第199話 草の王冠
〈バルアダンとバァル、崩壊した神殿にて〉
「人よ、剣を構えろ」
「斬り合う必要があるのか?」
「無論だ。武人が武の神に挑むのだ、何の不思議もない。満足すれば何か褒美をやろうぞ」
「ならば世界の真実を」
「真実だと? ヒトは生きて死ぬ、それ以外に真実などあるのか」
「イルモート神の復活と災厄について、どうすれば止められるか、神ならば何か知っているのではないか」
「何と、この時代でもそのように考える愚か者がおるのか。そしてお主は止める側とな……。ふふっ、興味が湧いたぞ、お主の名を聞こう」
「バルアダン、クルケアンのバルアダンだ」
名を聞いた瞬間、バァルは哄笑する。シャマールより強いという男、そしてあのガドが世界で一番強いと信じている男、会ってみたいと思っていた男が自分の前にいるのだ。
二人の戦士は天井が抜けた神殿でゆっくりと互いに向けて歩き出す。バァルは目の前の男の筋肉、足運びや呼吸を見て満足げに頷いた。成程、やはりシャマールより上か、ならば出し惜しみはすまい。
二人が剣を振り上げた次の瞬間、鋭い刃鳴りと同時に鈍い音が神殿に響き渡った。互いに放った正面の斬撃を二人は眼前で受け止めた。力は互角、ならば技で相手を上回るのみとばかりに斬撃の応酬が続く。剣を引くも同時、踏み込んでの斬撃も同時、そして体をひねるようにして上段から斬り下げるのも同時、二人は互いを驚愕して見やった。
「聞いていた通り見事な戦士だ、バルアダン」
「私を知っているのか」
「勇敢な衛士から最強の戦士だと聞いている」
最強か、べリア然り、フェルネス然り、そして自分もその称号を追い求める。バルアダンはセト達を守るために最強を手に入れたいと思う。目の前の男を倒せばそれが最強、単純で結構なことではないか。バルアダンは剣を強く握りしめた。
苛烈な斬撃がバァルを襲う。雷のような剣勢をもって五合、十合と撃ち合うが、バァルは完璧な防御でもって甲冑にすらその刃を届かせない。そして息をついたバルアダンに襲い掛かるのはバァルの暴風のような刃であったのだ。しかしそれも攻守を入れ替えただけの再現に終わった。
「バルアダン、なぜ最強を目指す」
「弟妹を守るためだ、そのためには神を倒す力がいるのだ!」
弟妹、弟妹とこの男はいったのか。バァルは自分と同じ姿の若者をみて、心臓が跳ね上がるのを感じた。ならば自分の弟妹も託そう、イルモートとエルシードを。
バァルは剣を上段に静かに構えた。欲しい結果は十分に得た。
力も技も互角。ならば決定的な薄皮一枚の差をつけるのは気迫にしか他ならぬ。互いにそう理解した時、崩壊した神殿の屋根から一筋の陽光が彼らの前に差し込んだ。その光に向けて戦士たちは力強く踏み込み、振り下ろす剣の軌道は美しい弧を描いていく。力と死が混ざり合うその光景に、しかしサリーヌは何か温かいものを感じていた。これは只の力比べではない。その証拠に、二人とも笑っているではないか。
バルアダンの剣が両断され、バァルの宝剣はその形を保っている。しかし、彼が身に纏う美しい甲冑には大きく亀裂が走っていた。対するバルアダンは折れた剣を構え、その目は力強く輝き微塵もあきらめた様子はない。バァルがその視線に応え、剣を振り上げようとした時、サリーヌの怒声が響き渡った。
「いい加減にしなさい、二人とも!」
武の神と最強の戦士が身をすくめて直立した。腰に手を当てて自分達に迫ってくる女性を、二人は悪戯がばれた子供の様に待つほかはない。
「バル、今は戦いを楽しんでいる場合とは違います! 皆の許へ無事に帰らないといけないのですよ、あなたが全力を出すのはここじゃないでしょう?」
バァルは可笑しくなって二人を見た。いや、正確にはバァルではない。彼と共存する魂が笑っているのだ。
「武の神バァルよ、貴方もです! 手を見せてください、あぁ、もう竜に戻り始めているではありませんか。早く治療を!」
おや、今度はこちらが叱られる番か、バァルはエルシードに窘められた時の懐かしい気分を味わう。どうやらこの娘は月の祝福を以って手を治そうとしている。
「ナンナの眷属の娘よ、お主の月の祝福では竜化を進めることはできても、戻すことはできぬ。月は変化の権能故、本質には戻せないのだ。印の祝福者でも無理だ。完全復活したイルモートでない限りはな。……もうすぐ再び竜に化すであろう」
バァルの手から宝剣が落ち、また変化していく頭からその兜を脱ぎ捨てた。すでに甲冑は竜の肉体に包まれ半身半竜となっている。
「まったく、そのように貴重な時間を使って何をしているのですか。トゥグラトが印の祝福を持っています。彼の力を注げば少しは……」
「いや、竜の内で私にはすることがある。娘よ、気にすることはないのだ。……バルアダン、ガドの隊長というのはお主だな」
「ガドを知っているのか!」
「あぁ、馬鹿野郎、と初めて人に罵られたわ。おかげで目が覚めた。良い部下を持ったな」
「ガドは何処に、何処にいるのですか!」
「サラという導師がその死の寸前に彼らを転移させた。恐らく元の時代に帰ったはずだ」
「サラ導師が! バァルよ、あなたは一体……」
神殿にてバルアダン、サリーヌ、バァルはそれぞれの事情を慌ただしく伝える。バァルの竜化が進み、人語を話すのさえたどたどしくなっていったからだ。やがてバァルはバルアダンに自らの弟妹を託した。
「イルモートの魂は人として転生する。それを見守るエルシードは転生に合わせて復活するのだ」
自分は竜になり果てた鉄塔兵を救うため、竜の内でその手段を考え魔力を蓄える、故に天界に戻るつもりはない、バァルはそう二人に告げた。そしてエルシードが外宮に精神を置いておく必要はないのだとも訴える。それは神としての権能を、外宮を通じて広寒宮からもたらされていることを意味する。転生するたびにイルモートは人に近づいていくが、エルシードは神のままなのだ。
「バルアダン、お主の時代に弟妹がいれば、外宮にあるエルシードの精神を開放してほしい。イルモートと共に転生や復活をさせず、普通の人として幸せに……」
口が大きな顎に変化し、その目だけがまだバァルのそれであった。バルアダンは最後にバァルに問いかける。
「イルモートは悪戯好きで、冒険好きで、嘘をいっては怒られるが翌日にはすっかり忘れて兄を引っ張りまわすのではないかな?」
竜は頷いた。
「エルシードは、イルモートの悪戯を怒りはするものの、結局は自分も一緒についていって騒ぎを大きくし、兄に苦笑をさせるのではないかな?」
竜は、はっと何かに気づいたようにバルアダンを見返し、頷いた。
「……そして二人とも嘘が下手だ。嘘を言うとき弟は口角をあげ、妹は口をすぼませる」
竜の目から涙が零れていく。
「私の大切な家族だ。セトとエルシャという。武の神よ、兄として誓おう。必ず我らの弟妹を人として幸せにして見せる」
竜は大きな鳴き声をあげ、やがて眼を閉じた。埃が舞う神殿でバルアダンは静かに立ちつくす。神代の終わりであるこの時代にはまだまだ知るべきことがたくさんある。そしてそれを持ち帰り、クルケアンと弟妹を救うのだ。そのためには剣とは別の力が必要だった。
サリーヌがバルアダンの手を取り強く握りしめる。その手から伝わってくる熱は心強さと慈しみを感じさせた。その熱は自分は一人ではないのだと、そういってくれているのだ。
バルアダンはサリーヌを見て思う。異なる時代、世界の何処にいたとしてもこの熱が変わることはない。彼女は知っているのだろうか?彼女のその熱が、自分を自分らしくさせてくれることを。
「バルアダン殿、御無事で!」
トゥグラトやシャプシュ、アナトとニーナが神殿に駆け込んでくる。彼らの後ろには先ほどまで戦っていたであろう黒竜たちが控えており、バルアダンやタニンの様子を伺っていた。
「ティムガの草原にアスタルトの国を正式に建国する。暴虐や支配の為の国ではない。クルケアンとハドルメ、全ての民を救うための仮初の国だ。皆、力を貸してほしい」
シャプシュは感涙し、トゥグラトは得心したかのように顔を上げた。サリーヌが床に落ちていたバァルの兜を差し出し、宝剣を捧げる。差し込む陽光を受けてそれらは光を増したかのように反射し、一同はその威に打たれた。彼らの目の前にいるのは神と人の間に立って民を導いていくという伝説の王であったのだ。
やがてタニンの目が開き、バルアダンに頭を垂れた。黒龍たちが一斉にそれに倣う。トゥグラトやシャプシュ、そしてサリーヌやニーナも静かに跪いていく。
神殿に直立しているのはアナトとバルアダンのみであった。かれらは視線を合わせ、この時代に積極的に介入し未来を変えるための決意を確かめ、深く頷き合ったのだ。
「私は王となり、アナトと共に皆を導こう」
クルケアン暦八十四年、小さな草原の国が誕生する。それは竜と神獣を従え、その威を以ってクルケアンとハドルメに屹立する僅か千人の国でもあり、やがて王の帰還を以って消滅する、草原に花草が生え変わるような短命の王国でもあったのだ。
故にこれより後の時代、人はバルアダンの登極を草の王冠と称することになる。
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