第257話 死者の都② 星と人と魂と
〈アバカス、天文台にて〉
「アバカス、アバカスはどこだ!」
「ルガル館長、奴は休暇でクルケアンに行くといっておりました」
「あいつのことだ、まだ館内にいるだろう。儂の許へ連れてこい!」
ルガル館長の声が天文台の館内に大きく響く。僕は面倒は勘弁してくれと裏口から逃げようとするが、そこには天文台の小さな人気者、ティムナが腕を組んで僕を待ち構えていた。最も、僕からすれば笑顔で大人を篭絡する天性の詐欺師と称したいところだ。
「アバカスのお兄ちゃん、逃げても無駄よ!」
「あのねぇ、ティムナ。タラヤさんとお勉強をしている時間じゃないのかい。それに僕は休暇申請もしているんだよ」
「でも、アバカスを捕まえればお菓子をくれるって、ラピド副館長が約束してくれたよ」
「あの腹黒副館長め、自分で捜しまわるのが面倒だっただけだろう!」
「おとなしく降伏しなさい。さぁ、この首輪をつけるのよ。館長室へ連行する!」
僕は竜の巨大な首輪を手にした無邪気な圧政者に屈服した。
「よくきた、アバカス。……ところでその首輪は趣味かね。人生の先輩として助言するが、そのままでは女性に好かれないぞ」
「休暇中の部下を呼び出した挙句に、僕の趣味を勝手に決めつけないでください」
「まぁ、個人の自由だしな。ありがとう、ティムナ。もう君は戻り給え。……ん? どうしたのだ、不服そうな顔をして」
何かを悟ったラピド副館長がティムナの小さな手にお菓子を入れた小籠を握らせると、彼女は満面の笑みで淑女らしい礼をして退室した。そして部屋の外でたむろしている職員に籠を掲げて見せて、笑顔で追加のお菓子を要求しているではないか。職員が次々にお菓子を放り込むところ見ると、僕をどのくらいで捕まえるのか賭けをしていたのだろう。なんて教育に悪い場所だ。彼女が未来の館長にならないことを祈りつつ、現在の館長に向き合った。
「で、館長、何か用事でも?」
「休暇でクルケアンに行くのだろう? 少し仕事を頼みたくてな」
「……天文台では休暇という意味が世間と違うのでしょうか」
「残念ながら、星の運行に比べれば人の営みなど小さなものだ。いやもちろん断る権利はある。どうするかね」
「そんなもの決まっているで――」
僕が言い切る前にフェリシアが館長室に入室してきた。旅装を整えており、はて、彼女は遠方の観測か測量にいくのだろうかと首を傾げる。
「館長、準備できました。あぁ、アバカスも大丈夫なようね」
「フェリシア?」
「彼女もクルケアンに行くのだ。例の未来の世界から来た魔力がどうやら最後にクルケアンに向かっているらしい。その詳細な観測をしに彼女も同行する。現地ではシルリ神官が協力してくれる手筈だ。無論、経費はこちらで持つし、世界の存亡をかけた調査でもある。多少は色を付けるので英気を養いながら仕事もしてくれ」
そういってルガル館長は僕に金貨が入った袋を渡し、耳もとで数語を囁く。恋人、旅行、費用は職場持ち、と。
その言葉で固まった僕と作り笑いを張り付けた館長に対し、フェリシアが不思議そうな表情を向けた。
「どうかしたのですか? 館長」
「いや、何でもない。ではアバカス、行ってくれるな」
「勿論です。お任せください!」
いいように掌で踊らされているのかもしれないが、僕は館長とこの職場に感謝した。ただ何か悪い予感がして、急いで館長室を出ようとする。その僕の背中にいかにも思い出したかのようなルガル館長の言葉が突き刺さった。
「あぁ、ハノンに乗っていくといい。現地では魔獣、もしくは魔人の襲撃に備えねばならんからな。大怪我くらいなら天文台で治療費を出すが、命だけは落とすなよ」
……あぁ、神様、この職場に災いあれかし。
天文台を出ようとすると、なぜか職員のみんなが集まって、手を振って送り出してくれた。
「こんなに好意を向けてくれるなんて……。みんな変なものでも食べたのか?」
道中、職場の善意を信じられなくなった僕はフェリシアに疑問を投げかける。
「前回の観測ではアバカスは大活躍したでしょう? 少しは羽を伸ばしてこいってこと」
「それにしては、命の危険があるんだけど……」
「向こうではシャマール様が護衛をしてくれるんだって。ルガル館長はそのあたり配慮をちゃんとしてくれる方よ」
「配慮? 配慮かぁ」
「……私も同行させてくれたしね」
「ん、何?」
「何でもない! アバカス、あなたに言いたいことがあるのだけれど……」
「う、うん」
「その首輪、おしゃれにしてはどうかと思うの。恋人として恥ずかしいわ」
「あ、つけたままだ! みんなが温かくも可哀そうな目で見ていたのはこれか……」
「ほらほら、ハノンが僕の首輪を取るな~って顔をしているわ。早く鞍をのせて、クルケアンに向かいましょう」
ハノンが上機嫌で空を飛んでいく。しかし、地上では馬と人の死体を時折見かけるのだ。王が帰還後、残ったサリーヌ王妃の体調が悪化し、ギルアドの城で療養を始めた時から盗賊が村落に襲撃をかけるようになった。シャプシュ将軍らはクルケアンの反体制派の貴族が裏で糸を引いていると考えている。
魔獣もそうだ。魔獣は不定期にクルケアンの襲撃を行うようになり、クルケアンの北側には防御用の堅固な城壁が作られていく。ハドルメの民はその巨大な壁を見て、自分達を拒絶するような山に見えてしまうのだ。王のいた時の和平に従い、魔獣が出ればハドルメ騎士団が飛竜を駆って撃退するのだが、それも片務的なものと捉えてしまう。時代が悪くなっていくような空気を誰しもが感じていた。
「あれを見て、誰かが魔獣と戦っているわ!」
「あれはロト? ハノン急いでくれ!」
アスタルトの王子であったロトは、王の帰還後単独で魔獣狩りをするようになった。ハドルメからも距離を置き、ただひたすらに強さを求めているらしい。助けられたクルケアン、ハドルメの民も多く、英雄視する人もいるほどだ。
「ロト、加勢するぞ」
その勇ましい声は残念ながら僕のものじゃなかった。二体の巨大な飛竜が突如として現れ、大剣と槍の一撃とで瞬時に二体の魔獣を屠ったのだ。
「オシール、シャマール! 邪魔をしないでもらおう」
「おぉ、ならば残り三体、見事に仕留めて見せよ」
「兄さん、助けに来たのではないのですか。これは訓練ではありませんよ」
ロトは黒龍のハミルカルを見事に御して、一体を竜の牙で魔獣の首を捩じり切り、もう一体を自身の槍でその頭蓋を穿ち倒した。残る魔獣はハミルカルがその強靭な爪で空中に放り投げ、落ちてくる速度を利用してロトが長剣で払い落とす。たちまちに三体を屠った少年にオシールは恐れ入ったとばかりに肩をすくめた。
「なかなかやるではないか。そろそろ俺も手合わせで負けるかもしれんな」
「ロト、見事ですが、オシール兄さんのように一撃に重きを置きすぎます。敵が反撃すればその隙をつかれますよ」
「倒せばいいんだ、そうだろう、オシール?」
「その通りだ。命のやり取りこそ戦士の本懐よ」
「兄さんは戦士ではなく騎士団長でしょう! やれやれ、兄さんはもう諦めるとして、技と力の均衡の取れた戦い方をロトに師事してくれる人がいればいいのですが……。あぁ、アバカス殿、お待ちしておりました」
「……助けに来たつもりが、何もできなかったなぁ。皆さま、お久しぶりです」
「アバカスの助けなんていらないよ。俺は付近に魔獣がいないか探索してくる」
「ロト、夕方になったらティムガの草原の丘に来い。相談したいことがある」
「何だ、騎士団への勧誘はもう無駄だぞ。俺は独りが性に合っている」
「王妃と弟のことだ」
「……分かった」
王妃の体調が悪化したのだろうか。今あの方を失えばハドルメとクルケアンの争いは加速していくだろう。やはり王が必要なのだろうか。それとも、どちらかの民がいなくなればいいのだろうか。
「では兄さん、私はアバカス殿らをハドルメの大使館にお連れします。夕方に会いましょう」
「あぁ、神殿に潜む魔人に気をつけてな、シャマール」
ハドルメの大使館はクルケアン下層の西の端にあった。
「ずいぶんと遠いでしょう。ハドルメから距離が近い北壁の一角を、飛竜の休憩所も兼ねて希望していたのですが、反対側に回されました。要塞化している北側には入れたくないらしい」
「……もしや戦争が近いのですか?」
「はい、ですが上層部の貴族とは敵対しても市民はハドルメの味方です。王の意思を継いだ車輪のギルドにより都市建設の恩恵を彼らは受けていますから。それにハドルメ騎士団が魔獣討伐しているのも好印象なようです」
故に、貴族が大規模な出兵をしようとしても、徴兵された市民が従う筈はないのだとシャマールは言ってハノンを見た。穏健な彼は口に出すことをしないが、ハドルメは友人である竜を乗騎として使うようになっている。軍事力的にもクルケアンが勝てるはずはないのだ。
「あぁ、シルリが来ました。アバカス殿、改めて紹介を。彼女が私の婚約者のシルリです。シルリ、こちらは天文台の英雄アバカス殿とその婚約者のフェリシア女史です」
「英雄ではありません! それにこ、婚約って」
「おや、これは失礼を。ラピド副館長からはそう伺っていて、遂に結ばれたのかとこちらも喜んでいたのでね」
鼓動が早くなるのを感じながら、横目でフェリシアを見る。わずかに頬を朱に染めているが落ち着いたものだ。自分一人が意識をしているようで何だか気恥ずかしい。婚約についてはラピド副館長やティムナからせっつかれているが、もう少し心の準備が欲しいところだ。シャマールはそんな僕を見てふっと笑い、肩を叩いて本題を切り出した。この目の前の貴公子然とした態度を取れればどんなに良かったことか。しかしこれは平々凡々な容姿を持つ男のひがみでしかない。
「では、シルリ、あなたが感じた魔力の流れを説明してください」
「北の湖の魔力ですが、確かに発生した量は多かった。しかし、励起した割には少ないとみています。北の湖に魔獣の材料となる人間を運ぶ手間を考えると、未来の世界の魔力がクルケアンに伝わり、その魔力で魔獣を生成、天と地の狭間を利用して北の湖に魔獣を移動したのが正しいのでしょう。実際、私が捉われた時にも湖ではなく、地下に連れていかれた感じでした」
「では、その仮説を証明するために僕達は観測すればよいのですね」
「はい、具体的な証拠を示せず申し訳ないのですが」
あの時、僕が見た少年たちは、彼らの背後にあった星と大神殿の位置からクルケアンの灯台付近の城壁にいた。他世界と同じ場所で繋がっていたわけではないのだ。ならばその場所へ行って湖との位置関係を調べるべきだろう。
「了解しました。明日の夜はあれから二回目の満月です。思い至ることがあり、岬の灯台で観測をしたいと思います」
「ありがとうございます。詳細は夕食の後にでも打ち合わせをするとして、明日の昼まではごゆっくりとお休みください」
フェリシアはシルリとすぐに仲良くなり、小鳥がさえずるようなにぎやかさで庭園でお喋りを始めている。彼女の適応力の高さを羨ましく思っていると、シャマールが葡萄酒と
「大使館の中に図書室ですか。無骨一辺のハドルメにはめずらしい」
「実は私は武よりも文官が向いていると思っているのです。それで本を集め、何時でも閲覧できるよう自分の私室をここに用意しました」
もっとも、本に囲まれていると賢くなるような気がするだけかもしれませんが、といってシャマールは肩をすくめる。
「魔獣の騒ぎが落ちついてからですが、ハドルメの書記官になっていただけないでしょうか。書類の整理作成や記録だけでなく、星を見るように、人の大きな動きを数字や、市井の空気から読んで政策に関わっていただきたいのです。シャプシュ殿、ラメド館長にも推薦されています。アバカス殿は星と人の未来、その両方を見れる人材だと」
……ルガル館長がこの出張を勧めたのは、そういう背景もあったのか。未来を創り、あの子供たちの世界につなげていくことは確かにやりがいのあることだった。
「良いお話、ありがとうございます。少し考えさせてもらってもよろしいでしょうか」
「勿論です。館長からは婚礼の宴会は天文台で行うので、書記官就任はそれまで待ってほしいと言われています。……しかし、こちらは構わないのですが、フェリシア女史をあまり待たせるのもいかがなものかと」
ルガル館長の時間と場所を超えた攻撃に、僕は葡萄酒を吹き出してしまう。星も人も周りの環境によって無理やりに動かされているのかと心中で慨嘆する。やがて政治の話は王妃の健康問題に転じ、シャマールは深くため息をついた。
「王妃の余命は幾ばくも無いでしょう。王の帰還をその魔力で支え、残った力もクルケアンとハドルメの和平のためにと、日々政務をとられているのです。私としてはアドニバル王子と幸せな時間を過ごしてほしいのですが……」
「無責任な物言いですが、過ごせばいいのではないでしょうか。何かできない理由でも?」
「この場所でもお話しすることはできません。どこに反体制派の貴族がいるかもしれないのです。オシール兄さんがロトを草原に誘ったのも間者を意識しての事です」
「ならば、こうすればよろしいでしょう」
僕は水の祝福の力を取り出し、薄く魔力がこもった水膜を二重に張る。外側の膜には声の振動と逆に震えるようにしているので声が漏れる心配はない。
「祝福をお持ちでしたか! 流石にルガル館長が見込まれることはある」
「今まではこの力を使うことにためらいを覚えていました。人の欲で利用されることが怖かったのです。ですが、そろそろ覚悟を決めました」
「ならばお話いたしましょう。王妃はその身を封印するつもりなのです」
「封印ですと?」
「ええ、王や王妃の言葉に拠れば魔獣化は避けられぬ由。しかし未来においてはその記述はなく、忘れ去られているようなのです。王妃は魔獣化を防げるなら良し、防げない場合はその時に最後の力を振り絞って抵抗し、歴史の真実を見極めるおつもりです」
「何と……。どこまでも民の事を考える御方だ」
「まさに聖女と呼ぶにふさわしい。しかし、その王妃の気がかりがロトとアドニバルの安全でして、王妃あって民無きアスタルトの国が、その血脈でクルケアンを支配するのではないかとクルケアンの貴族は考え、ロトとアドニバルへの襲撃を企んでいるのです」
自分が支配するのは構わないが、他人に支配されるのは不愉快な連中が、考えも政策もなしに排除に動いたということか。
「ハドルメの民への襲撃もあり、カルブ川の上流の村落に秘密裏に彼らを移し、ロトを中心に防衛をさせるつもりです」
「しかし、幼いアドニバルはともかく、ロトとハミルカルは目だってしまう。敵の注意を引きつけはしませんか?」
「ロトには偽名を名乗らせます。護衛のハドルメ兵も同じ年ごろの男女で固め、村の自警団として活動をさせます。ハミルカルは賢い竜ですので、近くの森林で暮らし、急時には駆け付けてくれるでしょう」
その夜はあまりにも星が綺麗なので、貴賓室の露台にフェリシアを誘う。光がこぼれ落ちそうな夜空の下で、僕たちは宝物を発見した子供のように慌てて観測器を持ち出し星を見る。どうやら少し興奮しすぎたらしい。騒ぎを聞いて軽食を持ってきてくれたシルリさんに少し呆れたように笑われたのだ。でも仕方ない。観測官の悪弊か、それとも生きがいか、星空をみると心が躍っていまう。
「フェリシア、女性って強いよねぇ」
「急にどうしたの?」
「いや、最近世界が女性を中心に回っているような気がしてさ。あの星々も女性じゃないかと思う時もある」
「あなたがそんなに女好きだとはね。首輪の趣味といい、これは認識を改めないといけないかしら」
「誤解だ!」
「ふふっ、冗談よ。ちゃんと分かっているわ。シルリさんは命を賭けて魔獣を人に戻す方法を研究したり、王妃も和平のために頑張っていたり、エリシェ様もそれに協力したり、私たちの周りにはすごい人が多いから……。ちょっと妬けちゃうかな」
「君だって命の危険を冒してここに来たじゃないか」
「あなただけを危険な目に合わせたくないから。いや、違うわね。一人で心配して待てるほど強くないの。……もしかしたらみんなそうなのかもしれない。星が輝いているのは探して欲しいし、一緒にいて欲しいからなのかもしれない」
フェリシアはそう言った後、僕の顔をじっとのぞき込む。
頭の中で、腕を組んだティムナが僕を叱ったように思えた。
……ほら、お兄ちゃん、こういう時はどうすればいいのか分かっているでしょう?
ルガル館長がいつものように気難しく、説教しているようにも思えた。
……ほれ、若いの。しっかりせんか。
最後には見送ってくれた天文台の職員が手を振りながら大声で叱咤激励するようにも思えたのだ。
……できないのなら、代わってやるぞ。できるのなら祝福をしてあげよう。
あぁ、ここにいないはずのみんなの想いが明確に再現できる。星の運行も人との関係も、魂の中に刻まれた大切な仲間との語らいも、全ては僕が求めるもので、相手も望むものなのだ。
「ねぇ、聞いているの、アバカス」
「あぁ、聞いている。そしてちゃんと君を見つけているさ、フェリシア」
彼女からの想い、自分の想いを正しく観測する。
そして僕はフェリシアを抱きしめて接吻をした。
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