第71話 優しい観測者

〈エラム、入り江の塔にて〉


 あの施薬院の一件から二十日ほど経ち、僕達はようやく日常を取り戻し始めていた。

 星祭りの日の課題のため、僕は計算を書き込んだ蝋板と睨み合う。タファト先生からは古い紙束をたくさんもらったのだけど、それはトゥイに渡してしまった。僕のする計算はひと時、彼女が描く物語は永遠だ。彼女に使われた方がいいに決まっている。

 でもこんな天気がいい日はひと時でも外に出たいと思う。それは煮詰まった計算から抜け出したい逃避でもあるのだけど。


「トゥイ、今日の夜の観測だけどさ、今から行って準備をしておかないか?」

「あ、さては疲れたんでしょう。でもこんないい天気だもの、仕方ないよね」


 休日の昼下がり、怠惰をお日様のせいにして僕達は仕事を放り投げ、入り江の塔に向かう。太陽は暖かく僕らを包み、風は柔らかく鼻腔をくすぐる。トゥイは上機嫌でお弁当を持ち、軽い足取りで僕の前を歩いていた。

 いよいよ明後日が星祭りの日だ。その日、僕たちは十五層の大公園に設けられた観測所で答案を出し、夜の結果まで待つことになる。それまでは口頭試問などをしながら、周囲でお祭り騒ぎが繰り広げられるのだ。


「エラム、優勝候補の噂を聞いた?」

「あぁ、白蛇メレトセゲル見張番アギルマだったっけ? それぞれ有名な導師の学び舎に所属しているって聞いた」

「ふふっ、でもタファト先生の教えを受けている私達も有名らしいよ」

「そうだったの? 自分達の評価は全然知らなかったなぁ」

「いつも空ばかり見ているからね。たまには自分の周りを見渡すことをお勧めするわ」


 そういってトゥイは僕の周りをくるくると回り、しばらくぶりに意識が空から地上に戻る。目を回して倒れそうになる彼女の手を慌てて取り、やはり周りに目を向けるべきだと納得する。古の天文学者が穴に落ちるという話も思い出し、今日の僕は地に足をつけて過ごすことにした。


「興味が身近に向いたのなら、その競争相手と話してみたら? 星から人へ、語る相手を変えるのもいいんじゃない?」

「相手のやり方を聞くって言うのは、規則に引っ掛からないのかな?」

「情報を集めるのも、その集め方もギルドの目的みたいよ」

「う~ん、人と話すのはやっぱり苦手かな。情報のうまい引き出し方なんて、口の上手い詐欺師か、よほどの脳天気な性格じゃないと無理だよ」


 星祭りの日が近づくにつれ、クルケアン全体が活気づいていた。ギルドの依頼という形をとってはいるが、訓練生の試験は市民にとっては娯楽の一つなのである。裏ではこっそりと賭け事も行われているという噂もよく聞く。その日の朝に行われる兵学校の勝ち抜き戦もその一つだ。

 クルケアンの住民は、その日の朝は兵学校訓練生の武技を楽しみ、昼からは職業系の訓練生への試験を見物しながら、どこが的中するか予想して楽しむのだ。社会に片脚を踏み込んだ若者に対しての歓迎の儀式でもあるのだろう。日が沈み、星が瞬くころに広場では踊りが始まり、食事が提供されて訓練生をもてなしてくれるのだ。


「ガドがね、兵学校の勝ち抜き戦、絶対に優勝するって張り切っていたよ。今日もその訓練で集合が遅れるかもだって」

「サリーヌの方はなんて?」


 サリーヌはサラ導師の下で訓練を受けつつ兵学校に所属していた。彼女の意向でもあるのだが、兵学校に所属して月の祝福の後継者ということを神殿から隠すためだとも聞いた。


「……サリーヌは、どうすれば目立たずに勝てるか、って真剣に悩んでいた」

「勝つことは前提なんだね」

「それを横で聞いた時のガドの渋面顔ったら!」

「ま、まぁ、ガドにも勝機はあるわけだから。でも二人がぶつかったらどっちを応援しようかなぁ」


 サリーヌは神殿などに対して目立ちたくはないらしいが、バルアダン隊への選抜の機会はさすがに見送ることはできなかった。


 彼女は兄であるダレトさん、友人であるレビ、そして家族でもあったアヌーシャ隊の仲間の多くを失ってから、レビの部屋にしばらく籠って出てこなかった。そして夜は北壁の露台で死者を悼むように歌い続ける。友人の妹を守るかのように、バルアダンさんがその横で佇んでいた。

 ある朝、部屋から出てきたサリーヌは、目の周りこそ少し赤く腫れていたが気丈に話し始めたのだ。エルが真っ先に彼女のもとに駆け付け、手を握る。


「良かった。やっと出てきてくれたのね」

「心配をかけてごめんなさい。もう大丈夫です」

「これからどうするの? 神殿には適当な理由をつけてさ、わたし達と一緒にいようよ。アスタルトの家は仲間を決して一人にはしないわ」

「ありがとう。エル、みんな。……みんなの親切に甘えて、お願いがあるの」


 セトがお願いと聞いて胸を叩いて前に出る。


「なんでも言ってよ!」

「ちょっと、セト。お願いを聞かずに引き受けるの?」

「えっ、ああ、そうだった。ええと、僕にできることならなんでも。できないことはエルがして、それでもできなかったらエラムや――」


 セトは次々に周りを巻き込んで、お願いを聞く体制を彼なりに整えた。整えられた方は苦笑して頷くしかない。


「失った記憶は取り戻せない……でもやはりダレトが兄さんだった。せめて私はダレトの思いを受け継ぎたい。そのためにみんなの協力が欲しいの」


 ダレトさんと一番深く関わっていたセトが思い至って声をあげる。


「神様の存在証明!」


 僕はどきんと心臓が鳴った。それは僕を助けてくれたあの薬師様の願いでもあるのだ。体調が悪いとおっしゃっていたが、彼はいま無事なのだろうか。


「そう、神殿が崇めているイルモート神は人にとって良き神なのかどうか確かめたいの」


 セトとエルはクルケアンを探検して、過去の神と人の関係に繋がる何かを見つけてくるという。そして僕はトゥイと共に、神様を観測すると伝えたのだ。


「タファト先生が言っていた、大切な人の居場所が分からないから人はお互いの場所を観測をするんだって。神様が人を愛してくれているのなら、きっとその居場所を見つけることができると思う」


 最後にガドが槍を握りしめながら、俺はただ強くなる、と宣言した。


「家族や友人を失くすのはもう嫌だ。お前らが何か大きなことをするのなら、俺はそれを守れるよう強くなる」


 アスタルトの家の仲間がそれぞれの決意を固めた時、僕はもう一つの提案をする。それは気休めかもしれないが、どうしても諦めきれないことだった。


「ダレトさんとレビ、生きているかもしれない」


 驚く全員に対し、誤解を与えないようゆっくりと説明する。


「あの時、僕とトゥイは上から戦況を見ていた。最後に爆発があった時、複数の人影が下に落ちるのを見たんだ。それは目のいいガドも目撃している。そうだね?」

「……あぁ、だがこの高さだ。俺は助かるわけはないってエラムには言ったんだがな」

「もともと巨蛇を追い落とそうとした場所、最下層のごみ捨て場に落ちるはずだ。でもそこを探しに行っても何もなかった。諦めきれるものが、そこになかったんだ」


 あの後、僕はトゥイと共にごみ捨て場を探した。そこに在ったのはダレトさんの短剣だけだった。しかしそれもそこにいた神殿の関係者によって没収されてしまう。


「……坊や、早く帰りなせぇ。何を探しているか知りませんがね、失ったものは返ってはきませんぜ」


 それは義手や義足をつけた、奇妙な一団だった。神殿の関係者にしては腰が低く、周りを気にしすぎている様子なのだ。


「なら、みなさんは何故ここに来たのですか?」

「仲間の死体を回収しにでさ。命は失ってもせめて体は取り戻してやって、ちゃんと身内で葬儀をしないと」

「……青年と少女の死体はそこにありましたか」


 その一団は皆、困った顔をしていた。誰かが何か言おうとするのを、目上らしい男が制止する。それはきっと僕らを巻き込まないようにしたのだと、なぜか理解できた。


「……直にここは立ち入り禁止となりやす。さ、怖い人に目をつけられないうちに帰んなさい」


 そして僕とトゥイは小塔へ礼儀正しく放り込まれたのだった。サリーヌはこの話を聞いて目を輝かす。この一団はサリーヌの家族のような存在で、あの戦いで全滅していたと思い込んでいたらしい。

 

「見つからなかったということは、まだ希望があると考えている。だってこのひと月で僕の常識は変わったんだ。大廊下で星を観測したり、巨蛇と戦ったり……なにより大事な友人と出会えたっていう奇跡を目の当たりにしたんだ」


 僕は息を大きく吸い込み、アスタルトの家がすべきことを提案する。


「レビとダレトさんを探そう。何か理由があるにしろ、レビが僕達と会わないと思うはずがない。できないのならきっと事情があるはずだ」


 みんなの頬が上気し、いつの間にか肩を組んで相談し始めている。エルが僕の提案に乗っかり拠点を作ろうと言い始めた。


「そのためには私たちの居場所を広くして、ここにいるんだって大声で主張しないとね。賞金を稼いで、居場所となる工房を借りてさ、大々的に探そうじゃない」


 エルの提案はみんなの大賛成を受ける。彼女が言うにはもう僕らの部屋の場所まで決まっているらしい。気の早いエルをみんなでからかうが、そもそも工房を借りる資金は星祭りの賞金を充てるのだ。全員がそれに気づいて、互いの気の早さを笑い合う。

 その時、笑い声にまじって嗚咽の声が少し聞こえてきた。その声を辿ると、サリーヌが俯いて涙をこらえているのだ。ダレトさんとレビが生きている可能性、そしてアヌーシャ隊の生き残りがいることを知り、感極まったのだろう。しかし涙は見せない彼女に対して、セトとガドさっそくからかい始めた。

 

「サリーヌは意地っ張りだなぁ。ダレトさんにそっくりだ」

「そうだな、ダレトさんって負けず嫌いでさ。模擬試合の時にレビを踏みつけてもいたぜ」


 サリーヌは顔を上げ、無理をして笑顔をつくる。

 皆はそれを見て、おおいに囃し立てた。だってあまりにもダレトさんの作り笑いにそっくりだったのだから……。



 さて、元気が出た仲間のことを想いながら僕は灯台でトゥイとお弁当を食べている。あれからそれぞれ選んだ道で成果を出すべく頑張っているはずだ。さて、この休憩が終われば僕ももうひと頑張りするとしよう。


「エラム、タファト先生とイグアルさんよ」


 振り向くと灯台に続く入り江の城壁を先生とイグアル導師が歩いてくる。僕らを見て先生は手をゆっくりと振っていた。時々、視界からイグアル導師を見切ってしまうのは、アスタルトの家の構成員として仕方のないことだ。


「ごめんね、エラム、トゥイ。お邪魔だったかしら」

「あれ、先生と一緒にお弁当を食べる機会、私とエラムが逃すとでも?」


 そういってトゥイは笑い、タファト先生らを即席の昼食会に招待する。


「先生達こそ、せっかくの休日を僕たちと一緒に過ごしていいんですか」

「こういう日だからこそ、ゆっくり話せるでしょう。子供と先生がいれば、そこが学び舎ですから」


 そう言って先生は笑った。レビが行方不明になってから見せてくれた、久々の笑顔だった。恐らくイグアル導師が彼女を心配して、ここに連れ出してくれたのだと気づく。


「エラム、観測のことだけど前から進展はあったの?」

「先生の言う通り、視方を変えてギルドの運営側から考えるのは何とかなりそうです。課題だった予想外の発想や見方についてはセトとエルが……」

「あの子達がどうしたの?」

「まじめに考えると思いきや、なぞなぞみたいに二人で盛り上がっていまして。トゥイ、なんて言っていたかな?」

「そうね、輝いている星と輝いていない星、その違いはなに、とか自問自答をし始めたり、光が消えちゃったと呟いたり、エルがクルケアンと見立てて座って、セトが星となって周囲を走り回っていたり、想像以上の予想外の動きをしていました」


 タファト先生はふむ、と考える仕草をして、満足げにうなずいた。そしてギルドの依頼に関することは答えられないけれど、セトとエルの考えを言葉にする手伝いはできるかも、と言ってくれた。


「あの子達はあまりにも感覚的すぎて言語化することができなかったのね。それを抜きにしてもとても大事な発想だわ。イグアル、最初のなぞなぞ、答えられて?」

「輝いている星と輝いていない星か。でも星っていうのは全て輝いているはずだ。違いがあるとすれば……さてなんだろう、トゥイ」

「明るさ!」


 トゥイが叫ぶ。どうやらそれぞれが考えを繋いで言語化するらしい。イグアル導師は頷き、まだその奥があるはず、といって空を指す。


「でもトゥイ、星は昼でも空にあるはずだ。なぜ今見えないのかな?」

「太陽が明るいからです。夜になれば太陽が沈むから暗くなり星が見える――」

「そうだね、さぁ、タファト。君の番だ。星って何だい」

「星は空にあるもの。そして光を放つか、その光を受けとめて光るもの。……次はエラムの番よ。空にあって太陽の光を一番受け止めて光るものは?」

「それは月。太陽の光を受けてはね返すもの。じゃぁトゥイにお願いしようか。そもそも月とは何?」

「月は変化するもの。大きさも、明るさも日々変わるもの」


 先生がもう一度セトたちの言葉を呟く。


「輝いている星と輝いていない星、みんな輝いているはずなのに打ち消される時がある」


 僕は気付いた。星座の座標を計算してクルケアンの頂上に来る星を全て上げても仕方ないのだ。だってその日は……。


「満月だ!」


 その日、満月の下で輝く星はよほど明るい星だ。なんてこった。星の運航の計算だけでは分からないこともある。


「おや、あそこに見えるのはエル達ではないかな」


 イグアル導師が指し示す手の先にはエルやセト、ガド、サリーヌの姿があった。


「トゥイ、エラム! いいお天気だから早めに来ちゃった。セトやガドやサリーヌも無理やり引っ張ってきたよ。こんなにいい天気だもの。楽しく過ごさないとね」


 気が付けば、他にも多くの人を連れてきている。エルが大きく手を振りながら僕達に向かって叫ぶ。


「それに白蛇メレトセゲル見張番アギルマの訓練生と盛り上がっちゃって、紹介したくて連れてきたよ。競争相手だけどいいよね、みんなで勝てばいいんだから!」


 僕とトゥイは思わず吹き出した。アスタルトの家の代表者はずいぶん能天気な御仁らしい。敵も味方も一緒になって目標に向かっていくのだから。これでは意見するのも馬鹿らしいし、それ以上に楽しくなってくる。


 賑やかに来る一団を見ながら僕は考える。

 光を発しない僕達でも、太陽の光の下ではこんなにもはっきりと互いの場所を知ることができる。実はレビは案外と近くにいて、大きな闇に隠されているだけなのかもしれない。

 でも僕達が小さな光を灯し出すことができれば、それぞれの光をまとめて大きくすることができれば、ひょっこりレビが見えてくるんじゃないだろうか。


 僕達に発見されたレビは、照れくさそうに頭をかいて飛び込んでくるに違いない。その時、僕は彼女に言ってやるのだ。


 レビ、見つけたよ、と。

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