メメントモリ フロム ディキシーチキン 企画
神納木 ミナミ
第2話 恐怖の頭脳改革
2020/01/06 01:48
「猿渡啓介」の書いた名前のない本、○○は呪いの本だと名付けたが、内容は捻くれており、世の中のすべてを見下している人物であろう事はすぐにわかった。彼の文章に何となく引きつけられるのは、世を捨てた男のそれでも、捨て去る事のできない後ろ髪を引かれる感情が、中傷と侮蔑が混じり合った文章に表出していると思ったからだ。
○○は警察に補導された事が何回かある。
深夜に家を抜け出ては、通りを歩き、風俗通りやシャッター街に通い遊び倒していた。隣街は高速道路や鉄道が東西南北に伸びたターミナル的な存在で、大小のビルが数学の授業で習ったヒストグラムの立体図を凸凹にして、地平線の彼方まで方々に散りばめ、圧縮したように並んでいる。
ビジネス街、商店街、映画館などがあるアミューズメント地区、居酒屋、ラーメン屋、バル、お好み焼きのチェーン店などの看板がまぶしい飲食通り、そして、街の悪い部分が寄って集まる裏側には、古びた団地の列が数本建っていて、そこから派手な格好をした若い女性が、香水のにおいを漂わせながら、女に縁の無さそうな中年と手を繋いで出てくる。
あの団地は彼女達の職場だ。
○○にはここの風景はハチャメチャに見えた。
テレビをつけると、ワイドショーの攻撃の的にされるような事がごく自然になされている。そんな場所が非常に落ち着く。倫理の面の皮の下で公然と行われる暴力は邪悪である事を知っている、ここは負け犬と金余りの人間が邪悪から逃れた先にこしらえた城下町だった。
「未成年だな」
それが不良警官と知り会うきっかけになった。
「ガキが女遊びか? いくら持ってる?」
「いえ、一円も。通りがかっただけです」
妙な質問だと思った。どこの学校か、とか家は、両親はと来るものだと思ったからだ。何度もそういう事があり、連れ戻される。それは周囲の視線を変えた。良いようにも、悪いようにも。
「常連なのは知ってる。客は中年や初老の終わった男ばかり。が、金を持ってない男はそれ以下だ。おまえは金もないのに遇されている。どういうことだ?」
「帰りますよ。すみませんでした」
「質問に答えろ。俺は刑事だぞ」
こんな杜撰な職務質問は初めてだ。なま暖かく、腐った胃液とアルコール混じりの臭い息が特徴の不快な男だ。
突き出された警察手帳を見るまでサラリーマンの酔っぱらいだと思っていた。
この時に何を答えたのか覚えていないが、ハーレム入りのチケットをこの男は手にした。手引きしてやった、この男は同じ呪いを共有する男だ。抱えていた呪いを共感できる男だ。
思い返せば潜入捜査や刑事ではなく強請の類だっかのかもしれなかったがそうではなかった。わかる人間にだけわかる臭いがこの刑事の人間性にこびりついていて、呪いの本の著者、「猿渡啓介」にも文章から同じ臭いが感じられた。
「猿渡啓介」は人生のバランスを失っている。そんなときは多少の悪徳が必要だ。俺にはそれが休息で、外でうまくやるために必要な精神安定の作業だ。外の連中は保険の教科書でそれを学ぶ。AVを、雑誌を、友達と、恋人と、すべては同じ行為を指す。
○○は呪いの本が綺麗に製本されている事を奇妙に思う。
裏も表も背表紙も真っ白。印刷は(
誰かがこの本を図書館の棚に入れた。
何のために。「猿渡啓介」本人が図書館へやってきていたのか?
ふざけた本だが、狂った著者の哲学が体系立てられていて、読みやすくはある。「パンとサーカス」の項目では、24時間営業のサーカスで人間が火の輪をくぐらせられる描写がある。まるで「猿渡啓介」が体験したかの如く、臨場感がある。全編に渡り、不気味なリアリズムで貫かれているそれは○○の心を引きつけた。
○○は呪いの本に書いてある「拳銃を購入するためのノウハウ」を実践する事に決めた。最終的な受け取り地が明確に指定されてあり、そこに至るまでのプロセスが「猿渡啓介」本人にコンタクトをとる儀式で、本人が受け渡し場所に現れる可能性があると思ったからだ。
○○は「猿渡啓介」に会いたいと思った。
自分と似た呪いを世の中に見ている同志だからか?
これがいけなかった。
相手が自分と同じ、そう考えてしまう事が泥沼の入り口だった。
頭の中で、ヘヴィメタルの奥の奥、人間の臓器や排泄物がジャケットになっているCDのある曲が頭の中に繰り返し流れている。
そんな世界の入り口へ、純粋な気持ちで向かっていた自分を止めたいと思ったが、そんな妄想もブラストビートの豪雨で記憶から消えた。
これは「猿渡啓介」に変身するための本である事を、過去の俺に教えたらどんな顔をするだろう?
たぶん、笑ってしまう。
笑える事の心地良さが懐かしい。
2020/01/06 03:05
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