俺、騎手候補生15歳。美少女に毎日鞭(乗馬用)で叩かせてとせがまれている

タッケ

第1話

「ねえ……お願いがあるの……」

 5月8日午後5時43分33秒。艶やかなショートの黒髪に透き通る様な白い肌。切れ長の瞳を潤ませたクールビューティな美少女に僕、JRA競馬学校騎手課程1年生柏木旭15歳は寮の裏側へ呼び出されていた。

 見目麗しい女性に夕刻人目につかない場所に呼び出されるというシチュエーションは、健全な日本男児なら誰しもが憧れるものの一つだろう。無論自分も長らく憧れてきた男の一人だ。

「な、なんだい我孫子さん……」

 ……のはずなのだが、いざ現実になってみると、悲しいことにちっとも嬉しくない。これから起きることにドキドキはしているが、このドキドキはトキメキとは全く違うものだと確信できる。

「あのね……」

 ずいっと美少女……我孫子由美が迫ってくる。長い睫毛の一本一本まではっきりと見える。

 僕の胸は高鳴る……歓喜ではなく恐怖に。

 何故なら彼女はその右手の綺麗な長い指に…

「叩かせてくれないかな♡」

 鞭、それも乗馬用を絡ませていたからだ。


 ……せめて人間用にしてくれ!


 何故こんなことになっているのか?

 話は一月ほど前、競馬学校の入校式の日まで遡る。

「……説明は以上だ。君たちがこれから足を踏み入れようとしている競馬サークルは常に結果が求められる厳しい世界だということが分かったと思う。だが、3年後に全員揃って卒業し、無事騎手としてデビューできることを教官一同心から願っている」

 千住と名乗った四十がらみの男性教官が淡々と、しかし真剣な面持ちで語る。毎日朝5時起床、年末年始以外の外泊禁止、3ヶ月に1回の技量審査。

 そして何より…転々上限44.1kgという過酷な体重制限!

 入校前から分かってはいたが、いざ現実に突きつけられると本当に茨の道であることを痛感する。これから切磋琢磨していく他の騎手候補生も7人揃って皆険しい面持ちだ。

 そんな僕たちの姿を見て、千住は少し表情を緩めた。

「まあそんなに硬い顔をするなよ、3年間四六時中ガチガチなんて疲れるぜ?馬に乗るには柔らかさも重要だからな」

 先ほどまでとは打って変わって砕けた口調に変わる。その言葉を聞いて僕たちを覆っていた空気も和らいだ。

「それじゃ、3年間を共に過ごす仲間にそれぞれ自己紹介をして貰おう……じゃあ手前の君!」

 ビシィ!とやたらキレの良い軌道を描いて千住の人差し指が僕の脳天を指した。

「ぼ、僕からですね。分かりました!」

 いきなりの展開に若干面食らいつつパイプ椅子を引いて立ち上がる。

「exactly!名前、出身、あとは趣味特技でも話してくれ!」

 ハイテンションに腕をブンブンやたらと高速に振りながらアメリカンな感じで絡んでくる千住。正直ついていけない。というかさっきまで官僚的に規則やカリキュラムについて語っていた人物と同一人物とは思えない。

 とりあえず振り回してる腕が分身して見えたので僕の中でのあだ名は観音に決定した。

 千住観音に背を向け、候補生たちに向かって話し始める。高校デビューならぬ競馬学校デビューがこの瞬間にかかっていると思うと少しばかり緊張するな。落ち着け僕。

「はい柏木旭、15歳。出身は千葉県です。見ての通り男性です……」

 軽くボケたがクスリとも笑いが起きない。4月になったというのに、この教室にはまだ冬が居座っているらしい。よし、ならこれでどうだ!

「特技ですが、家がど貧乏だったため朝は4時から新聞配達、学校から帰ったら年の離れた妹の世話、食事は朝昼晩もやしとパンの耳のローテーションという生活に耐えてきました。ですので……ドMが得意です!」

 満面の笑みで言い放つ僕。直後にシベリア気団が南下して来たのか体感温度は氷点下まで下がった。初日から風邪ひいちゃうよ。

「なるほど、つまり乗るより乗られる方が好きな変態ということだな?」

 右斜め前の席に座ってる短髪を逆立てた男がニヤニヤと尋ねてきた。何て勘違いをするんだこいつは!

「いや、違うから!そういう意味じゃなくて!」

「ほう?じゃあ乗る方が好きなのか?」

「え?うーん……いややっぱり乗られたいかな……じゃなくて!」

 なんて巧妙な誘導なんだ、危うく肯定しかけちゃったじゃないか!この邪悪な策士め!

 いや乗る乗られるってのはあくまで馬の話ですヨ?いかがわしくなんかないですヨ?

「柏木よ、そういう趣味も否定はしないが、あんまりこういう場で開チンするのはどうかと思うぞ?」

 観音が呆れと苦笑の混じった顔で口を開く。はっと平静に帰り周りを見渡す僕。ドン引きしている女子もいる。

 こうして僕の競馬学校デビューは大失敗に終わったのだった。回想終わり。


「で、僕の自己紹介が何だって?」

「だからあの時ドMって言ってたでしょ?ということはこんな美少女に叩かれるなんてご褒美以外の何者でもないじゃない」

 パンがなければケーキを食べればいいじゃないと言い放つマリーアントワネットのごとく優雅に傲慢に言ってのける我孫子。「ドMなら鞭で叩けば良いじゃない」ってか?最悪だなこんな王女。というか女王様だな。そらギロチンになるわ。

「あれはボケだから!滑っちゃっただけだから!これ以上抉らないで!ほんと羞恥で死んじゃうから!」

 もうマジで思い出させるのはやめてほしい。というか自分で美少女って言うのかよ。

「なに?じゃあドMじゃないとでも言うの?どうなのよ?」

「だから違うから!というか何でお前はそんなに僕のことを叩きたいのさ!」

 変態か!という言葉はギリギリのところで飲み込んだ。女性には失礼だからな。我ながら紳士な男だ。

「叩かれて苦悶しながらも快感を覚えて困惑する男の顔を見て興奮するからよ」

「変態か!紛れもなく変態か!」

 顔色一つ変えずにこの発言。僕の中の紳士もお手上げだ、もはや手の施しようがない。この変態が道を踏み外す前に可及的速やかに千葉県警に通報しなくては!

「決して否定はしないわ」

 澄ました顔で言う我孫子。夕陽が彼女の貌に射し込む。まるで絵画のような美しさだ。いっそ本当に絵画なら良かったのに。

「そこは否定しろよ……せっかくの美人が台無しだぜ」

 言葉と一緒に溜息を吐き出しうなだれる。

「……」

 顔を上げると、俯き気味に、先ほどよりも夕陽に染まった我孫子の顔があった。

「どうした?」

 声を掛けるとハッと顔を上げる。そして目を瞑りコホンと咳払い。もとの怜悧な美しさを取り戻したようだ。

「い、いえ何でもないわ。ところで柏木君、君は何故騎手になろうと思ったの?」

「えらく話が変わるね、答えなきゃダメ?」

「答えないならこれよ」

 ニッコリと笑って右手に持った鞭を左掌にポンポンと揺らす。黙秘権はないようだ。どうやらここは国民主権の日本国ではなく女王様の治める王国らしい。

「OK、分かった。正直に話す」

「そう……分かったわ」

 少し残念そうに鞭を下ろす我孫子。そんなにビシバシしたいのね……。

「僕が騎手を目指す理由は金が欲しいから。自己紹介の時も言ったけど僕の実家はど貧乏なんだ」

「そういえばそんなこと言ってたわね。貧乏プレイが好みなのかしら」

「全国の貧乏人に謝れ……。で高校に行かずに働こうかと思ってたら、中学の先生に学費が掛からず、4年後には最低1000万円稼げる学校があるって勧められて……」

「なるほど、それで競馬学校って訳ね……」

「そういうこと。納得してもらえた?」

「ええ……貧乏プレイだなんて茶化してごめんなさい」

 お、少ししおらしくなったぞ?これは良い流れだ。このままドMなどという不愉快な誤解を解かせて貰おう!

「ところで柏木君、一つお尋ねしたいのだけれど」

「あ、はいなんでしょうか」

 弁明すべく意気込んで口を開こうとしていたところで遮られたため、少し間抜けな声が出てしまった。だが、彼女の次の言葉はそんなことを忘れてしまうほど僕にとっては衝撃的なものだった。

「騎手ってそんなに儲かるのかしら」


 一瞬の沈黙。

「は?そんなことも知らないで騎手目指してたの?良い?まず騎手の最大の収入源はレースの賞金なわけだけど、その取り分はうち5%ね。日本国内の最高賞金レースのジャパンカップなら1着賞金3億円だから、600万円貰えるわけ。600万だよ600万。3分もしないで600万よ?キューピーもびっくりだよ。でこれに加えてレースに乗るだけで騎乗手当と騎手奨励金が最低計4万円は貰えるわけ。あ、1レースあたりの話ね。でそれから」

「ちょっと待ってものすごい真顔でまくし立てられて恐怖しか感じないわ。怖すぎるよね?」

 止められてはじめて彼女がドン引きしているのに気づく僕。さっきまでの余裕が嘘のようだ。でも構わず続ける。

「いや怖くない。むしろこんなことも知らないで騎手になろうって君が怖い。これがなろう系ってやつですか?競馬騎手になろうですか?あ、それとももしかして金に困ったことがないから興味がなかった?いやですねー奥さん、これだから金持ちは!」

 まだまだ話し足りなかったが、少し疲れたので言葉を切る。先ほどまでとうって変わって真剣な面持ちの我孫子さんと目が合った。

 そして……彼女は深々と頭を下げた。

「ごめんなさい。柏木君の貧乏と稼ぎたいっていう思いがそこまでのものだとは思わなくて。神経を逆なでするような物言いだったわ。謝ります」

 思わず毒気を抜かれる僕。冷静になると急に羞恥心が湧いて来た。恥ずかしい!

「いや、こちらこそみっともないところを見せちゃってごめん…」

 僕も頭を下げる。そして二人で笑った。

「それで我孫子さんはなんで騎手になろうと思ったの?」


 ひとしきり笑ったあと彼女にも問うた。

「思う存分合法的に馬をビシバシ出来るからよ」

 顔色ひとつ変えない即答だった。なんか良い空気だったのに台無しだよ……。

「真面目に聞いて損したよ……」

「む、私は至って真剣よ。だからこうしてドMのあなたにお願いしてるんじゃない。それと先ほどの君が言ったことの中で一つだけ言わせて貰いたいことがあります!」

 いきなり語気が強まり少しビビる僕。背筋もピンだ。というかドMじゃねーよ。

「私、まだ奥さんじゃないから!」

 は?

「いや、将来的には奥さんになりたいとは思ってるけれど。あ、これは君のって意味じゃないからね!」

「えーとなんの話でしょうか……。」

 彼女の顔はより一層夕焼けに染まっていた。クールに変態だった我孫子さんがゆでだこみたいな変態になってしまった。

「さっき金持ちがーとか奥さんがーとか言ってたじゃない」

 あーそういえば言ったなそんなこと。

「私、彼氏もいないから!ずっと女子校だったし!」

「待て待て誤解だから。あの奥さんってのは様式美みたいなもんだから。慣用表現だから」


 そのあと僕は30分ほどかけて彼女に釈明した。恥ずかしがるポイントのズレは指摘するとめんどくさそうだったので、あえて何も言わないことにした。夜の厩舎作業には遅刻し教官には2人揃ってこっぴどく叱られた。


 これが、僕の人生を大きく変えることになる我孫子由美の「告白」だった。

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俺、騎手候補生15歳。美少女に毎日鞭(乗馬用)で叩かせてとせがまれている タッケ @kazukaz

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