クルケアン動乱

第219話 欲深きものたち

〈エラム、アスタルトの工房にて〉


「トゥイ、もう遅いから早く上の部屋でお休み」


 僕は長椅子に寄りかかってまどろんでいた幼馴染に声をかけた。都市建設の設計で根を詰め過ぎた僕を心配して側についてくれたのだろう。髪を優しく撫でながら彼女を眠りの国から呼び戻す。角灯ランプの光に照らされた彼女の顔がわずかに揺れ、トゥイはか細い声で僕に語りかけた。


「エラム、お仕事は終わったの?」

「そうだね、もう少しで終わるから……」

「アバカスさんがいっていたでしょう。一日の無理より、十日の継続だって。工房のみんながいるのだから無理をしてはいけないわ」


 トゥイが立ち上がり、作業机に向かったままの僕に上着ストラをかけてくれた。香草を織り込んだトゥイの上着の優しい匂いに包まれて、気負い立っていた自分が幾分落ち着いていくのを感じる。トゥイが僕の肩越しに図面を見て、理想の未来を発見したかのようにその顔を綻ばせた。


「もうすぐ工事が始まるのね。魔力や祝福を用いない、新しいクルケアンの都市建設が」

「あぁ、そうだ。それに薬草園の神薬、神々の二つの杯イル=クシールの水耕栽培もだ」

「アバカスさんを魔人から人に戻せたように、神薬はきっと多くの人を救うはずよ。エラム、あなたはクルケアンの希望なの。だからみんなの為にも無理をしたらいけないわ。それに神薬を使ってあなた自身の病気を治さないといけないことを忘れないで。……私のためにも」


 トゥイの温かい手が僕を後ろから抱きしめる。窓の外の雨音が、いつの間にか彼女の鼓動に取って代わっていく。この熱を、この鼓動を僕は守らなければならない。バルアダンさんのような力もなく、ガドのような勇気もなく、セトやエルのような特別な力もない、普通の人としての僕にできる事は、未来のクルケアンをこの紙の上に表すことだけなのだから。

 首を彼女の方に傾げ、そっと唇を重ねる。


「トゥイ、少し前に一年だけ、僕が神々の二つの杯イル=クシールによって活動できる、この一年だけ君の時間をもらうといったよね」

「……うん」


 角灯ランプの光が隙間風によって陽炎のように揺らぎ、やがて元の形に戻った。どんな風が吹いても、どんな困難が待ち受けたとしても、トゥイがいる限り僕は未来へ続く光を灯し続けることができるだろう。


「訂正するよ、一年どころか、君と過ごす百年の時間が欲しいんだ」

「うん」

「欲張りすぎかな」

「ううん」

「もっと欲張ってもいい?」

「うん」

「アスタルトの家と、クルケアンの民と、アバカスさんをはじめとするハドルメの民、みんなとこれからも過ごす時間が欲しい。僕は自分の欲望のためにこの階段都市を変える」

「ふふっ、まるでエルみたい。右か左か、ではなく、私たちアスタルトの家は全てを総取りしようとするんだから、まるで欲張った悪人のようね」


 違いない、そういって僕たちは吹き出した。彼女の手を取り、上層の学び舎に戻ろうとして螺旋階段を上がった時、露台から大きな音と竜の影が差し込んだ。フェルネス討伐に向かったバルアダンさんたちが戻ってきたのかと思い、急ぎ露台に向かって走る。


「バルアダンさん、ご無事で!」

「バルアダンでなくてすまないな、エラム。バルアダンは、やつの旅団は大穴に消えたよ」


 月光が差す露台には傷だらけのべリアさんとその騎竜、バルアダン小隊のウェルら三人と竜のタニンが憔悴した様子でへたり込んでいた。その時僕は、描いていた未来が崩れ去るのを感じたのだ。


「さぁ、何を座り込んでいるのです! 食事の準備をしますから、早く中に入ってください。エラム、サルマとマルタを厨房に連れてきて! そしてシェバにタファト先生とイグアルさん、ソディ事務長を呼んでくるよう頼んでくるのよ」


 優しかった女神は小さな女将軍となって次々と下知を下す。べリアさんは哄笑し、ウェルたちは目を丸くして飛ぶように立ち上がった。見れば竜すらも姿勢を正している。サラ導師が神殿の奥の院の調査で行方不明となった今、この工房の実力者は彼女であったのだ。


 食卓に麦粥、牛肉の蜂蜜漬けを炙ったもの、干しブドウとパン、暖かい羊肉のスープなどの皿が次々に現れては消えていった。彼らは作法とか建前とかをクルケアンの夜空に捨て去って、服と食卓を盛大に汚しながら食べ物を胃に流し込んでいく。最後の干しブドウをザハグリムという兵士が機敏に掠め取り、それをウェルが乱暴に奪い取ったところで、食事というより食卓上の略奪行はようやく終息を迎えた。

 ザハグリムさんの恨みがましい目をことさらに無視をしてウェルが天と地の結び目ドゥル・アン・キの戦いを話し始めた。


「バルアダンは過去に向かったのか!」


 イグアルさんが天井を仰いで嘆息した。戻ってこれるのかという彼の問いにべリアさんが重々しく頷く。


「オシールは、彼が幼い時にハドルメとクルケアンを治めていた王とその軍隊が突如として消えたといっていた。恐らくこの時代に戻ってきたのだろう。それが明日か、それとも十年後かはわからぬがな」

「べリアさん、こちらから救出することはできないのですか」


 僕は何もできないが、それでも聞かざるを得ない。何か、何か僕にできることを……。そんな僕の焦りをタファト先生は包み込むように肩に手を置いて静めてくれる。


「私の太陽の祝福は道を照らす力でもあります。ガドに私の魔力を込めた魔道具のランプを渡したように、サリーヌにも渡してあります。私とランプを結ぶ魔力の糸は、今は細い線でしかないけれどもやがては太くなるでしょう。その時、彼らの場所と時間が分かります」


 僕とトゥイは歓声を上げた、やっぱり僕らの先生はすごい人なのだ。でもどうやってバルアダンさんたちの場所が分かるのだろう。


「ランプには観測器アストレベを仕込んでいます。エラム、彼らの位置と場所を星々の位置から観測するのです。そして、トゥイ、あなたはクルケアンの王に関する物語を探し出すのです。歴史書からその時代が特定できればエラムの観測の助けになるでしょう」


 あぁ、僕にもできることはあるんだ。それも計算しかできない僕にうってつけの役割が! 崩れた未来が復元していく様を想像し、僕は握る拳に力を込めた。


「タファト先生、居場所と時間が特定したその後はどうするの?」

「……考えはあるのよ、トゥイ。でもまだ不確定なので私とイグアルに時間を頂戴」


 何故かタファト先生の顔にかげりが見えたような気がした。しかし、僕らの先生はすぐにいつもの綺麗な笑顔で大丈夫、と頷いてくれたので僕とトゥイは安心して見つめ合う。


「エラム、そしてタファト導師はいるか!」


 遅れてきた事務長のソディさんが玄関から飛び込んできた。らしからぬその様子に戸惑いながら椅子に座ってもらい彼の言葉を待つ。


「皆さん、落ち着いて聞いてください。まだ公にはされていませんが元老のトゥグラトはハドルメとの戦争を決定しました。一か月後に新設の元老院を開き、その決定を正式なものとした後、ハドルメの駐在員のアバカス書記官に向けて正式な通告を行うとのことです。なんでも此度のフェルネス討伐において、ハドルメが裏で通じており、バルアダン、アナト殿を始め多くの将兵を失ったことに対する報復だとか」

「トゥグラトめ、回りくどい陰謀を捨てて、とうとう強硬手段に出るつもりか。或いは準備が既に整ったということか」


 開戦と聞いて評議員でもあるイグアルさんが浮足立つ。


「べリア殿、準備とは一体? 私は評議員だが、何も聞かされておりませぬ」

「イグアルよ、トゥグラトは上層の評議会を下層に降ろし、新たに総評議会とそれを指導する元老院を作るのだと決めたのであったな」

「はい。しかしそれはむしろ神殿の権限を弱めるものとばかり思っていましたが?」


 元老院の議席は身分別に割り当てられ、貴族に三十席、神殿に十二席、軍に六席、ギルドに六席の五十四席、それに個人として元老の二名と神殿長、ラバン将軍、前回の北伐の功労者であるバルアダンさんとアナトさんが加わり六十議席となっている。しかし、元老のラメドさんは奥の院で行方不明となり、そしてバルアダンさんとアナトさんは天と地の結び目ドゥル・アン・キに落ちて過去の世界にいる……。

 イグアルさんが何かに気づいたように呻き声をあげた後、食卓を叩いて叫んだ。


「もしや貴族の代表は既に神殿やトゥグラトに取り込まれたと? 指導者がいない軍や政治的に弱いギルドを一蹴して、全ての決定権を手中にするつもりか!」


 重く沈み込むような空気の中、一人の男性が震えながら席を立った。ウェルさんの側に在って顔を真っ青にしていたザハグリムさんだ。


「私はカフ家のザハグリムだ。貴族の代表者で件の元老院議員でもある。私が貴族を説得しよう。せ、戦争は否定はしないが、正義の戦いであるべきだ。私はあの大穴でハドルメ騎士団と共に戦った。あんな勇敢で気立てのいい民を討つ必要があるわけがない! だ、だから……」

「だから、あたしとザハグリムで元老院対策をするよ。バルアダン隊長が帰ってきたときに胸を張って自慢するためにもね。バルアダン中隊は目の前の戦いに勝利する!」


 ウェルがザハグリムさんの背中を叩いて、力強い言葉でそう宣言した。苦痛に顔をゆがめるザハグリムさんを見て、可哀そうだけれども皆の顔に笑顔が浮かんだ。目の前の戦いに勝利する。いうなれば目の前の全てに勝利するのだ。


「みんな、アスタルトの家の代表のエルシャに代わって活動方針を伝えます。工房は引き続き都市開発の設計と新たにバルアダンさん達のいる場所の観測を、先生たちはみんなが帰ってこれる方法を探してください。べリアさんとティドアルは護衛として神殿の祝福者狩りから先生たちを守ってください。そしてウェルとザハグリムさんは元老院対策を。アスタルトの家は全てに勝利するのです!」


 そうだ、都市開発も、戦争を止めることも、バルアダンさんやガドが帰ってくる家を守ることも、全てを成し遂げるのだ。なんて僕たちは欲深いのだろう。トゥイや友人と過ごす百年の為なら、どんな困難でも達成できるような気がするのだ。

 抜け目のないウェルがサラ導師秘蔵の葡萄酒を一本、上層から持ってきていた。景気づけに乾杯をしたいとうそぶいている。サラ導師にばれたら後が怖いのだけれど、嫌なことも未来に預けよう。だって怒られるということは再会できるということだから。飲める年齢ではあるけれど、酒は苦手だった。それでも柄にもなく酒杯を掲げる。


「アスタルトの家の完全勝利のために、乾杯!」


 ……翌朝、頭に鈍い痛みを感じながら目が覚めた。周囲には何故か十本以上の高級な葡萄酒の瓶が散乱し、平然と片付けをしているタファト先生とトゥイの姿、そしてその他大勢の呻き声が響いていた。苦悶の表情を浮かべたイグアルさんが同志を見つけたかのように僕の肩を叩き、そのまま床に突っ伏した。

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