第299話 子に託すもの⑪ 父から息子へ
〈ガムドら、大空洞にてタダイと対峙する〉
ガムドは唇を強く噛みしめた。
あの元気だった息子が、まるで魂が抜けたように棺に入れられているのだ。
ギデオンやヒルキヤから聞いたところによると、目の前の神官がその元凶らしい。そのタダイという男はイルモートを復活し、世界を滅ぼすということだが、そんなものが今日の夕飯よりも価値があるとでもいうのだろうか。芋と茸のスープ、香ばしい焼きたての鹿肉、
「神官タダイ、息子を返してもらおう」
「知っていますよ、
「何だと?」
笑顔を浮かべた神官は笑いながら酒杯を祭壇に傾け、赤い液体を降り注ぐ。ガムドはその光景を見て舌打ちをする。先のハドルメ、クルケアンの内戦では多くの人の血が流れた。そしてそれは地下に眠るイルモートの肉体に大地を通して注がれたというのだ。人も、魔獣も、そして魔人すらもこの男が手玉に取り、そして死んでいく。
「先の内戦でアジルという血杯を注いだのですが、彼は上質の酒ではあっても、イルモートに供えるには味が少し淡白なようです。それでも無理に復活をさせようとしたのですが……」
タダイの指がガムドとメシェクをなぞるように怪しく蠢いた。それは神への供物を手に入れた祭祀者の恍惚というべきだろうか、ガムドは自分達が血杯とみなされていることを悟る。
「イルモートの肉体に共鳴しているセトを覚醒させ、父の死ぬ様を見せたらどうなるでしょう。人の子として育ったエルシードに、父が引き裂かれるのを見せればどうなるでしょう」
二人の嘆きが貴方達の血杯を芳醇なものに変えるはずだ、とタダイは穴の底にあって見えぬ天井に向かい手を広げた。そしてセトとエルシャに向かって手をかざす。次第に血色が戻る子供たちを見てガムドとメシェクに絶望ではなく希望の光がともる。
「……メシェク、どうやら先に大空洞にきて正解だったな」
「あぁ、少なくとも私達が死ぬまではエルもセトも無事ということだ」
主神の従者を前にして臆す様子もない父親達をタダイは不思議そうな目でしばし眺めた。だがもとよりヒトを理解しようとも思わず、権能杖を振り上げ魔力の斬撃で足を斬り飛ばそうとする。バルアダンやフェルネスのような戦士でもない限り避けるのは不可能な一撃であった。
ガムドが迫りくる斬撃に向けて
「ただの
あのバァルと戦ったガドと呼ばれた少年が持っていた、イルモートの権能が込められた
「もしや蛇王モレクの権能を込めているのか?」
タダイは舌打ちをする。世界の起点となったあの場所でモレクを姦計にかけ、致命傷を与えたのは自分である。往時の覇気を失いつつあるラシャプ、戦うしか能のないダゴンよりもタダイが警戒をしていたのが大局を見極めようとするモレクであった。故にセトとエルシャを手中にし、アスタルトの家の戦力を割くのだと、モレクを大空洞の
「モレクはアスタルトの家に与したぞ。命を削って神殺しの力を分けてくれたのだ」
ガムドが弾を込めタダイの足元に向けて発射すると、無数の蛇がタダイの足を絡めとった。
「どうした、あの斬撃で蛇を追い払えばいいではないか。足が無事か保障はできんがね」
「舐めないでもらおうか」
タダイは権能杖を高く掲げ、巨大な球体の紫電を発生させる。空気が震えるかのようなその球体を自らに降ろし、そして力を解放した。タダイを中心に空気が割れるような衝撃音が響き、蛇は消え、ガムドとメシェクは弾き飛ばされた。
「あの卑しい蛇王ごときにこのタダイが縛せられるとでも?」
「……モレクが卑しいだと?」
「さよう、爪も四肢もない蛇は獣に憧れ、あまつさえ人のように美を求めた。これを卑しいと言わずして何と言いましょう」
「なら、お前は身を焦がしても憧れるような衝動はないのか」
タダイはガムドの問いに一瞬言葉を詰まらせた。獣を憎み、ヒトを憎む自分に憧れるものはない。だが一つだけ、一つだけあるとすれば、千年の昔まで自分の横にいたあの御方に会いたいという衝動だ。イルモートの力をもって人を殺し、あの御方の魂をヒトから抜き出せばもう一度会えるはずなのだ……。
「どうやらお前にもあるようだな」
「私の思いは高貴な方へ捧げられるもの。獣やヒトと一緒にしてもらっては困りますな」
「その衝動を願いという。願うことは獣も人も、そしてお主とても皆同じではないか」
「その願いを欲望に堕としておいて何を言うか! 世界は貴様らヒトの穢れた思いで満ち溢れているのだ。そのために主がいなくなったというのに!」
自身の想いをヒトと同等のようにいわれたタダイが、怒りのままに権能杖を振り回し、雷と暴風がガムドとメシェクを吹き飛ばした。地面に叩きつけられながらガムドは思う。目の前の男もモレクと変わらない。寂しいから、独りが怖いから誰かを求め続けるのだろう。おそらくタダイは主神を父や母の様に慕っているはずだ。だが、なぜこんなにもヒトとすれ違ってしまうのであろうか。
ガムドは頬や首に流れる血を手で拭い、昨日の昼の出会いを思い出す。そうだ、あの蛇の王とは分かり合えたのだ。ならばこの男とも……。
元老院が開かれる前、ガムドは父であるギデオンに連れられて車輪のギルドの工房の一室にいた。息子を奪還するための武器を渡してやろう、そう言い残してギデオンは部屋を出た。時間がかかっているのだろう、隊商の
「しかし、クルケアンの城壁内にこれほどまでの兵器工房を作るとは、車輪のギルドは戦争をするつもりなのか?」
使い込まれた様子や稼働状況から考えるにこの数十年でつくられたものではない。そして生産される兵器はハドルメとの戦争用としても過剰なほどだ。以前、ギデオンから兵器を譲渡されたときに試作品といわれたものだが、結局は量産品に繋がるものであった。
「ガムド殿ですね。ギデオン殿はまだ時間がかかるとのことでした。……よろしければ案内をいたしましょうか?」
「それはぜひお願いしたい。商売柄、生産されるものについて興味がありまして」
ガムドの目の前に神官が立っていた。この男とも女とも判じがたい美しい御仁は誰だろうかとガムドは思うが、工房への興味が勝り案内されるままに奥の部屋へと進んでいく。
「この部屋は?」
「車輪のギルドの長、カムディ殿しか入れなかった部屋です。時勢がここに至り関係者には見せたほうがよろしいとのことで」
「しかし、ただの倉庫のような、もしくは遊び場のような……」
ガムドはふと思い至る。息子のセトがこのような場所が好きだった。そうだ、これは子供の秘密の遊び場なのだ。古い石机があり、巻き手紙や石板や壁にも落書きが書かれている。
「……四百年前の神殿長とその想い人、そしてその弟分が遊び場にしていたとのこと。まったく監視の目を逃れてこんな部屋を造っていようとは予想だにしませんでした」
「おかしな方だ、まるで当時にいたような言い方をする」
その美しい神官は少し悲しい目をしていたようにガムドは思う。神官が白い手を伸ばし、巻き手紙を渡した。
「この手紙はその想い人が神殿長に向けて書いたものです。他にも神殿長が死の前に書き残した手紙も残っていますが、封印が施されているので本人達にしか開封はできません。ご子息を助けられた後、ここに来るとよいでしょう」
「だからさっきから何を……」
神官の言葉を受けてガムドの鼓動が次第に早くなっていく。なぜ息子であるセトを連れてくる必要があるのだろう。それになぜ息子が四百年前の神殿長であるかのように言うのか……。
「セトがイルモートの転生したものであることは知っているはず。彼の前世は神殿長であった。名はトゥグラト、最後まで私達に立ち向かったクルケアンの英雄です」
「……お前の名を聞こうか」
「蛇王モレク。ただし、この四百年はアサグと名乗っております」
息子を利用して地下に封じ込めた首魁の一人がここにいる。ガムドは腰に付けた
「ガムド、気持ちはわかるが今は手を引け」
「……親父、まさか知っていたのか。知っていてなぜ一緒にいるんだ!」
「一緒にいるだけではない。世界の果てでの戦いでこのモレクの命を助けたのも儂だ」
「何故だ、セトは、セトはこいつらのせいで!」
「セトを助けるためだ。そしてお前を助けるためでもある」
ギデオンは久しぶりに我が子ガムドの狼狽する様子を見た。
「モレクは魂を削ってお前達に武器を渡すとのことだ。子と孫、両方を失うわけにはいかん」
「……」
「儂もお前の親だ。子を救うために命と引き換えにでも、という気持ちも分かる。だからこそこれを持っていけ」
新しい
「だが、モレクよ。なぜ俺たちの味方をするのか」
「数千年生きてきて、ようやく自分以外のことに願いができた。……いやそれを持っていることにアスタルトの家に気づかされたのです。そのお礼ということで信じてもらえぬでしょうか」
「謝罪ではなく、か」
「ええ、私は蛇の王。謝罪はしません。もし許せないというのならここで私を撃ちなさい」
モレクの眉間に狙いをつけたガムドであったが、全てを受け入れようとする相手の目をみてため息をつく。謝罪はしないが罪を受け入れる覚悟はあるということか、そう思って銃を下げる。
「最後に教えてくれ、お前の願いはなんだ」
「バルアダンと我が兄ラシャプの決着を見届けること。そしてある娘が幸せになることです」
なるほど、人のいい親父が
「その願いのために私は一日分の魂を使うつもりです。それゆえ、その弾には私の一日分の魂の力を込めました」
「数千年生きた神だろう、もう少し力を込めてもいいのではないか」
「あと二日となった命、その半分を込めました」
ガムドは驚き、ギデオンを見る。やがて父が頷くのを見てガムドは姿勢をただした。過去は変えられない。未来のために現在をあがくしかないのだ。そしてその未来の半分を目の前の神官は差し出したのだ。親として感謝の言葉をかけるのは当然であった。
「クルケアン
そしてガムドはもう一度驚くのである。そこには頭を下げたモレクの姿があった……。
痛みがガムドを現実に引き戻す。目の前には自分とメシェクに止めを刺そうとするタダイの姿がある。
「タダイ、貴様の願いは人を殺して得られるものだと思っているのか!」
「それ以外ありえるものか」
「それを神が望んだとでも?」
「望みはしまい。これは恨みでもある。残された私の主と世界への怨みだ」
「親の心、子知らずか。数千年かけてわからぬとは哀れな奴だ」
「恐れ多くも偉大なる主を親というか、下種め」
ガムドはメシェクの方を担ぎ、
「足止めはしたぞ、親父!」
その声を聞いた瞬間、タダイは腹部に焼けるような痛みを感じた。神の従者としての力が溶けていく感覚に恐怖を覚える。腹には巨大な槍が刺さり、赤く黒い炎がそこから体を溶かすのだ。
「こ、これはイルモートの神殺しの槍!」
タダイは槍が放たれたであろう方向に怒りの視線を向ける。暗闇から祭壇の魔道具の光に照らされた場所へ、三人の男達が現れた。
「そうだ、儂らが放り込まれたあの時代、イルモートがバァルに使おうとした槍だ」
ギデオンが重々しく告げる。そしてその後ろには
「おのれ、イグアル! 貴様、水の祝福で姿と音を隠しておったな!」
獣のような叫び声をあげるタダイに向けてガムドは
「さて、子が過ちを犯したときは父親がそれを正すものだ。本意ではないが貴様の父替わりに叱らせてもらおう。……少々乱暴ではあるがな」
大空洞の穴底で銃弾が発射される音が響く。
そして倒れたタダイに向けて一同が歩み寄ろうとした時、上方から禍々しい気配が近づいてくるのを感じた。それは神獣に乗った青年であり、本来ならば味方であるはずの者である。しかし最近様子がおかしいとは聞いていた。そして今、彼らはその青年が邪悪な存在に乗っ取られたことを知る。呻くタダイが青年の名ではなくダゴンと口にしたのだ。
「貴様、この機を狙っていたな……」
「哀れよな、タダイ。どうだ、いっそ噛み殺して楽にしてやろうか」
ダゴンに乗っ取られたザハグリムが穴底に舞い降りてきたのであった。
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