隙間があるために窒息することはない。

ベルクが「どうやって収まっているのか」と不思議がっているが、家も地震で倒壊してしまいキャパオーバーの状態である。

中では身を寄せあってい寝ているのだろう。

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